第11話 北への道(3)
ひたすら北へと進み続けて、ゲフェリ領都に到着したのはアライを出てから四日後のことだった。進行ペースは一日に約百二十キロ、荷車や小さい子どもを抱えてということを考えると、かなりのハイペースで進み続けたといえるだろう。
「今日は私は公爵様のお邸にお世話になります。荷車も持って行きますので、夜の番は不要です。みんなゆっくり休んでください。出発はどんなに早くても、明日の昼頃になると思います。」
荷車を引くための人員ということで四名を指名して、貴族街へと向かう。エレアーネは宿の留守番組だ。どうせ使用人扱いにしかならないので、食事も寝室も別になる。裕と一緒に行く意味はないのだ。それよりも、子どもたちの統率役として宿にいた方が良いに決まっている。
宿泊費や食費の支払いの問題もある。エレアーネ以外の子どもたちが持っているお金を全部合わせても銀貨数枚程度にしかならない。屋台で食べ物を買うくらいなら何とかなっても、宿に宿泊するお金など持っているはずもない。
エレアーネの所持金額は桁が違う。普通に財布の中に金貨十枚以上が入っている。子どもたち全員を数日間面倒見るくらいはあるのだ。
後ろに荷車を従え、ドーウェンの先導で裕は貴族街の領主城へと向かう。影が大きく伸びてくるなか、綺麗に整備された道を急ぎ足で進んでいく。
「騎士団第一隊のドーウェン、ただいまエナギラ伯爵が護衛より戻りました。」
ようやく城の門に着くと、ドーウェンが階級章を示す。
「そちらは?」
「エナギラ伯爵でございます。」
門衛の怪訝そうな表情がより濃くなる。そりゃあそうだろう。薄汚い子どもとまではいかないが、裕の旅装は何をどうがんばっても貴族には見えない。
「ヨシノ・エナギラでございます。」
懐からメダルを取り出して見せるとさすがに無視するわけにも行かないようで、待合室へと通してくれた。その間に子どもたち四人は荷車は馬車置き場へと押していく。
そこで待っていると、やはりゲフェリ公爵が自らやってくる。
「随分と早かったな。」
「一週間と言ったではありませんか。」
「いえ、かなり無理を押しての旅程でございました。思い上がるつもりはございませんが、私がいなければ、一週間という日程は不可能だったかと思います。」
裕は澄まし顔で言うが、ドーウェンがあっさりと実情をバラす。「それは本当か?」などと聞くまでもない。裕はそういうところでのポーカーフェイスはとても苦手なのだ。
「私のことは良いです。お貸しいただける騎士や文官はもう揃っているのでしょうか?」
「ああ、今日で全員揃った。」
「遅れなくて良かったです。」
「本当に一週間で来るとは思っていなかったんだが?」
一週間と言っていたからそれに合わせて諸々の段取りを組んではいるが、裕の到着まで十日ほどは掛かる見込みだったらしい。
「それで、連れてくると言っていた者たちは?」
「四人は荷車を置きにいっています。残りは町の宿です。さすがにゲフェリ公爵様の前に連れてくるわけにも行かないでしょう。」
裕が連れてきているのは、平民の中でも最下層に位置する浮浪児たちなのだ。領主向けの言葉遣いも態度もできないだろう。頑張って教育しているエレアーネでも、まだまだ貴族の前に出すのは憚られるのだ。
軽く挨拶と雑談交わすと、裕は荷物から出してきた服に着替えてから城の本館へと案内される。
そこで、文官や騎士との顔合わせをした後に夕食となる。
尚、荷車押しの子ども四人は、「食事は出てくるし温かいベッドで寝れるから、迎えに来るまでそこで大人しくしていなさい」と使用人用の部屋に放り込まれている。彼らはどこからどう見ても薄汚い子どもでしかないのだ。城の中をウロウロされても困る。城で働く下っ端の貴族に対してでも、不敬な態度を取れば処罰を免れない立場なのだ。
「それで、向こうへ行って何をするつもりだ?」
食事の合間に公爵は話を振ってくる。家族団欒でもしていればいいのに、と裕は隅っこで小さくなっているのだが、公爵はそんなことはガン無視だ。
「状況の確認と、生活基盤を整えるのが最優先ですね。それとともに、旧領主城から掘り起こせるものを掘り起こしていかねばならないでしょう。」
「ふむ……」
