学園の王子様と義姉弟になったけど恋愛フラグなど立たない
竹田明日美、高校3年生。この春、新しいお母さんと弟が出来ました。
10年前にお母さんが病気で亡くなってからずっと、男手1つで私を育ててくれたお父さんが、この度再婚することになったのです。
再婚相手の大宮恵那さんは若くてきれいな人で、連れ子である私のこともとても可愛がってくれました。
そして義弟になった尚斗君ですが……なんと、同じ学校に通う一年下の後輩でした。
しかも、私はよく知りませんが、友達に聞いたところによると、学園の王子様と呼ばれるくらい人気がある子らしいです。
そのアイドル顔負けの整った容姿に加え、成績優秀スポーツ万能。
それでいて人当たりも良く、男女問わず人気を集める学園の王子様。
校内には、親衛隊という名のファンクラブが数十人規模でいるらしいです。友人曰く。
そんな尚斗君が、私の新しい家族です。
ずっと1人っ子であった私に出来た、初めての弟。憧れの兄弟です!
これは是非とも仲良くなりたい! そう思って、両家の初顔合わせの後、2人だけになったタイミングで、気合いを入れて「これからお願いします!」と手を差し出したんですけど……。
「はあ? 俺がお前みたいなもさい女を相手にするわけないだろ? 言っとくけど、俺はお前なんかを姉として認める気ないからな」
……あら? 人当たり……いい?
「なんだよその間抜け顔」
「い、いえ……友達に聞いてた話と少し違うので……」
「はっ、あの学園の王子様ってやつか? 演技に決まってんだろ? 明るく優しくニコニコ振舞ってれば、どいつもこいつも簡単に騙されてくれるからな」
……あらら? どうやら尚斗君は、聞いてた通りの絵に描いたような好青年という訳ではないようです。
「いいか、母さんの手前再婚自体は反対しないけど、俺とお前はただの他人だ。間違っても、調子に乗って学校で話しかけたりするなよ。姉弟になったってことも誰にも言うな。分かったな!」
……尚斗君は一方的にそう言い放つと、私を置いて行ってしまいました。
結局、握手には応じてくれませんでした。
まだまだ打ち解けるのには時間が掛かるようです。
でも今の発言で、一見怖そうな尚斗君が実はお母さん想いな優しい子だってことが分かりました!
私も家族の一員として認めてもらえるよう、頑張らないといけませんね!
* * * * * * *
少しずつ距離を縮めていこう。
そう思っていたのですが、その顔合わせの1週間後には、私とお父さんの住む家に恵那さんと尚斗君が移り住むことになりました。
しかも、そのまた1週間後には、お父さんと恵那さんは2人で海外に新婚旅行に行ってしまいました。それも1カ月も。
お父さんは昨年使わなかった分と今年分の有休を、この機会に使い切るつもりみたいです。
その結果、私は突然尚斗君と1つ屋根の下で共同生活をすることになってしまいました。
いきなり物理的な距離が急接近してしまいましたが……しかし、これはいい機会です。
この機会に、家族としての関係をきっちり築いてしまいましょう。恵那さんにも「尚斗をよろしくね」と頼まれたことですしね!
幸い、お父さんと2人暮らしだった頃から家事は私の担当でした。
特に料理に関しては、そこら辺の主婦には負けないだけの腕があると自負しています。
なので、まずは料理で尚斗君の胃袋を掴みましょう。
「男はまず胃袋を掴め」とよく言いますしね。
「おいしい料理を作る」 → 「一緒に食事をするようになる」 → 「会話が弾む」 → 「次第に打ち解ける」 → 「仲の良い姉弟になる」
うん、我ながら完璧じゃないですか? この計画。
ということで、早速今日の夕飯から始めましょう!
「尚斗君! 今日は何を食べたいですか? 私、何でも作りますよ!」
「いらねぇよ。友達と外で食ってくるし」
……あら?
