初めてのデート
「トモくんお待たせ……!! 遅くなっちってごめん……!!」
次の日も俺たちは、遊歩道の入り口で待ち合わせをした。今回は、俺の方が千笑よりも早かった。……ちなみに、果歩さんはいない。
……昨日、例のカラスの巣を確認しに行った俺と千笑は……。その場で、立ち尽くした。
「……なん……で……?」
そう呟き、膝から崩れるように座り込む千笑……。雛はいなくなっており、もともとあった二羽の死体は、バラバラになって飛散していた。一面に広がるおびただしい量の羽毛が、自然の残酷さを物語る。
雛を見守っていたであろう親鳥の姿も無く、静かになった大木の根元には、持ち主に見捨てられた巣が……哀れにころがっているだけだった。……何か他の動物が、雛の死体を漁っていったのだろう。でも、生きている雛まで襲われたのかどうかまでは、分からない。
「……きっとどっかで生きてんよ。そう思うことに……すんべ……」
千笑のその言葉は、自分自身へ言い聞かせているようだった。そう、仕方ないことなんだ。「雛の保護はしない」という彼女の選択が間違っていたとは思っていないし、この雛はこうなる運命だったと諦めるしかない。……そのお陰で命をつなぎ止めた生き物も、いるのだから。
……それでもやっぱり、表情は辛そうだった。「仕方ない」と頭で分かっているからといって、「辛くない」とは限らない。……無理に感情を抑えつけている姿が余計に苦しそうで、俺は黙っていられなかった。
「悲しければ泣けばいい。この雛だけを特別扱いしたくないっていう千笑の気持ちもわかるけど、……感情移入してしまうのはしょうがないことだろ。むしろ、その方が人間らしい。……そうやって悲しめるお前に……欠けてるところなんてありはしないさ……」
それを聞いた千笑は、決壊したダムのように……泣き崩れた。
「あたし……見届けたかった……!! 雛が……飛び立つまで……!!」
……何だかんだでコイツ、感情移入も人一倍しやすいのだろうな。魚を殺すのもカニを料理するのも、実は俺以上に苦しんでいたのかもしれない。……千笑に任せようとした俺は、実に無責任だった。
千笑はその後もしばらく落ち込んでいて、結局ほとんど会話の無いまま遊歩道の入り口まで戻ってきてしまった。もしかしたら明日は会ってくれないんじゃないかと思ったけれど、別れ際に「明日もいつもの時間にここで」と言ってくれて、俺はほっと安堵した。
そんなわけで、今に至る。それにしても驚いたのは、千笑がいつものジャージでは無く、「袖口のひらひらした白いTシャツとホットパンツ」という、それなりに女子らしい格好で来たことだった。コイツもこんな格好するのか……と感動したものの、なんとなくどこかで見た記憶もある……ような気がする。デジャヴってやつか?
「えへ、今日はさ、山とか森じゃないからさ。隣にいてもトモくんが恥ずかしくないように……気合い入れてみたんさ。……どうかな?」
無邪気に微笑む千笑は、……無敵かつ最強だと思った。
俺たちはまず、湯畑に向かった。千笑が隣にいるだけなのに、何度か一人でふらついた時とは明らかに雰囲気が違う。まだ手をつなぐほどでは無いにしろ、……しっくりくるんだよな、コイツといると。
大学二年の時にできた彼女とは、本当に毎日喧嘩ばかりしていた。聡は「それだけ言いたいことが言える仲なんじゃないのか?」なんて調子のいいこと言っていたが、結局長続きはせず……。彼女の事は好きだったハズなのに、何がダメなのか自分でもよく分からなかった。
……難しいよな、お付き合いするのって。好きだという感情は大切なファクターだけど、それだけじゃ不十分なのはハッキリしている。かといって、何が揃えば円満な関係が築けるのかを把握しているわけでもない。……が、千笑にはその「何か」があるような気がした。
「……どうしたんだ? 今日はずいぶんしおらしいじゃないか」
「あ……あはは、そうかな……? あたしさ、こういう……デートっぽいことすんの、……初めてなもんでさ」
「デートっぽいこと……っていうか、デートだろこれ。緊張してるの?」
「そ……そっか、これ……デートなんか。緊張……ってかさ、何したらいいのかよくわかんなくてさ……。あ、じゃあ写真撮んない? 湯畑の前で……!! あたし、ちっと頼んでみっから……!!」
そう言うと、千笑は通りかかった人にカメラを渡し、シャッターをお願いした。……なるほど、思い出したぞ。
「じゃあ、お願いしまーす!! トモくん、もっと寄って!!」
……今千笑が着ている服、未来にいたときに写真で見たんだ。だから見覚えがあったのか……。……ということは、ここまでは筋書き通りに進んでいるってこと? だとしたら俺、何も変えられてないんじゃ……。いや、千笑には……言うべきことは言ったはずだ……!!
……言いようのない不安が、俺にのしかかってくる。千笑は昨日、「八倉線には乗らない」と、確かに約束してくれたけど……
「後で、果歩が撮ってくれたヤツと一緒に、印刷して渡すね!!」
「お……おう、ありがとな!! ちなみに、枚数って覚えてるか?」
「えー? 果歩、結構こっそり撮ってたから……わかんない。あたしとトモくんが写ってるヤツをちゃんと選ぶから、だいじょぶだって!!」
「……いや、そういうわけじゃなくて」
……万が一未来が何も変わっていなかったとしたら、千笑は助からないということだ。せっかく過去へタイムリープしてきたのに、助けたい人を助けられないでどうする……!? こうなったら、何が何でも過去の筋書きを覆すしかない!!
