念願の対面
「えっ……、あ……あの、そ……その……」
予想外の展開に頭が全くついていけず、どもりまくってきょどりまくる俺。……完全に不審者だ。あれほど会いたかった石川千笑が目と鼻の先にいるというのに、ろくな言葉が出てこない。
「……あたしんちになんか用なん?」
そういう彼女の顔は、ものすごい仏頂面である。ちなみに彼女は、半そでのワイシャツに袖のないクリーム色のニットを着ていて、下は膝丈ほどのプリーツスカート。ソックスはくるぶし程度の長さしかなく、露出している脛や健康的なふくらはぎには、やたらと絆創膏が貼ってあった。そしてなにより、想像以上に声が可愛い。
「ああああの、石川……千笑さん、ですか?」
「……そうだけど」
眉をひそめる彼女。ズイッと距離を詰めてから、両手を腰に当てて、俺の顔を下から覗き込むように見つめてきた。……近い。顔が近いって。
「君は、だれ? ……ぜんぜん見覚えがないんだけど、知り合い?」
「俺は……矢吹知宏っていいます……」
「トモヒロ……? どっかで会ったことあったっけ?」
やはり、彼女にも俺の記憶はないようだ。ということは、お互いにこれがファーストコンタクトなのだろう。
「えっと、俺は……前から知っていたけど、多分千笑さんは今日初めて俺に会うと思う……」
「ふぅーん……。で、なんであたしのこと知ってんの?」
「何でって聞かれても……。その、何とも説明しにくいというか……」
すると彼女は、相変わらずの至近距離で俺の顔を見つめたまま、少し首をかしげるような仕草を交えながら……おもむろに口を開いた。
「……もしかして君、……あたしのこと、助けに来てくれた人……?」
「……え?」
……突然飛び出してきた「助けに来てくれた人」という言葉が理解できず、言葉に詰まる俺。雰囲気からして千笑は俺と初対面のはずだが、何か……思い当たることでもあるのだろうか。
「あの、『助けに来た人』……って、どういう……」
「なんだ、違うんか……。……じゃあ、君はなんなん? ストーカー?」
はぐらかされた上に、辛辣なセリフが返ってきた。俺、この子に物凄く警戒されてる気がする。さっきから不審者を見る表情だもん、完全に。これは、一旦出直した方がよさそうだ……。
「……いや、あの……ごめん。やっぱ迷惑……だよな。もう帰るから」
「あ、待ってってば」
俺が背を向けて立ち去ろうとしたら、千笑に呼び止められたので……。恐る恐る、彼女の方へ振り返ってみる。
「ごめん、ストーカーはちっと言い過ぎた。なんかあたしに用があったんだいね?」
見ると、多少彼女の表情が柔らかくなっていた。少しだけ警戒心を解いてくれたのかもしれない。俺は、若干もじもじしながら答えた。
「千笑さんに会いたかっただけで。特にこれと言って用は……」
すると、千笑は初めて、クスリとはにかんでくれたんだ。チャームポイントとも言える白い八重歯が、柔らかそうな唇の隙間から覗く。
「何それ、そんだけ? それじゃ、あたしのこと好きな人みたいじゃん!!」
「……うん」
……彼女の言葉が冗談だということは、分かっていた。それでも、俺は反射的に頷いていた。ためらいは少しも無い。この数ヶ月間で膨らんだ千笑への想いを、ようやくぶつけられるんだ。俺は、つぶらな瞳をさらにまん丸にして固まる彼女に向かって、ハッキリ言った。
「俺、千笑さんのことが好きなんだ。だから会いに来た」
「あ……あはは、ダメだよ、女の子からかっちゃ!! 良くないって!!」
「からかってなんかない、俺は本当に……」
「そ……そうだ!! あたし、今から走ろうと思ってたんさ!! もし良かったら、付き合ってくんない?」
……でも。そんな俺の言葉は、千笑によって遮られてしまう。
「えっ、走る……? 今から?」
「う……うん!! 今から!! 一人だとヒマでさぁ、話し相手が欲しいと思ってたんさ。ね? いいっしょ?」
「いいけど……」
「じゃ、着替えてくっからそこで待ってて! ……ってか」
玄関に手をかけながら、俺の方へ振り向く千笑。
「……そのでっけぇリュックは、ウチに置いてった方がいいべ?」
「え……? いや、これそんなに重くないから大丈夫」
「でも、そんなんで走ったらさすがに疲れるっしょ? いつもそんなでっけぇリュックで通学してんの? 一体何入ってるん?」
「いや、俺学校帰りとかじゃなくて、なんていうか……観光というか旅行というか……。そんな感じ」
「えっ、じゃあなんで制服なん? もしかして、それ普段着?」