* * * * * * *
き、昨日は少し出鼻を挫かれてしまいましたけど、今日こそは一緒に食事をしてもらいましょう。
いつもよりも早くに起きて、気合いを入れて朝食を作りました。
すると、エプロンを外したところでちょうど尚斗君が二階から降りて来ました。
「おはようございます、尚斗君。朝食出来てますよ。一緒に食べましょう?」
「……はあ? いや、俺いつも朝飯食わねぇし」
……あらあら?
「で、でも朝ご飯食べないと健康に良くないですよ? せめてトーストだけでも食べません?」
「食わねぇっつってんだろ。サッカーの朝練あるからもう行くわ」
そう言うと、尚斗君はさっさと玄関に向かってしまいます。
このままでは行ってしまうと思った私は、慌てて弁当箱を引っ掴むとその後を追いました。
「待ってください! お弁当を用意したんです。朝ご飯の代わりでもいいですから、持って行ってください!」
これも自信作です。私のお弁当は、いつもお父さんに褒められていました。
これなら受け取ってもらえるだろうと思ったのですが……返ってきたのは冷たい視線でした。
「はあ? お前馬鹿か? 手作り弁当なんて持って行ったら、クラスの奴らに騒がれて鬱陶しいことになるだろうが。そんくらい考えろよな」
「あ……」
たしかに、そうかもしれません。
尚斗君は、学園の王子様と呼ばれるくらい人気があるんですから。
そんな尚斗君が誰かの手作り弁当を持っていたら、騒ぎになるという可能性を完全に失念していました。
そして、私が思わぬ指摘に呆然としている内に、尚斗君はさっさと学校に行ってしまいました。
……仕方ありません。これは私のミスです。
尚斗君の分のお弁当は、お友達にあげるとしましょう。
朝ご飯は……捨てるのももったいないですし、食べられるだけ食べましょうか。
* * * * * * *
その翌日、私は昨日と同様に先に出ようとする尚斗君を呼び止めました。
「尚斗君! これ、お弁当です!」
「はあ? だから手作り弁当なんて――」
振り返った尚斗君の言葉が止まります。
その反応に、私は得意げに言いました。
「手作り弁当だと、分からなければいいんですよね?」
今日のお弁当は、コンビニ弁当に使われているような使い捨ての弁当箱に入れてあります。
念には念を入れて、コンビニのビニール袋まで用意しました。
流石に値札まではついていませんが、これなら一見コンビニ弁当のように見えるでしょう。
「恵那さんから聞いた尚斗君の好物のから揚げも入ってます。これならいいでしょう?」
「……チッ」
笑いながらお弁当を差し出すと、尚斗君は舌打ちしながらも受け取ってくれました。
ふふふ、勝ちました。
「……うざっ」
……達成感からニヨニヨ笑っていると、尚斗君にウザがられてしまいました。
どうやら、まだまだ姉として認めてくれる日は遠いようです。
* * * * * * *
それからというもの、尚斗君は私の料理を食べてくれるようになりました。
なんでも、電話で恵那さんにちゃんとご飯は食べるように言われたそうで……やっぱりお母さんの言うことはちゃんと聞くんですね。
残念ながら、尚斗君は自分の部屋で食事を済ましてしまうので、一緒に食事という当初の狙いは果たせていないのですが……それでも大きな前進ですよね!
そんな風に、思っていたのですが……
「あっ、ん……尚斗ぉ……」
「声を出すなよ……ここがいいんだろ?」
こ、こここ、これはどういう状況なのでしょううぅぅぅ!?
