29話
リルルの放った矢はまっすぐに蛇とカミキリへと向かう。矢はカミキリたちの手前の地面に突き刺さった。
「シッー」
「っ!」
それと同時にカミキリたちの動きが止まる。完全には動きを止めれていないのか、戦いの時とは別の音のした方を向くと両者の影の体の部分に矢が突き刺さっている。
蛇が抵抗して動き出そうともがく一方で、カミキリは時が止まったかのように動きを止めた。
◆
「ここがカミキリの中……なの?」
何も見えない暗闇の中。ルリリは1人この場所で呟いた。そこはルリリの居る場所はカミキリの精神の中であるのを把握する。
本来であれば、精神の世界へなど人は来ることすらできない。が、ルリリは神であった蛇と暴走したカミキリを視た事によって、彼女は自身に眠る不思議な力を理解する。
その力を引き出すことによってが精神世界へと潜り込めるようになったのであった。
「ここにカミキリがいるはず。探さないと」
そう言ってルリリはカミキリを探す。ルリリは慣れていないことをしているためにあまり時間がないことを理解していた。深い闇の中で遠くどころか近くすらも見えないこの場所でルリリは眼を閉じる。静かに揺らぐ波紋のように自身の中の力を薄く広げるイメージをする。
「見つけた」
ルリリはわずかに暖かく感じる気配を見つけると、それがある場所へと振り向く。そのままその方向に真っ直ぐ進んで行くと突然景色が変わった。何もない空間が赤黒く染まる。
「これは……」
地獄という場所があるのであればこのような場所ではないのかとルリリは思った。精神の世界であるはずなのに焼き尽くされそうな熱量を感じる炎。憎しみとも苦しみともとれる感情たちが自身すらも焼き尽くさんとするその光景にルリリは一瞬戸惑う。
「っ! 女は度胸よっ!」
ルリリは動きを止めるが、姉が偶に口にする言葉を思い出して口に出すと炎が直撃するのだけは避けて進み始める。
「くぅっ。熱い」
ルリリは炎に突っ込んで行く。周囲の炎は彼女を拒むように燃え盛る。始めは美味く回避していくが、それも少しの間だけであった。その熱は粘つく触手のようになると彼女の予想を超えて多彩な動きを見せる。
「うそっ! 誘われたっ!」
避けた先にはすでに炎の触手が待機しており、それがルリリを包み込む。捕まると体が沸騰するような感覚に苛まれ動きが鈍った。それが好機といわんばかりにルリリに炎はまとわりついていく。
「うぅっ!」
沸騰する感覚から体の中から燃枯れている感覚に変わって行きルリリを襲う。ルリリはその場を動けずに丸まって自身を覆う熱に耐える。炎はルリリを焼き尽くさんとさらに周囲から炎が集まり彼女を焼き尽くさんと蠢く。
「っ! 熱さがなんだっ!」
身を焼かれる中でルリリは叫ぶ。力のこもった叫びと共に周囲でまとわりついていた炎がはじけ飛んだ。ルリリは肩で息をしながら、カミキリの居ると思われる方角を見る。
「はぁ。はぁ…………行かなきゃ」
そう言って再度まとわりついてこようとする炎に対して時に躱して、時に払いながら、この地獄のような場所の中枢へと進んでいく。
「この中……なの?」
そうやって進んで行った先には黒い球体があった。あの中にカミキリがいるのはルリリには感じ取れる。
しかし、鎖で360°を雁字搦めにされカミキリの姿が見えないその光景に戸惑う。
『ここに何の用だ?』
「誰っ!」
どうやって助け出せばいいのか分からないでいると背後から無機質な声が聞こえた。ルリリは振り向くとそこには人型の怪物がいた。
人型の怪物はカミキリという虫が人になったと言ってもいいような姿であった。どことなくカミキリの変身した姿に似てはいる。
しかし、その大きさはルリリの数倍はあり、カミキリよりも黒く刺々しい。
『我が名は「黒神切」。神を殺すために生まれた存在である』
「え?」
ルリリは思わず聞き返した。いきなり現れたこともそうであるが、それ以上に目の前の存在の言葉が頭に入ってこない。
『まぁ、よい。どうせここから出たら何も覚えてはおらんだろう。して。ここに何用だ』
目の前の存在は警戒しているようであるが、襲い掛かる気はないのかルリリに問いかける。ルリリはそれに我を取り戻してたずねた。
「そうだった! カミキリが暴れてるんだけどどうすれば落ち着かせれるっ!」
『カミキリ? ああ。あの依代の事か』
黒神切は雁字搦めになったカミキリを指さす。そうすると鎖の一部が解けカミキリの上半身が姿を現す。
「カミキリっ!」
『駄目だ』
「離してっ!」
