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悲しみという感情

「これは……」

「カラスの巣だよ。おととい見つけたんさ」


 膝くらいの高さの下草をかき分けて進むこと数メートル。大きな木の根元に、麦わら帽子を一回り大きくしたような枯れ枝の塊と、鳩くらいの大きさをした灰色の鳥の死骸が二羽、転がっていた。


「最近、風が強かったかんね……。巣ごとおっちゃったんだと思う。この雛たち、最初はちっと動いてたんだけどさ……」


 彼女が見つめるその雛は、たくさんのギンバエにまとわりつかれ、目はなくなり、羽毛はハゲてピンク色の皮膚が露出している。……思わず目を背けたくなる光景だ。


「こんなのが……かつては生きてたのか……」

「……うん。あとね、見つけたときは三匹いたんさ。狐か何かに食べられちゃったんかもしんないね……」


 その時、「ガァー!!」というけたたましい鳴き声と共に、二羽のカラスが近くの木へ舞い降りてきた。驚いた俺は、咄嗟に頭を伏せる。鳥にここまでの恐怖を感じたのは初めてだ。


「……この子達の親だよ。……たぶん」


 頭を抱えて腰を低くする俺の隣で、そのカラス達を冷静に見据えながら、そうつぶやく千笑。恐る恐るカラスの方へ目をやると、彼らは大きく太いくちばしで木の皮を剥いたり、ガツガツと幹を突っついたり、小枝を食いちぎったりしている。そして俺と目が合うと、再び「ガァー!!」と大きな声を上げた。


「どんな気持ちなんだろ……。悲しんでんのかな、やっぱり……」

「……鳥も、悲しむの?」

「それはわかんないけど……。でも、カラスは鳥の中じゃ頭がいい方だし、あたし達みたいな感情があっても、不思議じゃないべ?」

「……つまり、諦めきれないってこと?」

「そんな感じなんかな。現実を受け止められてないってか……。もういい加減、次に進んで欲しいんだけどさ、あたし的には……」


 そう言いながら梢を見上げる千笑の、見ているこっちまで辛くなってきてしまいそうなその横顔は……。写真からは想像もつかないほど儚く……そして美しい表情をしていた。……目が離せないくらいに。


「……もし、カラスに俺たちのような感情があるのだとしたら。ある日突然自分の子供を全員失って、そう簡単に立ち直れるはずがない」

「……それもそうかもね」


 彼女は、カラスを見つめながら目を細める。


「この雛たちさ……、きっと……もう少しで巣立ちだったんだ。両親も、その時を楽しみに待ってたんだと思う。それが……」

「……辛いだろうな」

「鳥も悲しむかどうかはわかんないけど……。悲しすぎて、苦しすぎて、何も出来なくなることって……あるじゃん? ……そんなの、生き物にとっては困るだけなんに……」


 一呼吸置いた後に続いた彼女の言葉は、平和ボケしていた俺へ……


「人は……どうして悲しむんだろうね……」


 ……大きな課題が立ちはだかっていることを、再認識させた。足下にころがる雛をもう一度見つめ、考える。このままじゃ千笑も……。


「……ごめん、まだ何も……思いついてない」

「……まだ? ってことはトモくんも、考えてたんだ。あたしもそう。悲しいときこそ頑張んなきゃいけないのに、何もする気が起きない自分にイライラして……。とりあえず笑って誤魔化すんだけどさ、そもそもこんな感情が無ければ、苦しむこともないんにね……」

「そんなときは、無理しないで悲しめばいいと思う……」

「だとしてもさ、『悲しみ』っていう感情がなかったらさ、……生きるのってもう少し……楽になると思わない?」


 俺は……何も言葉を返せなかった。


 そのまま、千笑が「そろそろ行くべ」と言って歩き出すまで、俺は無言で立ち尽くしていた。この世界はもしかしたら、想像以上に悲しみで溢れかえっているのかもしれない。……俺はそれを何も知らずに、平和な毎日を過ごしてきただけのような気がしてきた。


「死に向き合うのは辛い事だけど、自然界では死が無駄になることなんてない。……あの雛たちだってそう」


 再び遊歩道へ合流して歩きながら、千笑が言う。


「死んだ生き物は必ず他の生き物の糧になるし、死んだ動物しか餌に出来ない昆虫だっている。……で、死んだ生き物は自然のサイクルの中に戻ってくんさ。……死に役だって大切なんだよ」

