釣り堀にて
「五十嵐果歩です。なんか、千笑に誘われたんで来ちゃいました。今日はよろしくお願いします」
そう言って、律儀に頭を下げるポニーテール娘の果歩さん。なるほど、千笑と同じダンス部の部員か。しかし、性格が千笑とは真逆だな。
「でね、この子が都会っ子のトモくんだよー。なんつうか、カエルも触れないような軟弱もんなんだけどさ。ちなみに、いっこ先輩!!」
「矢吹知宏です。こちらこそよろしく!」
「……まぁ、都会に住んでたらカエル程度でも気持ち悪いと思うでしょ。むしろ普通じゃないのは君だ。あと、先輩には敬語使いなさい」
……いや、本当に友達? ……と、突っ込みを入れたくなるような手厳しい返しを千笑へ突き刺す果歩さん。もしかして、千笑が一方的に友達と思ってるだけなんじゃ……。千笑ならあり得そうでコワイ。
「あ、別にいちいち敬語で話さなくていいんで。果歩さんも、タメ口で構わないから」
「そういうわけにはいきません。これでも私、上下関係は尊重する人間なんです」
「果歩はあたしと違って真面目だかんねー」
「そうだな」
「おいっ!! 即答かいっ!!」
バシッと突っ込みを入れる千笑が可愛くて、見ていて癒やされる。こういう何気ない仕草も、コイツがやると萌えるんだよな……。
「そんじゃ、行くんべかぁ!! はい、みんなあたしについてきてー!!」
「というか、どこに行くの? 俺、場所聞いてないんだけど」
「それはまだひみ……」
「釣りですよ」
……果歩さん、容赦ない。千笑は秘密にしたがってたのに。俺の背後から、「かふぉぉぉおお!!」……という地を這うようなうなり声が聞こえてくるんだが、責任取ってどうにかしてくれませんか果歩さん。
「そんなん、秘密にしたってしょうがないべ? というか、秘密にしたら無闇にハードルあがんだかんね?」
「そんだけの価値はあんべがな!! こっちとら、『じゃーん、なんと釣り堀でした!!』『うぉぉぉぉお、すっげぇぇぇえ!!』っつう展開を期待してたんにさぁ!!」
「そんなんなるか!! 『じゃーん、なんと釣り堀でした!!』『え? お……おぉ、そうか』がせいぜいだっつーの都会人なめんな!!」
どうしよう、ものすごい喧嘩が勃発してしまった。というか、果歩さんの都会人に対する偏見がすげぇ。……あながち間違ってもいないけど。確かに、「じゃーん、なんと釣り堀でした!!」……って言われた場合のレスポンスは、果歩さんのほうに軍配が上がるだろう。
なお、字面だとおっさん二人の会話にしか見えないかもしれないが、話しているのは黄色い声した女子高生だってことを忘れないで欲しい。……いや、それが難しいのは重々承知だ。
「おっちゃーん、釣り来たでー!!」
しばらく歩くと、いつか下見に来た釣り堀に到着した。ここだろうとは思っていたけど、やはりここだったか。
「おー、千笑ちゃんじゃねぇか! まーず、まっさかべっぴんだいねいっつも! おらんちも千笑ちゃんみてぇなんがよかったっつったっくれぇ、うちのもんもみーんなうなづいてらぁ!」
「ちっとんべおだてすぎだんべ!! んなことべぇゆってっと、かえってでんぼっぺぇよ!」
「んなこたねぇよ! おらぁでんぼはゆわねぇ!」
……なんだこれ。たぶん俺、このおっさんと会話するの無理だわ。てか、千笑もすげーな。こんなハイレベルな会話までこなせたのか。
「そんでさぁ、今日はさぁ、埼玉ん友達に釣りやらしたいんさ」
「でぇー、おめぇ埼玉からきたんきゃ? そらくんのえれぇよいじゃなかったんべ?」
「……え? あ、……は?」
……なんて言ったんだ今。おっさんの言葉が聞き取れなくて焦っていたら、千笑がそっと「来るの凄く大変だったでしょ、だって」……と耳打ちしてくれた。……そうだ、ここはグンマー帝国だった。
「え……えぇまぁ。大変でした」
「まぁ、なんだいね、いっぺぇ楽しんでってくんな!」
……今の、楽しめって言ったのか楽しむなって言ったのか、どっちだろう。……てかもう、群馬の言葉怖い。喋るの速いし。
