プロローグ
大きな木々が空を遮った鬱蒼とした、どの時間なのかも狂わせるような薄暗い森の中。男と獣は対峙していた。
「グルルゥゥゥッ」
「こんな所で遭遇するとは。運がないな」
人間の男1人と獰猛な獣の1匹。
男が魔物と呼んだ獣を男は見る。図体は男よりもはるかに大きな巨大な獣が唸り声をあげる。4足歩行の獣と同じように4つの足が地についている状態ですら男の身の丈の倍近く上回る巨体。加えて前足の付け根の部分にはさらにもう2本の計6つの足があるクマのような生き物であった。
「クマ……にしてはかなり大きいな。それに足が6本。魔物に変貌しているのか? いや、それよりもあれは食えるのか?」
対して男の風貌は旅で汚れているのか埃っぽく汚れた黒髪に良く言えば眼つきの鋭い男はそうつぶやくと腹が鳴った。
「まぁ、口にしてみれば分かるか」
どこかの組織の殺し屋といっても通用しそうなほどの眼つきで目の前の魔物を見て男はつぶやく。男の恰好は旅をしているために軽装。しかも、皮鎧の類も身に着けておらず、布地の服に手には刃物が1つだけ。
だというのに一切目の前の存在に警戒した様子はなかった。容易い相手と判断したのか魔物は得物が来たと言わんばかりに喉を鳴らして凶暴な雄たけびを上げた。
「ガアアアァァァッ!」
魔物は戦いという場において自身を鼓舞するように咆哮。咆哮に対して男は怯むことなく自身の武器を手に構えた。武器を抜かずに力も入っていないような姿をさらす。
それだけのはずなのに魔物は警戒を強める。
「ッ!」
警戒した様子で4つの足で周囲を走り回りながら気を窺う。逃がさないように注意しながら男の背後をとった瞬間。クマは一気に距離を詰める。周囲にある樹木どころか目の前の男であれば紙くず同然のように切り裂けるような鋭い爪が両側から同時に襲い掛かる。対処し辛い左右からの同時攻撃で狡猾に男を仕留めようとする。
「——」
男は抵抗することなく、クマの腕を受け入れる。叩きつければ確実に即死するか、もしくはそうでなくても爪によってバラバラにされてクマの魔物が多くの獲物を自身の食糧にしてきた必殺の一撃。
しかし、目の前にはクマがいつも見ている光景とは全く違う光景があった。
クマの目の前には無傷の男が立っていた。クマは何かの違和感を感じたのか振り抜いた2本の腕を見る。
振り抜いたクマの腕はひじの関節辺りから先が消え去っていた。少しするとクマの腕が遅れて降ってくる。余程の高さから落ちてきたのかものすごい勢いで地面に叩きつけられるとクマは吠えた。
「グア゛ア゛ア゛ァァァッ!」
少しでも目の前の相手を遠ざけようと暴れ回る。男は振り回す腕の当たらない位置まで一度下がった。
「すまないが俺の糧となってくれ」
男は無差別に暴れるクマのタイミングを見ながらそういうとクマの知覚できない速度で通り抜けた。そこから少し遅れてクマは動きが止めるとクマの首から上が落ちた。
男は振り返ってクマの死体を見た。
「これだけあれば肉についてはしばらく困らないな。戻れば塩はあったはずだから干し肉も作れる」
死んだクマに対して短く手を合わせる。男は自身の体を優に超えるサイズの死体を苦にもせず持ち上げると男は自身の荷物を置いている場所へ運び始める。しばらく抱えたまま歩き続けると拠点にしていたたき火のある場所にまで戻る。
そこには荷物を荒らすカラスの姿があった。
「あ」
「カァ……」
男とカラスの目が合う。カラスは荷物を入れていた男の鞄の中から取り出したであろう干し肉を落とす。少し離れた場所には男の鞄とその中身が散乱した状態で地面に転がって行った。
「まっ!」
目の前の光景に互いに動きを止めていたが、先に動いたのはカラスであった。カミキリが呼び止めようとするが、それよりも早くカラスは干し肉を加えなおしてから飛びあがる。