「確かにそうかもしれないけど……」


 その言葉に、色々と考えさせられる俺。……埼玉にいたときは、生き物の死がどうのこうのなんて……意識したこともなかった。


「だからあたしさぁ、もし死んだら……他の生き物に食べて欲しいって思ってんの。ほら、鳥葬とか風葬とか、他の国にはあるっしょ? 人間もさ、最後には自然のサイクルに戻んなきゃダメだと思う」

「よせよ、そんなこと言うの。考えたくもない」

「なんで? あたしに死なれるのは嫌?」

「当たり前だろ」

「そっか、ありがと。そんな風に思ってくれる人がいるって、なんかちっと……嬉しいな、あたし」


 コイツが死んだらどんなことになってしまうのかを、俺は知っている。……それだけで死んで欲しくないというのも甚だ自分勝手であるとは思うが、それでもやっぱり千笑には死んで欲しくない。


「……てか、千笑って生き物のこと色々詳しいな。勉強してるの?」

「まぁねー。言い忘れてたけど、あたし農業高校通ってんさ! 酪農関係の仕事に就くんが、将来の夢でさぁ」

「……将来の夢……か」


 ……そうだ、コイツにも叶えたい夢があって、色々頑張ってるんだ。あんな事故で……死んでる場合じゃないよな。


「あの、……ちょっと聞いて欲しいんだけど。実は俺……」

「あっ、カエル!!」


 俺は、タイムリープしてきたことと事故の話をしてしまおうと、思い切って口を開いた。……が、カエルごときに邪魔されてしまう。


「よっし、この子は『いきもの』のお土産にすんべ! ……あっ、そっちにもいるっ! トモくん採って!!」

「えっ!? ま……待って無理だって!!」

「早くっ!! 逃げちゃうべ!!」


 俺が戸惑いまくっていると、千笑は「もぉー!!」と呆れたように唸りながら、俺の足下にいた小さい緑色のカエルを鷲づかみにした。そしてそれを、おもむろにポケットから出した袋へ放り込む。


「……それ、どうするの?」

「え? 『いきもの』にくれるんさ。たまには生き餌もやんないと」

「その、『いきもの』って? もう少しレンジを狭めてくれないか?」

「レンジ……? 『いきもの』は、あたしが飼ってる亀の名前だよ?」


 ……なんだその愛着ゼロの名前。『いきもの』……って、広すぎるだろ。全部生き物じゃねーか。いうて、そのカエルも『いきもの』だからな? ……てか、餌かよそのカエル。まじか。


「そいつら……亀に食われるんだ。アマガエル……だよな?」

「違うよ、これはシュレーゲルアオガエル。まだ子ガエルだけど……しゃーないね! ウチの『いきもの』に死なれたら困るし」


 ヤバイ、聞いたことない。シュノーケルガエル? ……てか、カエルの子供は平気で捕まえて亀にあげちゃうのかよ。


 ……まぁでも、それも食物連鎖なのか。考えてみれば、人間だって『いきもの』なんだよな。いきもの……なんだか深い意味が隠れていそうな名前だけど、やっぱり愛着は感じられない。


「さ、これで一周。もう遅いから、今日はここらで解散すんべ。……トモくんは、いつまで草津にいるん?」


 遊歩道の入り口に戻ってきたところで、千笑が言った。


「んー……、1週間くらい、かな」

「そっか、よかった! もしかして一人旅? 泊まる所は平気なん?」

「うん。橘民宿に行こうと思ってる」

「あ、ミワちゃんち知ってんだ。丁度そこ紹介しようと思ってたんさ」

「ミワちゃんち……?」

「そ、ミワちゃんち。橘美和子さん。お母ちゃんの同級生なんさね」

「そういえば、そんな話もあったな……」

「そんじゃ、明日も会うべ! あたし、午前中は部活あっからさ、午後一時くらいにまた……この遊歩道の入り口に来てくんない? いいとこ連れてってあげっから!」

「いいところ……?」

「うん! 詳しいことは明日のお楽しみ! そいじゃね!」


 千笑は早々に話を切り上げ、ぶんぶん手を振りながら走り去ってしまった。……さて。俺も橘民宿に行くか。


 ……あのカエル、ちょっと可愛かったな。

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