「普段着じゃないよ、制服だよ。その方が、千笑さんに警戒されないかと思って……」
「相変わらずよくわかんないこと喋んね、君。まぁ待っててよ!!」
俺に向かって親指を立てながら、千笑は家の中へと消えていった。
少し、初っぱなから飛ばしすぎたかもしれない。……そうだよな、見ず知らずの男に突然「好き」って言われたら、さすがに困るよな。でも、きっと嫌われてはいないと思う。……そうであって欲しい。
「お待たせー! そんじゃ、行くべ!」
しばらくすると、紺色のハーフパンツと半袖のジャージを身にまとった千笑が戻ってきた。制服よりも体にフィットしているお陰で、彼女のスタイリッシュな体のラインが無闇に目立つ。
そんな千笑をぽけーっと見つめていたら、彼女はなかなかの速度で走り始めた。俺を気にする様子もない。ハッと我に返った俺は、慌てて彼女の後を追う。
「……いや、待って! やっぱり今日は歩きにしよう!!」
……が、どんどん距離が開いていくので早々にギブアップ。リュックを背負っている上に制服……というハンデが無かったとしても、彼女と並走するのはたぶん無理だ。
「ほらぁー!! だからリュック置いてこって言ったんにさぁー!!」
「リュックがなかったとしても無理だって!! てか喋れない!!」
「はぁー、もぉー。しょーがないんねー」
大きなため息を吐いてから、「やれやれ」といった表情で千笑は俺のところまで戻ってきた。なんだか申し訳ない気分になる。
「……えっと、ごめん、名前……なんつったっけ……?」
「矢吹……知宏……」
「そうだそうだ、トモヒロくん。長いから、トモくん、でいい?」
中腰になって上がった息を整えていた俺の隣まで来て、話しかけてくる千笑。とりあえず、俺は無言で首を何度か縦に振った。
「ホント体力ないんね、トモくん。出身はどこなん? 前橋の方?」
「埼玉の……川越……」
「えっ!? サイタマ!? 県内じゃないん!? あたしはてっきり、群馬県民かと思ってたんに……。てか、埼玉からわざわざ来たん!?」
「うん、千笑さんに会うためだけに来た」
「……トモくん、それ……アホだよ……」
ようやく呼吸が落ち着いた俺は、千笑と並んで歩き出した。そろそろ午後三時くらいになる。いつも千笑が走っているという遊歩道に入ると、少し暑さが和らいだ。木々が生い茂り、随所に木漏れ日が差し込んでいるこの風景は、俺の地元ではあまり見られないものだ。
「そいやさ、トモくんって今何年生なん? あたしとおんなじ?」
自然を肌に感じながらしばらく無言で歩いたところで、千笑が尋ねてきた。……言われてみれば俺、今高校何年生なんだ?
「……んー、今年って平成何年だっけ?」
「え? 今は平成二十五年っしょ?」
「二十五年……。平成三十一年に大学卒業したんだから、平成三十年度が大学四年生……。だから……」
「……何ぶつぶつ言ってんの? 自分が今高校何年生なんかなんて、そんな考えなくってもわかるべ?」
……ちょっと待ってくれ、今話しかけられるとマジで分からなくなるから。こういう換算って、苦手なんだよ俺。えーと……
「……高二だ。俺、今高校二年生だわ!!」
「……うん。何がそんなに嬉しいのサ。ってことは、あたしのいっこ上かぁ。同い年だと思ってたんにね」
「俺も、ずっと同い年だと思ってた」
「……ずっと?」
「……え? あ、いや。まぁいいじゃん、同い年ってことで。別にタメ口で構わないよ」
「うん、最初から敬語使うつもりなんてなかったから、だいじょぶ!」
「……それはそれでどうかと思うけど」
順調に会話を重ねながら、仲を深めてゆく俺たち。
「ところで、千笑さんは……」
「千笑、でいい」
「……あ、うん。千笑は、陸上部か何かに入ってるの?」
「あー、よく陸上部と間違えられるんだけど、中学までは体操部だったんさ。でも、高校には体操部がなくってさぁ、だから今はダンスやってんさ。アクロバティックダンサーチエミ!」
そう言いながら、彼女はバック宙を決めた。……その言葉に偽りなしだ。某ゲームに登場する配管工のオッサンみたいに身体が軽い。
「……あ。ここだ」
その時、千笑が突然立ち止まり、生い茂る木の方へ顔を向けた。
「……ここって? 何かあるの?」
「うん。最近毎日観察してんの。トモくんも一緒に来てくんない?」
……観察? 何のことだろうと思っている間にも、千笑は遊歩道を外れて森へ入っていく。そんな彼女の後を、戸惑いながら俺もついて行った。