「でさ、おっちゃん。ちっと相談があるんさ。今あたし……懐が寂しくて……。料金なんだけど、二竿で……三千円とかんなんねぇ?」
「んなん、千笑ちゃんためならわきゃねぇよ! いにきりいっぺぇ釣ってくんない!!」
そう言って、おっさんは竹竿にひもをくくりつけただけのように見える簡単な作りの竿を、二本渡してくれた。一竿につき三匹まで釣っていいらしい。ちなみに、「トモくんは客だからお金は払わなくていいよ!!」とは言われたものの、割り勘率を巡ってまた千笑と果歩さんが喧嘩しそうだったので、結局千円払った。
「よーっし!! いっぺぇ釣るんべぇ!!」
「うん、一人二匹までだかんね?」
果歩さんの言葉に「わかってるって!」と返しながら、一人走って先に行ってしまう千笑。果歩さんは千笑を追うことなく悠々と歩いていたので、俺も一緒になって歩いた。
「……果歩さんは、さっきの会話聞き取れてたの?」
黙っているのも気まずいので、歩きながら会話を試みてみる。
「んー、微妙です。私も、さすがにあのレベルになるとキツイですよ」
「あ、そうなんだ。なんだろう、少し安心した」
「草津は……群馬の中でも特に田舎なので、前橋の方と比べれば訛ってる人は多いけど……千笑レベルの人はあんましいませんね。特に若い世代は群馬弁とか恥ずかしがるんで。千笑の訛りが強いのは、周りにお年寄りが多いせいなんですけど……。ちょっとワケがあって、普段はかなり押さえてるんです」
「ワケ……?」
「また後で話します! 千笑が待ち焦がれちゃうんで!」
ふと前方を見ると、堀の前で千笑が両手をぶんぶん振っていた。……というか、その手は既に魚らしきモノをつかんでいる。
「二人ともおーそーいー!! あたし、もう釣っちったかんね!!」
「……は? え? その、手に持ってるヤツって……今釣ったの!?」
「そうっさぁ! ホントはニジマス釣りたかったんに、二匹ともイワナだった……」
「いや、なんていうか、釣るの早くね?」
よく分からない理由で若干しょんぼりする千笑に、俺は言った。だって、早すぎるだろいくらなんでも。残りの時間は何してるんだ?
「ほら、竿が二本しかないからさ。ビギナーな二人に集中して貰おうと思って。急かされるよりいいべ?」
「そう言われたらそうかもしれないけど……。てか、果歩さんも初心者なの?」
「全くの初心者じゃないですけど、千笑には敵いません……」
「まぁまぁ、二人ともガンバ!! あたしは先に魚食ってっから!!」
そう笑いながら、千笑は魚の尾びれ付近をつかんで、近くの岩に「ベチン!!」と頭を叩き付けた。……おい、ちょっと待て。
「食う……って、今ここで食うのか!? てか、食うのそれ!?」
「そりゃそうだよ。ここで食わないでどこで食うんさ? 釣ったら食ってやんなきゃ、魚も可愛そうだべ?」
「逃がすんじゃないのか……?」
「逃がすくらいなら、最初っから釣んないよ。魚も弱るし、ゲームフィッシングは嫌いなんさ。少なくともあたしは、釣った魚は食う」
千笑の手元でピクピク痙攣する魚を見つめながら、俺は言葉を失った。……なんだか、俺のイメージしてた釣りと違う。その魚だって、ついさっきまでこの池で元気に泳いでたヤツだろ? ……複雑な気持ちになる。
「あーあ、私もお腹すいちゃった。早く釣って食べたいなー」
そんな俺の隣で、果歩さんが平然と釣り糸を堀に垂らし始めた。どうやら、果歩さんも釣った魚を食うことに抵抗がないらしい。そりゃ、俺だって魚を食べることに抵抗を感じたことはないけど……。
「なにぼーっとしてんのさ? トモくんも早く釣っちゃってよ!!」
千笑の言葉で我に返った俺は、「お……おう!!」と竿を手に取る。
「…………」
「……トモくん? どうしたん?」
竿を取って、青ざめる。もしかしなくとも、この針の先に……ミミズをちぎってくくりつけたりしなきゃ、ダメなんじゃないか……?