先生に頼まれて訪れた資料室にて、なにやら声が聞こえると思って覗いてみたら、そこには派手だけど美人な女の子と濃密なキスをする尚斗君の姿がががが。
ふぅ……お、落ち着きましょう。
どうやら尚斗君は、彼女さんと秘密の逢瀬の最中のようです。
学園の人気者である以上、彼女さんとの逢瀬にも気を使わないといけないのでしょう。いらぬ嫉妬を買うかもしれませんしね。
ならば、今私がすべきことは2人に気付かれないようにここを去ること。
先生には……適当に言い訳するとしましょう。
そう決めると、私は音を立てないようにその場を後にしました。
* * * * * * *
「はあ……尚斗君とどんな顔して会えばいいんでしょうか……」
その日の夕方、私が重い足取りで家に帰り着きました。
別にわざとではないのですが、人の逢瀬を盗み見てしまったのは確かです。
それが見知った相手だと思うと、どういう態度で接すればいいのか分からなくなってしまいます。
「いえ、気にしなければいいんですよね。そう、私が平常心でいれば何も問題ないんです!」
平常心、平常心と自分自身に言い聞かせながら、洗面所のドアを開けると――――
「あん?」
「え……」
そこには、下着姿で髪を拭く尚斗君の姿が。
「――――――っ!!?! す、すみません!!」
慌てて顔を背けると、そのまま洗面所を飛び出します。
しかし、数歩も行かない内に顔の横を何かが通り過ぎて――――
ドンッ!!
突然響いた音に思わずビクッと体を縮こまらせて、そこで音を立てたのが背後から伸ばされた腕だということに気付きました。
いつの間にかすぐ背後に上半身裸の尚斗君が立っていて、リビングへと続く廊下を腕で塞いでいるのです。
こ、これはまさか……噂の壁ドンというやつなのでしょうか!?
そんな! いっくんにもされたことないのに!
「あ、あの……」
「お前さぁ……今日、見ただろ」
それが、あの秘密の逢瀬のことだということはすぐに分かりました。
自然と脳裏には、お互いの体に腕を回しながら濃密なキスをする2人の姿が浮かんでしまいます。
ど、どう答えるべきなんでしょう?
とぼける? いや、尚斗君のこの口ぶりからしてそれは難しいでしょう。
となると……
「見てたよなぁ?」
「ふひゃっ! み、見ました。すみません!」
ずいっと近付かれた分だけ反射的に横に飛び退くと、肩が壁に当たってしまいました。
ど、どうしましょう。
目の前は尚斗君の腕、右は壁で左には上半身裸の尚斗君。あれ? なんでこんな状況になってるんでしょう?
「あ、あの……彼女さんとの逢瀬を覗いてしまったことは謝りますから、とりあえず服を着てください!」
「……なに? 照れてんの?」
ふひゃあ! な、なんで近付いて来るんですかぁ!?
耳に、耳に吐息がぁ!?
「離れ、離れてください!」
「……離れていいの?」
おや? なにやら尚斗君の声色が?
なにやら声色が艶っぽくなったことを怪訝に思って振り返ると、そこにはなにやらいつになく妖艶な笑みを浮かべる尚斗君の姿が。
その口元には柔らかでありながらどこか誘うような笑みを浮かべ、それでいてその細められた目には野獣のような輝きが…………ってなんですかこれ? いつもの尚斗君との間にギャップがあり過ぎて正直違和感しかない……というか、すみません。少し気持ち悪いです。
「そんなに赤くなって……意外とかわいいところあるじゃん。……なあ、俺とあいつのキスを見て、本当は羨ましかったんだろ?」
そんなことを言いながら、私の頬に手を伸ばし、その顔を近付けてきます。
なので、とりあえず額に手を置いて接近を阻止しました。
「熱は……なさそうですね」
「は……?」
私がそう呟くと、尚斗君はぽかんとした表情になりました。
どうやらからかわれたようです。
「早く服を着てください。湯冷めしますよ。あと、いくら姉弟でも……いえ、姉弟だからこそ、そんな風に女の子をからかうのは感心しません。彼女さんにも失礼でしょう?」
出来るだけ尚斗君の方を見ないようにしながら、尚斗君の腕を潜り抜けると、私は肩越しにそう言いました。
すると、尚斗君は小さく舌打ちをした後、洗面所に戻りながら言いました。
「別に……あいつは彼女なんかじゃねぇし」
「は……?」
彼女じゃ、ない……? え? でもキスしてましたよね?
