再び草津を目指して
「……あれ?」
目が覚めたとき、俺は自分の置かれている状況が理解できなかった。昨日、確かに俺はアパートへ戻ったはずだよな? なのに、どういうわけか……起きたらそこは実家のマイルームだった。
(あまりにも疲れすぎて、間違えて実家に帰ったのか?)
……いや、無いな。俺には、アパートへ戻ったという確固たる自信がある。っていうか、そもそも実家の俺の部屋はすでに空っぽのはず。残してきたのは段ボール数箱だけだし、ベッドがある時点で変だ。
(まてまてまて……。落ち着け。多分これは寝ぼけているんだ。記憶を整理しよう。ここ……俺の部屋じゃなくてアパートかもしれない)
俺は半身を起こした状態で頬をパンパンたたき、再び部屋の中を見渡した。……うん、やっぱりここは俺の部屋だ。そして、アパートへ持っていったはずのテーブルや椅子が、全て戻ってきている。……どういうことだ? 壮大なドッキリか? ……俺をドッキリさせても、誰も面白がらないぞ。やるなら、もっと金になるやつを選べよ。
……いや。そんなわけないし。テンパってあり得ない妄想をしてしまった。ここのところ、訳が分からないことばかりで頭がどうにかなりそうだ。……いやだから、もうすでにどうにかなってるってこれ。
そろそろ本気で「脳に腫瘍がある説」を心配しながら、俺はゆっくりベッドから起き上がってトイレへ向かった。……そこで俺は、さらに自身を混乱させる事象にぶち当たることとなる。
「……二〇十三年、八月五日……? ……は?」
トイレの壁にかけてあるカレンダーの年が、二〇十三年と表記されていたのだ。……おいおい、一体いつから架け替えてないんだよこれ。もう二〇十九年だぞ。
……違う。ここのカレンダーは毎年必ず架け替えていたはずだ。俺はこのトイレで、二〇十五年も二〇十六年もそれ以降も、見た記憶がある。そして何より、正面にある洗面台の鏡に映る俺の顔が、やけに若々しい。……ははは、一体何が起きた。
…………。
……頭が冷えるのを待ってから、俺はもう一度鏡を見つめ直した。映っているのは、まだ満足に髭も生えていないつるつるした肌の俺。そして壁に掛けてあるカレンダーには、二○十三年の表記。頬をつねると、痛い。噂によれば、夢の中で頬をつねっても、痛くないらしい。俺は、呆然となった。
……つまり俺、過去に……戻ってきたってこと? マジ……で?
まさか、今までの人生のほうが夢オチとか……? 考えてみれば、「令和」なんて違和感たっぷりの元号だの10連休だの、なんだか「夢っぽいなぁ」とは思っていたけど……って、そんなことあってたまるか!! 熾烈な受験戦争と就活を勝ち抜いて、やっと大手企業に就職したんだぞ!? それを夢で片付けるんじゃねーよ!!
……落ち着け、俺。冷静になるんだ。状況を分析しようじゃないか。俺の歩んできた人生は夢じゃない。じゃあこっちが夢……? いや、そうとも思えないな。リアルすぎる。だとすると……
(これ、噂のタイムリープ……ってヤツじゃないか!?)
そういえば、前にネットの掲示板でそんな話題を見た記憶がある。朝目覚めたら日付が何日か逆戻りしていたらしく、これから起こるニュースなんかを次々に言い当ててたよな、その人。……もし本当にこれがタイムリープで、俺の意識だけが過去に戻っているのだとすると……。……俺は、急いでリビングへ駆け込んだ。
「お袋、電車の脱線事故って……まだ起きてないよな!?」
「はぁ? なにそれ。知らないけど。……っていうか、『まだ起きてない』って何? これから起こるの?」
「いや、別に気にしなくていい!」
やっぱり……!! 俺は、あの「八倉線脱線事故」が起きる日よりも前に戻ってきている……!! つまり……
(今なら、石川千笑はまだ生きてるっ!!)
俺の身に何が起きたのかはさっぱりわからないけど、少なくとも今草津へ行けば彼女に会えるってことだよな!? だったら行くしかないだろ、草津へ!! 幸いにも今は夏休み中だろうし、確か八月は補習もなかったはずだ。
俺は自分の部屋へ戻り、引き出しから通帳とカードを引っ張り出した。残高を見ると、お年玉の貯金が五万くらいはある。これだけあれば、なんとかなるだろう。
「お袋、ちょっとアレだ、旅行に行ってくる!!」
俺は再びリビングへ戻り、バリバリと煎餅を食べながら肘をついて朝ドラを見ているお袋に向かって、そう言った。当然、お袋は「は?」という表情で俺を見返してくる。
「急にどうしたの? 旅行……って、どこに?」
「ちょっと草津まで! もしかしたら一週間くらい行ってるかもしれないけど、友達と一緒だから心配すんな!」
「い……一週間!? 草津って……どこ!? お金はあるの!?」
「草津って言ったら群馬だろ!! 金はお年玉がある。それじゃ!!」
急いで大きめのリュックに着替えを押し込み、適当に支度をする。あとは現地で調達しよう。散々迷った結果、行きは高校の制服を着ることにした。そのほうが、彼女と馴染みやすい気がしたからだ。
今の俺にとっては、昨日草津から帰ってきたばかり。石川千笑の家がどこにあるのかも、鮮明に覚えている。宿はもちろん、橘民宿だ。あそこならまず間違いなく泊めてくれるだろう。
駅に向かいながら、一連の流れをシミュレーションする俺。大丈夫、完璧な計画だ。今度こそ、今度こそ会えるぞ、石川千笑にっ!!
今回は少しでも資金を節約するために、全線鈍行で草津まで向かうことにした。そしてこの時、「八倉線」という路線を経由することも知る。恐らくというか、事故を起こした八倉線というのはこれで間違いないだろう。やはり、埼玉と草津を結ぶ途中にあったのか……。
(事故の日付をしっかり覚えておくんだったな……)
まさかこんなことになるとは思っていなかったので、何年の何月何日に事故が起きたのかなんて全く覚えていない。はっきりしているのは、「まだ事故は起きていない」という事実だけだ。
とりあえずXデーは今日ではなかったらしく、俺は無事長野原草津口駅に辿り着くことができた。ここまで来てしまえば、後は草津温泉行のバスに乗り込むだけ。湯畑から石川家までは十数分で行けるだろう。とりあえず、行きは無事に済みそうだ。
バスに揺られながら、俺は考えを巡らせた。まず、石川千笑と俺はすでに知り合っているのか、それともこれがファーストコンタクトなのか。というか、記憶を失う前なのか後なのか。もし記憶を失った後であった場合、その原因を千笑は語ってくれるのか……。
湯畑に到着した。徐々に「その時」が迫ってくる。心臓の鼓動が激しくなり、明らかに緊張していることが自分でもよく分かった。
昨日……しかしこの時間軸上では六年後の未来に通った道を、確かめるように踏みしめながら再び歩んでいく。温泉街を抜け、自然豊かな遊歩道を経由した先に、その家はあった。……白い塀で囲まれた、二階建ての一軒家。表札には「石川」の文字が刻まれている。
六年後の未来では押すことのできなかったインターホンの前に、俺は再び立った。ゴクリと生唾を飲み込み、緊張でぷるぷる震える人差し指を、インターホンへ向かってゆっくりと近づけてゆく。
……その時。
「……だれ?」
……不意にかけられた声に振り向くと。そこには、眉が太めの凛々しい顔つきをした小柄なツインテール娘が、腕を組んで立っていた。