カミキリの元に向かおうとするルリリを黒神切が止める。だが、ルリリが力を込めるように叫ぶと黒神切の腕が掴んだ先から崩壊する。
『ほぅ』
崩壊した腕を見て、黒神切は感心するようにルリリを見た。
「カミキリっ! 起きてっ! 起きてよ!」
ルリリはカミキリに対して声を掛ける。しかし、その声は届いていないのか反応はなかった。
『無駄だ』
「どういうことっ!」
黒神切の言葉にルリリは振り返って声を荒げた。黒神切は相変わらずの無機質な声で応える。
『我が力を御しきれずに引き出しすぎた』
黒神切がそう言うとルリリは頭をかしげる。
「何を言ってるの?」
『……我の力でこやつが暴走しているだけだ。我が干渉せずとも、しばらくすれば正気に戻る』
「でも、それだと被害が……」
ルリリは現実の方で繰り広げられている戦いを思い出して口に出す。蛇の肉や血が拡散するごとに周辺を溶かし、カミキリはそんなことを気にせずに刀を振って蛇を切り続ける。そのような状態が続けば完全に生物が住めない土地へと変わりきるのも時間の問題であった。
『なぜ被害の心配などする。神はその在り方が意思を持った災害と同義。時間はかかるが、何もせずに放っておけば奴があの蛇ごときなど葬る。あの場は死ぬだろうが、被害はあの場だけに納まるのだ。何が問題ある?』
「あの場所とその周辺の村や町にも被害が出るでしょ!」
『必要な犠牲だ』
「だからよっ! それに神を殺すって言っているけど、殺し切れるなんて分からないじゃないっ!」
ルリリは怒った様子で黒神切に言った。黒神切は考えるように腕を組む。
『否。それはあやつが我が力を御しきれていないだけだ。我の力を引出すのに失敗して殺戮衝動に飲まれた。それだけの話だ』
「だからっ! それをどうにかする方法を教えなさいって言ってるのっ! カミキリが冷静な方が確実に殺れるでしょうがっ!」
黒神切の言葉に対してルリリは強気な姿勢で言い返す。
『なぜそんなことをしなければならない?』
「なんでって。契約したんでしょ」
『確かに我が力の一端を与える契約はなされた。だが、力の使い方を教える義理はない。それ故に力の使い方は教えておらぬ』
「あぁっ! もうっ! ああ言えばこう言うっ! ならどうしたら協力するっていうのよ」
屁理屈のようなことを言って完全に協力する気のない黒神切に堪忍袋の緒が切れたのかルリリがキレる。それに対して黒神切は口を開いた。
『髪だ。髪をよこせ』
「は?」
突然の事にルリリは思わず聞き返した。黒神切もルリリが理解できていないのが分かっているのか言った。
『半分だ。貴様の髪の半分を食わせろ。それでならこやつを起こしてから少しだけ力の使い方を教えてやってもいい』
いきなり髪をよこせと言われてルリリは困惑した表情を見せる。脈絡のない言葉に対してルリリはたずねる。
「いきなり何よ?」
『契約だ』
「契約?」
『古より神が力を貸すのであれば対価が必要である。力ある女の髪というのは太古より力の塊。故に別の契約者に力の使い方を教えるのであれば、お主の髪の半分で対価としては充分であろう』
「……分かったわ。どうすればいいの」
黒神切の言葉にルリリはうなずくと言った。
『じっとしておればよい。まぁ、動けぬだろうがな』
黒髪切りはそう言うとカミキリと変わらないくらいの慎重になるとルリリの髪を優しく触る。その行動に対してルリリは何かに縛られているかのように動くことが出来なかった。
『ふむ。良い髪だ』
そう言うと黒神切は顎の鋏を開く。そのままルリリの髪の半分くらいをバッサリと切り取るとそれを食べる。
『契約は成された』
そう言うと同時にルリリはカミキリの精神世界から弾き飛ばされた。
◆
弾き飛ばされた感覚と同時にルリリは眼を開いた。
「ルリリ。どうすればいいの?」
精神世界ではかなりの時間が経ったように感じるが、現実では1秒にも満たない事を理解していた。ルリリはリルルに言った。
「もう大丈夫だよ。多分」
「え? どういう事よ? ルリリ。って! あなた髪はどうしたの。目を離した隙にすごく短くなってるし。それにそれはどういう―――」
1秒にも満たない時間で髪が先程の長さの半分くらいになっているルリリにリルルは疑問を投げかけようとしたとき。背後で大きな光が生まれる。
「何っ!?」
いきなり感じた光にルリリにたずねる間もなくリルルは振り向く。
その先には日が落ちているにもかかわらず、昼間のような温かく、それでいて力強い光がカミキリから発せられていた。




