5話
純粋な力の差は歴然であった。カミキリがヤスの腕を握るだけで肉が弾けて骨が砕ける鈍い音がする。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっ!」
ヤスは痛みのあまりに狂ったように叫びをあげた。
カミキリは握っていた腕を放す。握られた前腕部分を中心に片腕は完全に折れており、重力に従ってあらぬ方向を向いていた。肉同士で辛うじて繋がってている状態であり、それを見た取り巻きの男たちは目の前で起きたことに動揺して一瞬行動が止まる。
「アニキッ!よくもっ!」
ルリリたちを捕まえていた配下の1人が声を荒げると我に返った残りの配下達がルリリたちを放置して一斉にカミキリに群がるように囲む。
カミキリはそれに対処するために構える。
「……」
『「……」』
男たちは怒りの声を上げるのに反して冷静であった。同じ目に合わない様に仲間たちと目配せしながら手や足を先に封じるためにタイミングを計る。
「とったっ!」
「無駄だ」
カミキリに捕まれないように連携して引っ付いて拘束しようとする。
しかし、カミキリは最初から何も引っ付いていないような軽やかな動きで手足を捕まえた男たちを引きはがして投げるを繰り返す。不意打ち気味に投げられた側は受け身を取る間もなく、木や地面に強く打ち付けられて気絶していき徐々に数を減らしていく。
「ここですぜっ!」
それでも男達を投げた一瞬は動きを止める。カミキリのその隙を突いてヤスは脂汗を掻きながらも折られていない方の腕で懐のポケットから黒い鉄の塊を取り出した。
「喰らえやぁっ!」
叫び声と共に懐から取り出したそれをカミキリに向けてそれを放つ。火薬の炸裂する光と音にリルルとルリリは思わず目を閉じた。
「じゅ、銃……」
リルルは目を開けると声を震わせてそう呟いた。
ヤスが使った代物を知っていた。銃。いわゆる拳銃と呼ばれる火薬を使って鉄の弾を高速で飛ばす代物の1つであった。
それ自体はそれなりの過去から存在しており、神人が現れてからはその全ては彼らに管理されている代物。神人の管理する組織かそれを掻い潜った非合法の犯罪組織の手にしか存在しなくなった代物である。
ヤスの持っている拳銃は代物は特殊な装備を身に着けている人間や進化した動物たちを総称した魔物や神人からすれば威力が低くてまともに使う意味のない物であるが、それでも一般の人間や普通の動物くらいであれば1発でもその生命を奪う事は動作もない代物であった。
そして何よりもそれを持っているという事自体が彼らが神人の息が掛かっているという証明であった。仮にそうでなくても大きな組織や裏を牛耳るような組織にしか存在しないような代物である為、目の前のヤスと呼ばれた男を倒したとしても今の状況が非常に危険な状態であることをリルルは理解する。それを正面から喰らったカミキリの服には銃弾の跡が見えた。
倒れてはいないが、カミキリはその場で動きを止めていた。
「は……はは。つい撃っちまったが、やっぱすげぇぜ。これは」
ヤスは銃と撃ちこんだ相手を交互に見ながら笑い声が出る。何度も撃ったことがあるが、それでもその威力には感動しているようであった。
だが、それは長く続かなかった。
「……それで終わりか?」
「なっ」
「えっ?」
「へっ?」
ヤスは目の前の光景に驚愕する。少し遅れてリルルたちも固まった。ヤス達の視線の先には何事もなかったかのようにカミキリが立っていた。
「なっ! どうしてっ!?」
カミキリが近づくとヤスは声を張り上げた。本来であればきちんとした装備がなければ、よほどの当たり所が悪くない限りは即死の射程である。仮に生きていたとしても行動できなくなる上に狙いやすい胸元を狙った。
「当たったはずだろうがっ!」
ヤスの怒号を続けながら銃の弾がなくなるまで撃ち続ける。確実に当たったのが分かるレベルで服の胸元に何か所も穴が開く。
それなのに何事もなかったかのように動き続けるカミキリに動揺するのも無理はなかった。
「痛かったぞ」
そういってさらに一歩近づくとカミキリの服の上着の中から拳銃の弾がひしゃげた状態で落ちた。胸元から覗く穴を見るとカミキリの体に撃たれた跡はあるが、その表面は一切超えていないかった。
明らかに銃弾がカミキリの肉体に負けていることに気が付いて初めてヤスは恐怖した。一方で淡々とした様子でカミキリは近づく姿にヤスは得体のしれない何かに見える。
「ばっ! ばけものっがぁぁぁ!」
ヤスは目の前の相手に錯乱したように片手で銃本体を使って殴り掛かった。
しかし、カミキリにぶつかるとあっさりと降り降ろした銃本体が弾き飛ばされる。カミキリは無言でヤスを見た。
「……」
「まっ! 待てっ! 何がほっ――」
「お前の言うものなんぞいらん」
カミキリは無言で刀を鞘に入れたままの状態で振り上げる。
ヤスは交渉しようとするが、カミキリは問答無用で鞘を振り降ろした。脳天に鞘に振り降ろされると頭蓋が砕けそうな鈍い音が響く。
「安心しろ。殺しはしない」