「せっかくだから、もっと色々なところで写真撮ろうぜ!!」
未来で見た八枚の写真の中で、千笑が私服を着ていたのは湯畑で撮った一枚だけだった。つまりあの時間軸では、今日という日に一枚しか写真を撮らなかったことになる。ならば、これから他にもたくさん写真を撮れば、少なくともあの世界とは違ったストーリーになるはずだ。やや安直な気はするが、ほんの少しでも未来を変えられれば、きっと千笑は死なずに済む。……少なくとも、俺はそう信じていた。
「……そうしたいんは山々なんだけどさ。ごめん、さっきの一枚で電池が切れちったんさ……。だからさ……また明日、撮るべ!! トモくん、明日もまだいるっしょ?」
……が、驚くべきスピードで、俺の作戦は頓挫してしまう。どうして一枚撮っただけで事切れるんだよ。……バッテリー寿命じゃないかそれ!! それか充電してなかったとか!? どっちにしても、デート前にしっかりメンテナンスしておかなきゃだめじゃん!!
「……わかった、絶対に明日は撮るからな?」
「うん、任して!! ……だけど、なんで急にそんな必死なん?」
「別に、お……思い出が欲しいだけだ!! 深い意味はない!!」
「ふーん。でも、思い出だったら写真以外でも残せるべ? ほら!!」
「……え?」
「だから!! 手、繋いで歩くんべよ!!」
「お……おう……」
突然差し出された千笑の小柄な左手を、俺の右手が包み込む。なんだろう、この新鮮な感じは。これが思春期の恋か……。どこかあどけなくて、慣れなくて、子供っぽいけれど、その中に少しだけ大人の気配を感じる。……共学の連中は、こんな青春を送っていたんだな。
……タイムリープという反則は使ったものの、この気持ちを経験しないまま人生を終えずに済んだのは幸いだった。欲を言えば、精神年齢も高校生だったあの頃に……経験しておきたかったけれど。
……はぁ、とりあえず今日は、余計なことを考えずに千笑とのデートを楽しむか。俺が近くで見守っていれば、千笑が八倉線に乗ることだってないはずだし。不謹慎な物言いだが、……事故が起きてしまえば、もう千笑は安泰なんだ。それまでコイツを見張っていられれば……。
「トモくんトモくん、足湯!! 足湯入ってかない?」
湯畑を少し上ったところに、無料で入れる屋根付きの足湯がある。俺の手を引いて、嬉しそうにそこへ入っていく千笑。それから、躊躇すること無く俺の前で靴と靴下を脱ぎ捨てた。
……ただそれだけ。それだけのことなのに……。靴下を脱ぐ仕草と、露わになる千笑の素足を見ていたら、ドキドキが止まらなくなった。
念のために言っておくと、学生時代に付き合っていた彼女とは、一応性行為にまで及んでいる。それもあって、大人になってからはこの程度のことで興奮した経験はなかった。……もしかしたら、高校生の身体に入ったことで、精神構造も幾分か後退化しているのかもしれない。
「千笑……ってさ、綺麗な脚してるよな」
「……えっ? なにもぉー、トモくんったらさぁ、ちっとエロくね?」
ホットパンツを履いていることもあって、千笑の脚はかつてないほどに露出度が高い。すらりとしていて、けれどただ細いわけではなく、適度に筋肉もついていて張りのあるその脚は、男の俺はもちろん、女性が見ても「美しい」とため息を吐く代物だろう。
「そのふくらはぎのカサブタがなぁ、ちょっと残念……」
「あーこれ? これさぁ、めっちゃノイバラが刺さったんさね……」
「うん、知ってる。この前聞いた。あの、カニの川に行く途中だろ?」
「あれ? 言ったっけあたし」
「頼むから、あんまり無茶するなよ。あと、山に行くときはせめて長ズボンで行け。お前のその綺麗な脚をこれ以上痛めつけるな」
「はいはーい。なんかさ、トモくんって……お父さんみたいんね」
……まぁ、こう見えても……中身は22歳だからな、俺。
その後、近くの店で買い物したり射的ゲームを楽しんだりしてデートを堪能した俺たちは、名残惜しむ気持ちを抑えつつ、遊歩道の入り口まで戻ってきた。赤く染まり始めた空には、ねぐらに帰るであろう数羽のカラスが、「カァーカァー」と声を上げながら飛んでいた。
「……もう、カラス……いなくなっちったんだいね、そういえば」
「……そうだな。つまり、今日はこれで解散か」
「なんだか切ないよ、トモくん……。すごい……寂しい」
そう言う千笑は、今にも泣き出しそうな表情をしている。きっと、ここに来て色々な感情がぶり返してしまったのだろう。
そんな千笑を放っておけなくて、ついに俺は……彼女をそっと抱きしめた。千笑は、黙って俺に身体を預けてくれた。小さくて少し華奢な肩は温もりがあって心地よく、かすかに漂う女性らしい芳香は、化学薬品のようなあからさまな香水臭とは全く違うものだった。
「明日も……会えるよね?」
震える声でそう言ってきた千笑に、「あぁ」……と返事をしようとしたとき。ポケットに入っていた俺のスマホが、バイブ音を轟かせた。