未練の無い未来
早くも草津へ来た目的を失い、一人取り残された俺は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。……もはや、橘民宿へ行く意味も無い。かといって埼玉に戻る気力も無く、途方に暮れる俺。
行く当てもなく遊歩道をさまよっていると、「バサバサッ」という羽音と共に、大きなカラスが飛び立った。驚いて反射的に頭を伏せ、腰を低くしたまま……何となく飛び立ったカラスを目で追う。カラスは、遊歩道から少し外れた茂みの中へ、その姿を消した。
……確かあの辺りは、六年前に千笑と毎日観察した、例のカラスの巣が落ちていた場所だ。当時はなかなか場所を覚えられなかったクセに、なぜか今日はすぐに分かった。俺は下草をかき分けながら、吸い込まれるようにそこへ向かう。
巣が落ちていた場所には、今もなお巨大な木が生えている。その木の梢に、先ほどのカラスが止まっていた。俺が見上げると、カラスも俺のことをジッと見返してきた。
「……お前、もしかして……、あの時の雛か……?」
気がついたら俺は、カラスに向かってそう問いかけていた。もちろんカラスからの返事はなく、相変わらず俺を見下ろしている。よく見ると、その嘴にはピンク色の紙切れのようなものが咥えられていた。
「お前は、兄弟を失った悲しみを乗り越えたのか? いつまでも千笑の死が吹っ切れない俺を、蔑んでいるのか……?」
コクリと、頷いたように見えた。俺は俯いてから、フフッ……と小さく笑った。まさか、カラスに蔑まれるなんてな……。
「だったら教えてくれ。……俺は、どうしたらいいんだ。このまま一生、千笑を失った悲しみを背負い続けなくちゃいけないのか?」
俺が再び問いかけると、カラスは咥えていた紙切れを俺の足下へ落とし、「ガァー!!」……と大きく鳴いてから、飛び去ってしまった。カラスが落としていったピンク色の紙切れを拾ってみると、どうやらそれは……温泉の回数券らしかった。
「……なんだよ、これでひとっ風呂浴びて気分転換しろってか」
ちなみに、中途半端に切れているせいで、どこの温泉で使えるのかはわからない。……まぁ、こんなものを利用しなくても、俺は無料の温泉を知っているけどな。……せっかくだから、入っていくか……。
……そこまで考えたとき、ふとあることに気がつく。そういえば俺、タイムリープする前は必ずあの温泉に入っていた。逆に言えば、タイムリープが発動していたのは、常にあの温泉に入った後……?
……偶然か? 確かに、二回しか発生していない事象を「常に」と言い切るのは、些か強引だと思う。……だけど、万が一にも……俺の推理が当たっていたとしたら……?
「……別に減るものなんてないし、試す価値は……ある」
俺は踵を返し、あの温泉……「大霧湯」を目指して走り始めた。冷静に考えれば、地元の人達が誰もタイムリープしていないわけだし、この理屈には無理がある。でも俺は、どんな可能性にも賭けたかった。
千笑と過ごした毎日を思い出しながら、「大霧湯」と書かれた古い木の板のわきにある、丸太で適当に作られた階段道を駆け下りていく。
お転婆で、女子とは思えない行動に最初は驚いたけど、実は繊細な心を持つ乙女だったアイツ。俺に、自然の有り難さや悲しさを教えてくれたアイツ。好きだと言うとすぐに赤くなったアイツ。……思い出せば出すほど、どんどん千笑のことが恋しくなっていく。
エメラルドグリーンの湯を張る岩風呂の前で、膝に手をついて息を整える俺。キッと温泉を睨み付け、全てをここに託す。覚悟を決めて、服を脱ごうと手をかけた……その時だった。
「お主……やはりここに戻って来たか」
……聞き覚えのある声に振り返ると、そこには……。いつかの気味の悪いガキが、こっちを見ながら立っていた……。
「この時間軸は、お主が戻ってくるパターンになったのだな……」
「……あなたは一体……何者なんですか?」
「そうじゃの、まぁ、状況はお主と同じじゃ。ちょっと目的があっての、98年後の自分と意識を入れ替えて、この時代に来たんじゃ」
98年後……!? てか、コイツ今、「意識を入れ替えた」って言ったけど、それって超自然的な何かじゃなくて、人工的にできることだったのか? つーか、起きたら百歳超えのジジイに変貌していた今のコイツの意識のことも考えてやれよ。……最悪すぎるだろ。
「目的……というのは?」
聞きたいことは山ほどあるが、まずはコイツの目的を聞いてみる。
「詳しいことを説明するつもりはないのじゃが……。なんというか、色々と行き詰まっている人々に、コイツを授けることじゃ」
そう言うと、子供の見た目をしたジジイは、薄い抹茶色の表紙をしたB5版くらいの冊子を、懐から取り出した。
「この時代の技術で、この草紙を作り上げるのは大変じゃった」
「……なんなんですかそれ」
「ワシは、『恋を叶える草紙』と名付けておる。好きなおなごとイチャイチャな関係を築ける秘密道具じゃ。お主も欲しいじゃろ?」
コイツ、俺の状況を知ってて言ってるだろ。完全にからかわれてるな。
「……俺の恋人はこの世にいない。そんな小道具まで準備して俺をおちょくって、何が楽しいんですか?」
「そうじゃったの。別におちょくったつもりはないのじゃが……」
真剣な表情の俺を見て、子供は冊子を懐へ戻しながら、やや反省したようにそう呟いた。俺は深いため息を吐く。
「お主に不快な思いをさせてしまったことは謝る。お詫びと言っては難じゃが、この温泉の秘密を教えてやろう……」
「……つまり、今回の意識の入れ替わりには、あなたの関与があるということですか? これは、あなたが企てたことなんですか?」
「結論から言えば、……その通りじゃ」
……だろうな。それ以外に適当な理由が思いつかない。
「ワシの目的は別にあるのじゃが、色々あっての……。お主の力になりたいと思い、未来の技術を駆使した仕掛けをここに施したんじゃ」
「仕掛け? いったいどんな……」
「それは、解説してもわからんじゃろう。一応、いつか会ったときに説明を試みたんじゃが、お主は解せない顔をしとった」
……それってもしかして、初めて会ったときのあの謎の理論のことか? 時間の最小単位がどうのこうのっていう……。あれ、この現象の説明だったのかよ。……じゃあ確かに分かんねぇな!