「どういうことですか? 彼女じゃないなら、なんであの女の子とキスをしていたんですか?」
洗面所のドア横からそう問い掛けると、尚斗君はなんでもないような口調で衝撃的なことを言いました。
「別に彼女じゃなきゃヤッちゃいけないわけじゃないだろ? お互い後腐れない体だけの関係だよ」
「か、から、だ……」
突然の生々しい言葉に、顔が熱を持つのが分かります。
そのまま口をパクパクしていると、服を着て出て来た尚斗君がそんな私を見て小馬鹿にしたような笑みを浮かべました。
「あんたみたいな典型的な喪女には刺激的過ぎたか?」
……もじょ? 一体どういう意味でしょう?
それはともかく、私は姉として尚斗君に聞かなければならないことがあります。
「まさかとは思いますけど……まだ他にもいるんですか? そういう関係の子」
「まあな。なんせ俺は学園の王子様らしいしな」
「一体何人いるんですか!」
「さあな。数えたこともねぇよ。女なんて、所詮どいつもこいつも上辺しか見てないバカばっかりだからな。優しい顔で甘い言葉掛けてやればコロッといっちまうし」
そう言う尚斗君の表情は、その言葉に反してどこか苛立ちと悲しみを帯びているようで……私は眉をひそめてしまいました。
「なんだよその顔。女の敵だとでもいうつもりか?」
「いえ……ただ……」
ただ……そう、
「八つ当たりで、自分を安売りするのは良くないと思いますよ」
「……は?」
自分でも、なんでそんなことを言ったのかは分かりません。
それでも、その言葉は何らかの形で尚斗君に響いたようです。
尚斗君の目が、意表を突かれたように大きく見開かれました。
しかしそれも一瞬のことで、その顔は見る見る険しくなってしまいます。
「……んだよ、それ」
最後に俯きながらそう言い捨てると、尚斗君は不機嫌そうな様子で二階へ上がって行ってしまいました。
* * * * * * *
『それで、どう? 尚斗とは仲良くやれてる?』
「うぅ~ん、どうでしょう?」
その日の夜、いつも通り別々の部屋での夕食を終えた後、私は恵那さんと電話をしていました。
『やっぱり難しいわよねぇ。あの子も気難しいところがあるし。あれでも、根っこの部分はいい子なのだけど……』
「それは……そうですね」
少なくとも、母親想いであることは確かなのでしょう。
お母さんの幸せの為に再婚を了承し、きちんとお母さんの言うことは聞いているのですから。
その優しさを、少しでもいいから私にも向けて欲しいところですが……。
そこで、私はふと思い出しました。
「そう言えば、ありがとうございました。尚斗君にご飯を食べるように言ってくれて」
恵那さんがそう言ってくれたからこそ、尚斗君は私のご飯を食べてくれるようになったのですから。
恵那さんのその言葉がなかったら、今頃私と尚斗君の距離はもっと開いていたでしょう。
そう思っての感謝の言葉だったのですが、それを聞いた恵那さんは……
『え? なんのこと?』
「え?」
心底怪訝そうなその声に、私も首を傾げます。
「恵……おかあさん、が尚斗君に言ってくれたんですよね? ちゃんとご飯を食べなさいって」
『わたしが? そんなこと言ったかしら……』
どうやら記憶にないようです。
まあ、本当に何気ない会話だったのかもしれませんしね。別れの言葉のついでに言ったとか……。
「いえ、覚えていないのならいいんです」
『そう?』
「はい。……それにしても、やっぱり尚斗君はあまり私に心を開いてくれていないみたいです……」
『そうねぇ……あの子、ちょっと女性不信なところがあるから……』
「女性不信、ですか?」
『そうなの。あの子、あんな目立つ容姿をしているじゃない? それで、まあ昔色々とあって……』
「そう、だったんですか……」
女性不信。
その言葉に、ふと閃くものがありました。
あのどこか投げやりな様子で言い放った、「女なんて、所詮どいつもこいつも上辺しか見てないバカばっかりだからな」という言葉。
あれはもしかしたら、尚斗君の秘めたる願望の裏返しなのではないでしょうか?
