手に入れた未来
救出された後、俺はすぐさま病院へかつぎ込まれた。千笑にはかすり傷一つなかったけど、俺の背骨は折れていたらしい。……まぁ、死なずにすんだだけマシだよな。千笑だけが生き残るというパターンになっていたら、それはそれでアイツは苦しんだだろうし……。
しばらく埼玉の病院に入院することになってしまった俺は、野生動物全般のことが書かれている書籍を、お袋に頼んで大量に買ってきてもらった。前の未来では某大学の法学部へ進学した俺だったが、同じ進路をなぞるのは面白くない。……今度は、農学部でも目指してみようと思った。理由……? そんなの言うまでもないだろ。
「……あんた、あの事故が起きることを知ってて、行ったでしょ?」
「……は? どうしてそう思うんだよ」
俺が寝ているベッドの隣で梨を剥きながら、お袋が不機嫌そうにそう呟いた。
……結局、俺が事故に巻き込まれたせいで、お袋には過大な心配をかけてしまい……。俺の無事が分かるや否や、言葉で表現出来ないくらい激しく怒られた。……そして未だにヘソを曲げているというわけだ。……面倒なお袋だが、……気持ちは……分かる。
「1週間くらい前に『脱線事故ってまだ起きてないよな』……って、あんた言ってたから」
「……そんなこと言ったっけ?」
「……あの子が事故で死ぬって、知ってたんだよね、知宏。……無茶なことしたのは許せないけど、母さんも言い過ぎたって反省してる」
梨をのせた皿を差し出しながら、お袋は続けた。
「母さんはね、自分に甘えたり、妥協したりはして欲しくない。でも、自分を犠牲にしなきゃいけないような努力だけは、しちゃダメ。今回の件は特別に許すけど、もう絶対に無茶はしないこと」
「……分かったって。俺も、お袋には申し訳なかったと思ってる」
「それから、自分で助けた命は、責任持って最後まで面倒をみなさい。……途中で放り投げたら、それこそお母さんは許しませんからね」
梨を囓りながら話を聞いていた俺は、お袋の言いたいことがよく分からなくなり、どういうことなのか聞き返した。するとお袋は、「もう入ってきていいよ」……と、病室の入り口に向かって声をかけた。
「……トモくん、怪我はもう……だいじょぶなん……?」
入ってきたのは……。袖口が青い半袖のパーカと、水色のフレアスカートを身につけた……千笑だった。
「……え? ちえ……み……? お袋、これはどういう……」
「どうもこうもありません。千笑ちゃんからお見舞いに行きたいとお願いされたので、連れてきてあげたんです。……じゃあ、母さんはこれで一旦帰るから、千笑ちゃん、あとはよろしくね」
「はい、ありがとうございます……!!」
腰を上げ、病室を出て行ったお袋と入れ替わるようにして、千笑がベッドの隣に置いてある丸椅子へ腰掛けた。
「わざわざ……見舞いのためだけに草津からきたのか……?」
「うん……。トモくんのお母さんが、車で送ってきてくれて……。そういえば昨日、中之条の夏祭りだったんさ。……ダンス部のみんなで、ダンス披露したんだよ? トモくんにも……見て欲しかった」
「……そうか。俺も見に行きたかったけど……。でも、来年もやるんだろ? 来年は絶対、見に行くから」
「……うん、わかった。絶対……絶対だかんね……?」
そう言いながら千笑は、俺の枕元に積んである書籍を指さす。
「それさ……どうしたん? トモくん、そういうの読むんだっけ?」
「これか? いや、千笑と一緒にいたら、生き物に興味が出てきちゃってさ。……俺も勉強しようと思ったんだ。しばらくヒマだし、千笑と生き物の話で盛り上がれるようになったら、もっと楽しいだろ?」
それを聞いた千笑は、頬を赤らめながら照れくさそうに俯いた。
「もぉ、ヒマなんは、怪我したからだべ……? なんでこんな馬鹿なことしたん……? あたしのことなんてほっといてさ、さっさと次の恋……見つけりゃ良かったんに……」
「千笑こそ、俺のことなんて諦めれば良かったじゃないか」
「……そんなん、できないよ。こんな好きになっちったんだもん……」
「……だろ? 俺だってそうなんだよ。それに、フラれるだけならまだしも、死なれたらどうにもできない」
神妙な面持ちで、一旦黙り込む千笑。……何かを考えているようだった。病室の窓から入り込んできた風が、ふわりとカーテンを揺らす。
「……トモくん……ってさ、どっから……来たん……?」
急な問いかけに、思考が追いつかなかった。千笑のツインテールが風になびき、シャンプーの香りが辺りに広がった。