「それよりも、この温泉の作用を説明した方が良かろう。ここに来たということは、既に察しがついているとは思うが……。この温泉に入ってから眠ると、その間に過去の自分と意識の交換が起こる。ちなみに、その効果はお主だけに現れるよう設定しておいた」
なるほど、だから地元の人の意識は入れ替わらなかったのか……。
「そして、遡る時間の幅は常に六年じゃ。その幅はシステム上、もう変更できん。というか、空間をリンクするためにはその時代へ飛ぶ必要があるのじゃが、六年以上遡るとワシが産まれていないからの」
「……むしろ、赤子の身体でどうやって仕掛け作ったんですか?」
「鋭い質問じゃ。実は、ワシの曾爺さんが量子論の教授でな。彼が手伝ってくれたんじゃ。お主の想人とは、仲が良かったらしいの」
曾爺さん……って、もしかしてあの千笑と混浴してたジジイか!? しかも、リョウシなんちゃらの教授!? ……てか、ひ孫が爺さんみたいな口調で突然喋りだして、よく平静を保ってられたな!!
「突っ込みどころは満載ですが……。つまり、今日この温泉に入ってから眠ると、六年前の明日に目が覚める……?」
「そうじゃ。……お主は、助けたいんじゃろ? あの彼女を。だとすれば、今日中に温泉に入らなければ間に合わん。……事故が起きるのは、六年前の明日じゃからな」
いや、むしろ間に合うのかよ。ダメ元でここに来たのに、もう一度過去に戻って彼女を救うチャンスがあるってことだよな!?
「じゃあ、もうなんの説明もいりません!! 俺は過去へ行く!!」
「まぁ待て、そう焦りなさんな。これも今さら説明するまでもないじゃろうが、お主の意識が過去へ行く代わりに、過去のお主の意識はこの時代へやってくる。そしてここからが大切な話なのじゃが……」
中身がジジイの子供は、今までに見せたことの無い真剣な表情で、まっすぐ俺の目を見つめた。
「この『意識の入れ替わり』には、極めて精巧な調節が必要なのじゃ。もしお主が、過去で『今に繋がらない何か』を少しでもしてしまえば、その時点でこのシステムを使った意識の交換は不可能になる」
「……端的に言うと、どういうことですか?」
もはや俺には、過去に行くという選択肢しか無い。一応話は聞いてやるが、できる限り短く話して欲しいというものだ。
「再び意識の交換をして過去へ戻った場合、その瞬間に未来が変化してしまい、お主は二度とここには戻れなくなるということじゃ」
「……それは変です。俺は一度過去に行って色々やったのに、ちゃんともとの世界に戻ってこれたじゃないですか」
「それは、この時間軸が『過去への干渉込み』で成り立っていたからじゃ。つまり、お主が過去でやったことは全て既成事実と化し、自動的にこの未来へ繋がる仕組みになっておったのじゃ」
なんだよそれ。要するに、何を頑張っても「千笑が死ぬ」という結末は変えられなかったということか? ……阿呆丸出しだな、俺。
「……しかし、お主が再び過去へ戻ってしまうと、この時間軸の因果関係は破綻してしまう。……踏まれぬはずの枯れ草を踏んだだけでも、この世界には繋がらなくなってしまうのじゃ」
「……俺はもう、この未来に未練はありませんよ」
「本当にいいのか? 彼女を救うチャンスは一度じゃ。失敗すれば、お主は彼女を失った悲しみを背負いつつ、高校二年生からやり直しじゃぞ。この時間軸ほど順調にはいかないかもしれん。それに、彼女を救えたとしても、その後の交際が上手くいく保証など無い。それでもお主は、今の地位を丸投げすることができるのか?」
「……俺は」
「こっちに来た高校二年生のお主はどうなる? 高校と大学という、ある意味人生で一番楽しい時間をすっ飛ばされた挙げ句、右も左も分からない状態で突然社会人じゃ。……下手したら、過去のお主も未来のお主も共倒れかもしれん。本当に、それで良いのか?」
「……俺は。俺は! 俺はっ!!」
ガキの声をかき消すように、俺は叫んだ。
「俺は彼女を、千笑を助けたい!! いいんだ、助けた後にフラれたって!! あいつが生きてるだけで、俺は満足なんだよ!!」
「落ち着くのじゃ。前にも話したとおり、彼女が生きている世界だってちゃんと存在しておる。お主が見ている世界が全てではない」
「うるせぇ!! 俺と同じ世界であいつが生きてなきゃ、意味ないだろ!! それが自己満足だって構わない!! 見えない世界のことなんて、知ったこっちゃねぇんだ!!」
吐き捨てるようにそう怒鳴ると、ガキはフッと口角を上げながらため息を吐き、「ならば、好きにするがよい」と一言呟いた。
「確実に効果を出したかったら、最低でも15分以上、お湯に浸かることじゃ。……成功を祈っておるぞ。……では、またいずれ」
去って行くガキを尻目に、俺は服を脱いで温泉へと飛び込んだ。