つまり、上辺だけじゃなく自分の本質を見て欲しい、という……。
「おかあさん、ありがとうございます。とても参考になりました」
『あらそう? それじゃあそろそろ切るわね。またね』
「はい、それでは」
電話を切ると、私はベッドに身を投げ出しました。
まだ固まってはいませんが、尚斗君に家族と認めてもらうのに何が必要か、少し分かった気がします。
そしてそれにはやはり、会話が必要です。
「そうなると……そうですね。やっぱり尚斗君にはリビングで食事をしてもらいましょう」
そう心に決め、私は眠りに就きました。
* * * * * * *
「……なんだよ、これ」
「見ての通りです。今日から尚斗君には、リビングで食事をしてもらいます」
翌朝、リビングに降りて来た尚斗君に、私はそう言いました。
普段なら尚斗君の分の食事はお盆に乗せておくのですが、今日は全部テーブルに並べられています。
「はあ? なんで」
「なんでも、です」
そう言うと、尚斗君は不機嫌そうな顔で私を睨んだ後、舌打ちをしながらも一応席に着いてくれました。
それに気を良くした私は、食事をしながら尚斗君に色々と話を振ってみました。
最初は嫌々受け答えをしている感じでしたが、夕食の席では尚斗君も観念したのか、それなりにちゃんとした会話が出来るようになりました。
それからは毎日一緒に食事をし、日を追うごとに私は尚斗君について多くのことを知るようになりました。
好きなもの、嫌いなもの、学校でのこと、サッカーをやってて楽しいこと、その他にも色々。
1週間が経つ頃には、なんだかんだで普通に会話が出来るようになってました。
やはり、食事をしながらの会話から始めたのは正解だったみたいです。
まだ素っ気ないところはありますが、そもそも会話すら避けられていた最初の頃に比べれば、大きな前進です。
これは、姉さんと呼んでもらえる日もそう遠くないかもしれません。
お父さんと恵那さんが帰って来るまであと約2週間。
それまでに、絶対姉さんって呼ばせてみせますからね!!
* * * * * * *
そんな決意を固めた翌日、私がリビングでDVDを見ていると、尚斗君が入ってきました。
「……なにこれ? ライブDVD?」
「はい、Blue DreamersのDVDです」
「……へぇ」
……あら? 急に声が冷たくなったような……。
DVDを停止して振り返ると、そこには声と同様に冷たい顔をした尚斗君の姿が。
その表情は、出会った当初のものと同じで……
「ど、どうしたんですか?」
「別に? ただまあ、お前も所詮、そこら辺にいる面食いバカ女と何も変わらないってことか」
「な、なんですかそれ!?」
たしかに、Blue Dreamersは全国レベルで活躍する実力派ロックバンドでありながら、そのメンバーの容姿も高く評価されています。
そのため、バンドの曲そのものではなく、メンバー自体をアイドル感覚で追っかける女の子もたくさんいます。
でも、私に関してはそれは違います。
「私はBlue Dreamersの曲が好きだから追っかけてるんです。たしかにいっくんに関しては個人的な感情はありますが……それだけじゃありません!」
「いっくん……? ああ、このベース弾いてる奴か? へぇ、お前こういうタイプが好きなのか。っていうかあだ名呼びかよ、気持ちわりぃ」
「それはだって……彼女ですから」
「……はあ?」
尚斗君が、何を言ってるんだと眉をひそめます。
それにしっかりと視線を合わせ、はっきりと言います。
「私、いっくんの彼女です」
それを聞いて、尚斗君は……
「ただの喪女じゃなくてストーカーかよ。妄想拗らせんのもいい加減にしろよな」
そう吐き捨てると、リビングを出て行ってしまいました。
その後ろ姿を見て、私は尚斗君の心が閉ざされ掛けているように感じました。
そして、薄々理解していた尚斗君の本当の望みを確信しました。