「……事故の後聞いてきたんさ、爺ちゃんに。やっぱり、『私を助けに来た人』の正体は、トモくんなんだって言ってた」
「爺ちゃん……って、いつも一緒に温泉入っている例の爺ちゃんか?」
「……うん。いつもって言うほど、いつもじゃないけど。実は、トモくんと出会うちょっと前にね、『君の運命を知ってる人が、君を助けに来るかもしれない』……って、爺ちゃんから言われてて……。口止めされてたんだけど、今回の事故のこと、爺ちゃんに話したら……、もうトモくんに喋ってもいいよって言われたんさ」
……そういえば、その爺さんもタイプリープ事件の黒幕だったんだよな。……黒幕、って言い方は違うかもしれないけど。コイツに「誰か助けにくるかもしれない」って吹き込んだの、爺さんだったのか。
「……で、結局トモくんは……何者なん……?」
「……爺さんは、教えてくれなかったの?」
「うん……。もう喋ってもいいから、自分で聞け……って」
「別に、何者でもねーよ。ただ、その爺さん『達』のせいで六年後の未来からタイムリープさせられた、ただのしがない青年だ」
「んー……、結局よく分かんない。もしかしてさ、トモくん……役目を終えたら、もとの世界に帰っちゃったりするん……?」
「帰らねーよ。元の世界にはお前がいないし。あと、帰れない」
「……良かった。それだけ分かれば、難しいことはもういいや」
ホッと息を吐いて、八重歯を見せながらにへぇっと笑う千笑が、……もうとてつもなく可愛かった。ホントに、コイツが隣にいれば、どんなに悲しいことがあっても乗り越えられ……って、ちょっと待て。
「……おい、爺さんに聞いてきた……って、また混浴したのかお前!?」
「……え? うん!! ちっと長湯しすぎちってさ!!」
「前から言いたかったんだけど、それ、故意だよな!?」
「だって、温泉じゃなきゃ爺ちゃんと会えないんだもん。住みもしんないし……。……ってか、なんでトモくんはそんなムキんなるん?」
「ムキになるだろ!! 爺さんとはいえ、知らない男と一緒に風呂入ってるんだぞ!? 一歩間違えたらお前……、もっと女子という自覚を持たなくちゃだめだ!!」
「だいじょぶだよぉー。まぁでも、トモくんがヤメロって言うんなら、止めるよ。爺ちゃんも、もう最後かも……って言ってたし。色々やりきったって、ちっと悲しそうに言ってた」
「そう……か……」
……結局、あの二人の真の目的って……何だったんだろう。きっと、それが明らかになることはないんだろうな……。
「……とにかく、もう混浴はヤメテくれ。千笑も子供じゃないんだ」
「んー、じゃあさ、怪我が治ったら……一緒に入るんべ、温泉! トモくんとなら、混浴したっていいべ?」
「……は!?」
「……あたしの裸、見たいっしょ? あたしも、トモくんの裸見たい!」
「ま……まだはえーよバカっ!! もっとゆっくり進めさせてくれ!!」
「あははっ、じょーだんだってば!! もぉ、顔真っ赤だよトモくん!!」
「う……うるせぇ……!!」
その日、千笑は……面会時間が終了するまで、ずっと病室にいてくれた。
……俺たちがこうして笑顔で会話している間にも、世界では悲しい出来事が繰り返し起きている。あの事故にしたって……どれほどの人がどれほど悲しんでいるのか、想像もつかない。……だけど俺は、今回の事故に巻き込まれたことで……気付いたんだ。
悲しい現実に直面し、苦しむほど……。人に優しくしようとする思いが、強くなっているということに。
……悲しみという感情は、苦しい。だからこそ、他の人にはそんな気持ちを味わって欲しくないと思い、同情心が生まれ、理性が生まれ、利害に拘わらず人を助けたいという気持ちが生まれ、世界を平和へ導き、人を人たらしめるのかもしれない。
悲しみがなければ確かに生きやすいけれど、何でもできるというのは逆に恐ろしいことだ。相手を殺そうが身内を殺されようが苦しみはなく、それ故いつ自分が殺されるかも分からない過酷な世界となる。まさに、自然界の生態系そのもの。……人間は、そんな世界から脱出するために、あえて「悲しみ」という感情を獲得したんだと思う。
……これが、『悲しみという感情の存在意義』に対する、とりあえずの答えだ。続きは、千笑と一緒に……一生をかけて考えていこうと思う。千笑しか救えなかった俺の、せめてもの償いとして……。
最初から最後まで読んでくださった方へ。
愛してます。できれば友達になってください。
……あ、逃げないで!! そんな全速力でダッシュして離れていかないで!!
……お粗末でした☆




