過去と未来の交差
ハッと意識を取り戻すと、外は薄暗くなっていた。……うん、完全に寝過ぎた。それだけ体も疲れていたということだろう。あんなに濃い毎日を過ごしたのは、人生史上初めてのことだからな……。
俺はスマホを手に取り、千笑から連絡が入っていないか確認しようとした。……しかしここで、何かがおかしいことに気付く。
――これ、高校生の時に使っていた機種じゃないぞ。
思考が停止する俺。……何が起きた? いや、何が起きたのかを想像することは容易だったけど、そうだと思いたくなかった。……だが残念なことに、スマホに映し出された「二○十九年」という文字は、もはや他に考える余地が無いことを示していた。
「……マジ……かよ……」
戻ってきてしまったんだ。こんなに突然、何の前触れもなく。
俺はベッドから跳ね起きた。もちろんそこは、見覚えのある俺のアパート。ただ、タイムリープする前とだいぶ様子が違う。とにかく、汚い。至る所にコンビニ弁当の空箱が散乱しているし、酒の空き缶がやたらと目立つ。そして俺も、二日酔いのように体が怠かった。
……皆目状況がつかめないのだが。何があったんだ、ここで。
もう一度、スマホを確認してみた。その日付は、俺が過去にいた時間と同じ分だけ進んでいる。つまり、タイムリープしている間にこちらでも丸四日分時間が流れていたということだ。しかし、当然ながら、俺には「千笑と過ごした四日間」の記憶しか無い。
(……こっちの俺は、その間に何をやってたんだ!?)
部屋の散らかり具合から察するに、「ずっと寝ていた」わけではないだろう。これだけ気分が悪いのだから、恐らく酒も相当飲んでいる。そして、財布を開けてみると、諭吉さんが二人くらい家出していた。
多分というか、犯人は俺自身で間違いない。……だが、俺の意識は過去へ飛んでいたはずだ。その間、意識の無いまま俺は活動していたということか? ……意味不明過ぎて面白くなってきた。
……いや、待てよ。そういえば、昔これと同じようなシチュエーションの、妙にリアルな夢を見たよな。起きたら見覚えのないアパートにいて、テレビをつけたら「令和」という謎の元号がもてはやされていて、財布を開けたら3万円と車の免許証が入っていたっけ、確か。……で、興味本位で酒を買い、飲み散らかしたんだよ、俺。
当時は未成年だったから、酒の味を知りたかったんだ。当然、料理なんてできなくて、飯は常にコンビニ弁当。……あの時は夢だと思い込んでいたが、あれってもしかして……現実だったのか? そこまで考えたとき、俺の中に一つの仮説が浮かんだ。まさか……
――今の俺の意識が過去へ飛んだ代わりに、過去の俺の意識が今の俺に入っていたんじゃないのか? つまり、時を超えた意識の交換!?