カミキリがそう言うとヤスは気絶する。
カミキリは倒れたヤスを片手で無造作に持ち上げると戸惑う取り巻き達に向かって雑に投げる。一番ヤスを信頼していそうな声を出していた男に向かって投げると避ける間もなく巻き込まれて意識を失う。
起きている者が全員いなくなるとカミキリは言った。
「ふぅ。とりあえず全員倒したか。2人共無事か?」
「はっ! はい! 神人様っ!」
カミキリはひと仕事を終えた様子で軽く息を吐くとリルルとルリリの姉妹にたずねる。それにリルルは緊張した面持ちで返事が返って来る。その声は少しでも粗相をしたら殺されてしまうかもしれないという悲壮に満ちた顔であった。
「いや。俺は神人じゃないぞ。神人らしい能力は持ち合わせていない。ただの人間だ。だからそんな畏まった口調じゃなくていい」
「えっ!」
「うそっ!」
カミキリの言葉にリルルはおろか先程まで呆然としていたルリリすら声を上げた。あそこまで人間離れした行動を見せられて神人ではないという情報の方が信じられなかった。
「じゃっ! じゃあなんであの銃効かなかったの?」
その答えにルリリはカミキリに対して疑問を口にする。
「鍛えたからな。力を入れる事で肉体を鋼のよりも固くすることが出来る。それだけだ」
簡潔にカミキリが答える。しかし、ルリリには理解できない。
「それだけって……。それと片手で人が簡単に投げ飛ばされるのは初めて見たよ」
「……それこそ鍛えたからな。それに相手の方は鍛錬不足だ。これだったらあの森の方のカラスの方が怖いぞ」
「……ぷっ」
ルリリがそう言うとカミキリはしばらく考えてから先程と大して変わらない答えを返す。それで緊張が途切れたのかルリリの笑いが堪えきれなくなり声が漏れた。
「どうかしたか?」
「ううん。1人でここまで緊張したのがバカみたいだったから」
「そういうものなのか?」
「うん」
ルリリは彼女の心情を理解できないといった様子のカミキリに笑顔で答える。そんな笑顔を向けられたカミキリは少し複雑そうな表情をして言った。
「そうか。それと拘束するぞ」
「うん。お願い」
カミキリは手早く倒した男たちを男たちの用意していたロープや手錠という様な拘束具で縛った。
「なぁ。リルル……さん」
「えっ? あっ。別に慣れてないならさんはつけなくていいわ。私もカミキリって呼ばせてもらうから」
少し無理した様子でカミキリがリルルの名前を呼ぶ。それを察した彼女は無理にさんをつけなくてもいいと言う。
「分かった。なら、リルル」
「うっ」
あまり呼び捨てで呼ばれ慣れていないのか名前を聞くたびに少し硬直するリルル。その様子にカミキリは頭をかしげる。
「どうかしたのか? リルル」
「なっ! 何でもないわ。それで? 何の用?」
照れ隠しなのかすぐに思考を戻すように顔を強く数回たたくとカミキリに聞き返す。カミキリは言った。
「これらを少し離れた場所に捨てに行きたいんだが、重いのをまとめて運べるような荷車とかあるか?」
「えっ? ……えっと……それだったら薪を運ぶように荷車が向こうにあるはずよ。ルリリ。お願いしてもいい」
「うん。分かった。取ってくる」
カミキリの言葉にリルルは彼の言っているのに近い物を考えると過去に水瓶を運ぶ上で使っていた荷車の事を思い出す。それの置いてあるカミキリたちが通った家の周りの反対側を指さすとルリリに指示を出した。ルリリはそれにうなずくと直ぐに取りに行った。
「助けてくださってありがとうございます」
ルリリがいない間にリルルはカミキリに感謝した。カミキリは少し困ったように頭を掻くと言った。
「あぁ。気にするな。それと今更畏まられても困る」
「ふふ。分かったわ」
カミキリの困った様子でそう言うとリルルは微笑む。そこから少しの間沈黙した空間が出来上がる。
「ただいま。って、何かあったの?」
「何もないわよ」
「ああ」
そうこうしている間にルリリがすぐに戻って来ると微妙な空気になっている2人に頭をかしげた。リルルとカミキリは何もなかったと答えるとルリリは余計に2人の間に出ている空気が気になるが、縛られている男たちがのうめき声を聞くと一旦2人の事は置いておいてこれからのことたずねた。
「おっと。そうだった。それよりもちょうどいい場所を知っているから案内するよ? 適当に捨てて戻ってこられても嫌だから」
ルリリがカミキリに案内を買って出た。その言葉にカミキリはうなずく。
「助かる」
「ふふん。任せてっ!」
カミキリは荷車に男たちを乗せ始める。最初に腕に大怪我をしたヤスが死なない様に応急処置だけを済ませて荷車に放り込んだ。その際に目覚めそうな男は気絶したままのヤスの下敷きをして再度意識を奪うとヤスの上に放り投げるとカエルがつぶれた様な声が漏れた。
「よし。これで完了だ」
流れるように全ての男たちを乗せ終えると荷車を引く準備をする。それを確認したルリリは先頭に立つ。
「こっちだよっ!」
ルリリは最初に通って来た道の反対側の方へ歩きはじめる。彼女に案内されるままに荷車を引き始めた。