ゲフェリ公爵は珍しく迷ったような表情を見せる。公爵から見れば、伯爵を賜ろうが、裕は遠慮を必要とする相手ではないので、かなりずけずけと言ってくるのだ。
「相談したいことがあったのだがな。」
「力を貸す余裕は無いですよ。」
「知恵を貸してくれ。あの竜の死骸についてだ。なんとか引き上げて処理をしたいのだ。」
百メートルの穴の底から引っ張り上げることはできていないようだ。公爵の抱えている鍛冶職人ならば、竜の角やウロコや骨を加工できるらしく、早めに回収したいのだと言う。
「それだったら穴掘りをさせた農民に道を作らせれば良いんじゃないですか?」
「農民は冬の支度で忙しいだろう。」
「報酬として食糧や油、薪などを与えれば良いのではありませんか?」
ゲフェリ公爵は、農民の生活など知らない。この時期に何かをやらせようとすると、「この時期は勘弁してください」と泣いて頭を下げるということを知っている程度だ。
具体的に何をしているのかなど知りもしないし、知ろうともしない。通常の政治を行うのに際し、そんなことを知る必要はないのだ。
「冬の間に使う薪を集めてきたり、肉や野菜の塩漬けを作ったりするのが大変なわけですから、それらを与えれば他のことをさせることはできると思いますよ。」
「なるほど、早速明日にでも農業組合に使いを出そう。」
さすがはヨシノだと、公爵は満足そうに頷くが、その隣で夫人は不満そうにしている。
「農民を使うのにそんな報酬を与えなければならないのですか?」
「それはちょっと考え方を変えてみることは出来ませんか?」
「というと?」
「公爵閣下にとって、そうする価値があると思うなら支払えば良いのです。相手が農民も商人も貴族も関係ありません。金貨を支払ってでも今すぐなのか、半年後に銅貨で済ませるのか。」
「なるほど。それが商人の考え方か。」
彼らは本当に上に立つ者としての教育しか受けていないようだ。裕に対する態度からも、かなり柔軟で型破りな考えを持ってはいるようだが、上級貴族としての価値観を覆すとまではいかない。商人や農民の価値観や理屈までは考えが及ばないようだ。
「しかし、今と半年後で値段が違うというのは納得いきません。」
「しかし、野菜や肉だってそうではありませんか。年中同じ金額とはなりません。たとえばこのシカのお肉、夏はかなり高くなります。」
「そうなのか?」
ゲフェリ公爵は初めて知ったとばかりに、後ろに控える側仕えに聞く。
「はい、エルンディナ様。エナギラ伯の仰るように、肉にせよ野菜にせよ、高い時期と安い時期は確かにございます。」
「価値とは時節によって変化するとはいうが、そんなところにも適用されるものなのだな。」
野菜や果物が美味しくなる旬の季節は知っていても、値段の変化までは知らなかったようだ。特に、味が一番良くなる季節に最も安くなるというのが感覚に合わないらしく、驚いた表情を見せる。
彼らも、災害や疫病の流行で物の値段が高騰することがあることは知っている。戦争が起きれば既存の経済に与える影響が計り知れないことも知識として持っている。
そこは当然といえば当然だ。
旱魃や洪水、疫病への対策は領主の仕事だが、旬をはずれた野菜や果物の値段が上がることなど、領主が一々関与することではない。
結局、竜の死骸は春まで放置することが決定された。
一気に五体も持ち込んでも、鍛冶職人の処理能力を超えるだろうという判断だ。地上にある一体だけでもかなりの分量があるのだ。
【エルンディナ・ゲフェリ公爵】
比較的年若く年齢は三十二。とはいっても三人の子どもがいる。先日、竜に襲われて領の一部が廃墟と化した。
【エナギラ伯爵】
主人公。本名は好野裕からヨシノ・エナギラ・ベルケル・ミリエハニアに改められた。その際に『裕』はどこかに消えてしまった……!
【エレアーネ】
裕の弟子(?)のチート女子。現在十一歳。単純な戦闘能力では既に裕を上回っているが、当人は裕の方が上だと思っている。
【ドーウェン小男爵】
ゲフェリ公爵配下の騎士の一人。竜退治の際に、裕と一緒に囮役をやった四人の一人。
次回、『冬間近のエナギラ』
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