そうだと仮定すれば、俺の予知能力を全て説明できる。このアパートに住むことを知っていたのも、新しい元号が分かっていたのも、単純に未来で生活した時の記憶を持っていただけということだ。
その代わりに、今の俺の意識が過去で作った「千笑との記憶」は、俺がこっちに持ち帰ってきてしまった。……だから、かつての俺は千笑のことを全く知らなかったんじゃないだろうか。
……ただ、この仮説が正しかった場合……非常にマズイことになる。だって、今し方過去へ戻った「過去の俺の意識」には、千笑との記憶がまるで無いのだ。そんな俺に、千笑からのメールが届いたら……
俺は慌ててスマホを手に取り、数週間前に聡とやりとりしたSNSの内容を、もう一度確認した。
『俺だってお前に女がいたなんて心当たりねーよ。迷惑メールがどうのこうのっていう話は覚えてるけどなw』
「その話は今関係ないだろ!」
『アレマジやばかったよなw 今から会いに行くから、とかw』
「やめろよ、本当に怖かったんだぞ」
『もしかして、そのときのメールの相手がこの女だったりしてw』
「んなわけあるか。さすがに当時から記憶になかったなんてことないだろ。どんだけ即行で忘れたんだ俺は」
心臓が押しつぶされそうになった。……聡の推理、当たってるじゃねーかよ。あれは……迷惑メールなんかじゃなかったんだ。
――アレマジやばかったよなw 今から会いに行くから、とかw
――今から会いに行くから、とか
――今から会いに行くから。その文字から、目を離すことができなかった。千笑は間違いなく、あの後俺のスマホへメールを入れた。しかしそれは、過去の意識が戻ってきた後だった。俺は確か、身に覚えの無い女性からのやけに馴れ馴れしいメールを激しく警戒して、無視し続けたんだ。最後には聡に相談し、メアドを変えた。
……あの時、千笑はどんな気持ちだったのだろう。……必ず戻ってくると約束した俺と、突然連絡がつかなくなり、メールも届かなくなって……。酷く苦しみ、悲しんだに違いない。それでも諦めきれなかったアイツは、藁にもすがる思いで……埼玉を目指そうとしたんだ。
――今から会いに行くから
……目頭が熱くなり、涙が溢れ出してくる。クソ、しょうがないじゃないか、その当時は千笑のことなんて知らなかったんだから……!! 俺が悪いのか!? 俺のせいで千笑は死んだのか!?
どうすれば良かったんだよ、俺は……!!
行き所の無い悲しみや怒り、苦しみが、俺の精神を蝕んでゆく。数時間昼寝をしたつもりが、一瞬で六年の時を超えてしまい、全てが過去の出来事になっているなんて……。手元に残る八枚の写真が、余計に哀情を増長させる。この世界では、千笑は歴史上の人物なのだ。
……辛い。もう一度千笑の声を聞きたい。千笑と話したい。千笑を抱きしめたい。キスもしてない。裸も見てない。何もしてない。
アイツが夢を叶える姿を、見届けるんじゃなかったのかよ!?
『苦しいよ。人はなんで悲しむん?』
今なら、アイツの気持ちが痛いほどよく分かる。もうどうしようも無いと頭では分かっているのに、心が諦めてくれないというこの感覚……。今草津に行ったら、千笑に会えるんじゃないか……。空しくも、そう思ってしまう俺がいた。
……いい加減、現実を受け止めろ。千笑と夜の湯畑を見たあの日から、六年も経ってるんだぞ。昨日今日の話じゃないんだ。そして彼女は、六年前に死……
……待て。死んだ……のか? 本当に死んだのか?
確かに、タイムリープする前の世界では、千笑は死んでいた。……でも俺は、タイムリープして多少なりとも過去をいじってきたはずだ。……もしかしたら、歴史がわずかに変わっていて、千笑は八倉線に乗っていないかもしれないじゃないか。
死んだと決めつけるのは、まだ早いだろう!!
もちろん、千笑が生きていたとしても、俺のことを酷く恨んでいる可能性は高い。今は意中の相手が他にいるかもしれないし、千笑とやり直すというのは現実的に無理だと思う。……それはそれで仕方ない。遠くからそっと千笑を見つめたら、潔く引き返そう。
ただ、生きていることが確認できればそれでいい。千笑と話せなくても、抱きしめることができなくても、裸を見ることができなくても、何も出来なくてもいい。生きて、夢を叶えてくれていれば。
……行くか。行くしかないよな。幸いにも、まだ休みは2日ある。行って確かめなくちゃ、千笑が生きているかどうかはわからない。生きていたら生きていたで、俺も千笑も別々の人生を歩めばいい。
(これで、草津に行くのは最後だな)
千笑の生死に関わらず、恐らく最後の草津旅行となるだろう。今度こそ、この一連の騒動にピリオドを打つんだ。……寂しい気持ちもあるが、千笑と過ごした4日間を忘れることは無い。
絶対に生きてろよ、千笑……!!