「待てっ!」
「カァカァ」
嘲笑うようにカラスが飛んで行く。しばらくは後を追うが、カラスの飛行の方が1枚上手なのか男の前から姿を消す。
「……逃げられた」
カラスを完全に見失うと男は呆然とした様子でつぶやいた。しばらく呆然としてからため息をつく。男は干し肉を諦めると散乱した荷物を確認し始めた。
「携帯食。干し肉。干した果物……食べ物は全てやられたか。水も……飲まれていないが、倒されてほとんどない……だと。下着……は一応無事……といえるのか? 」
男は険しい表情で散乱していた荷物を確認する。カバンの中にあるはずであった携帯食と干し肉、干した果物は全て持っていかれていた。それに加えて水を入れていた袋はくちばしで器用にふたを開けられたような跡があり、倒されたせいで中身の水はほとんど残っていない状態であった。
散らかっている中の着替えの下着にはご丁寧に尻の所だけに穴が開いているが、使えない事もない状態であった。
「明日からどうするか……」
それらを見た男はがっくりと肩を落とす。
しばらくその姿勢のままでいると上空から飛んでいる複数のカラスの姿と人をバカにしたような鳴き声が聞こえた。甲高い鳴き声に男は苛立ちが募る。
「うるさいな……」
行き場のない怒りをつぶやきながら心を落ち着かせる為に男は深呼吸した。しばらく考えるが、さすがにどうしようもないことに思い至ったのか自身の頬を叩いて意識を切り替える。
これから歩き続けることを考えると食料もそうであるが、それ以上に水が足りない事を男は確信する。
だが、この現状をどうにかするには方法がない。
そんな思考にふける男を妨害するようにカラスは鳴き続ける。それを見てやられた怒りともうどうしようもない状況に男は行き場のない感情を発散する事も出来ずに上空を飛びまわるカラスに視線と思考が乱される。
「かぁ……」
飛んでいるのとは別に近くで鳴き声が聞こえた。男は現実に引き戻されて声のする方を見る。
「まさか……」
嫌な予感に男はつぶやく。声は先程仕留めたクマの死体がある方角であった。視線を向けると複数のカラスが音もなく、群れでクマを上空へと持ち上げている所であった。
カラス達は男と目が合うと音を立てながら速度が上がる。クマの体を運びながら。
連携して飛び立つカラスを見た男はせめてもといった様子で追い払うために手元にあった石を投げるが、旋回してクマの肉を盾にする。そのまま男が思っているよりも速い速度で木々よりも高い位置へと浮かび上がる。
「――――っ!」
声にならない怒りに合わせるように大きな音が鳴る。男が地面に足を叩きつけた音であった。跳ねるようにジャンプするが、それでもカラスが群れで飛び上がる方が速かった。
掴もうとしたクマの肉に手を伸ばすが、伸ばした手は空を切る。そのまま失速すると何もつかめていない状態で地上へと落ちる。
着地した男は獲物を横取りしたカラス達を見る。その姿はあっという間に見えなくなっていた。男は諦めたのか無言で残った物を再確認する。残っているのはわずかに残った水と穴の開いた下着類と鞄だけ。
食べ物だけは全て持ち去られていた。
「……はぁ。これは諦めるしかないな。次の得物が現れる事に期待しよう。っ!」
ようやく我に返ったのか男は疲れたように肩を落としながらも開き直ったのかため息を吐きながら軽快する。
「わずかに揺れた気がするが……気のせいか。っと。まずは水だけでも確保しないとな」
特に何もない静寂な森が広がっているのを確認すると男は旅を再開するために少しだけ残った水を大事にしながら新たな水と食料を求めて森の中を再びさまよい始めた。
ブクマや評価、感想など貰えるとテンションが上がり、やる気に繋がるのでよろしくお願いします。そして、楽しんでもらえると一番ありがたいです