「待ってください!」
急いでその後を追うも、尚斗君は自分の部屋に入って扉を閉めてしまいます。
それは明確な拒絶だと思えましたが、ここで引き下がるわけにはいきません。
ここで引き下がったら、私はずっと尚斗君と家族になれない。そんな予感がありました。
だから、私は意を決して尚斗君の部屋の前に立つと、扉越しに語り掛けました。
「尚斗君、そのままでいいので聞いてください」
『……』
「私は、顔だけに惹かれていっくんを好きになった訳じゃありません。むしろその優しいところとか、音楽に関してひたむきなところとか……他にも色々ありますけど、そういったもの全部ひっくるめて、いっくんのことを好きになったんです」
『はっ、口ではなんとでも言えるよな』
「尚斗君にだってそうです」
『……なに?』
私は扉に手を当てながら、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡ぎました。
「私は尚斗君の内面のいいところを知って、その上で好きになりたいんです。家族になりたいんです。そして、尚斗君にも私のことを知ってもらいたいと思ってます。そのために料理をして、尚斗君とお互いのことを知り合える場を作りました」
『……』
「この1週間一緒にご飯を食べて、お話をして、以前に比べればそれなりに尚斗君のことを知れたと思います。そして、これからももっと知っていきたいと思っています。尚斗君はどうですか?」
返事は……ありませんでした。
……言いたいことは言いました。あとは尚斗君の歩み寄りに期待しましょう。
そしてその日の夜、尚斗君はちゃんとリビングに降りて来て、一緒に食事をしてくれました。
これは、尚斗君も私と家族になる意志があるってことですよね?
一時はどうなることかと思いましたが、安心しました。
心なしか尚斗君の表情も柔らかかった気がしますし、これはもう、姉さんと呼んでもらえる日も近いですね!!
* * * * * * *
それから10日後。
尚斗君との親密度が上がっていることを実感するようになってきたそんなある日、私は放課後に10人以上の女生徒に校舎裏に呼び出されていました。
こ、これはなんでしょう?
まさかカツアゲ? それともいじめでしょうか?
状況が分からず、半円状に包囲する女生徒達を前に私はただ小さく縮こまるばかりです。
そんな私の前に、1人の女生徒が進み出てきました。
……あら? この人どこかで見覚えが……。
その派手だけど美人な女生徒は、私をジロジロと品定めするように眺めた後、フンッと鼻で笑ってから口を開きました。
「あんたでしょ。身の程を弁えずにあたしらの王子にちょっかい掛けてんのは」
「え……?」
予想外の言葉に、思わず声が漏れます。
それと同時に、その言葉で目の前の女生徒の正体に気付きました。
彼女は、かつて資料室で尚斗君と逢瀬をしていた女生徒だったのです。
私の言葉にとぼけられたと思ったのか、彼女はそのツリ目をますます吊り上げながら声を荒げました。
「すっとぼけてんじゃないわよ! この前、アンタの家から出てくる王子を見たって子がいんのよ!? 最近王子があたしらに冷たいと思ったら、アンタの仕業だったのね!!」
彼女がそう言い終えると、周囲の女の子達も一斉に声を上げ始めます。
「どうしてアンタみたいなのが」とか「ブスが調子に乗るな」とか「王子の弱みでも握ってるのか」とか……色々な罵詈雑言が飛び交いますが、私はそんなことより、目の前の彼女が言った言葉の内容が気になっていました。
「最近王子があたしらに冷たい」
それはつまり、尚斗君が以前のように女の子と不純な関係を持たなくなったということではないでしょうか。
だとしたら、それは尚斗君の家族としてとても喜ばしいことです!
「ちょっと! 無視してんじゃないわよ!!」
そんな風に思考を巡らしていたら、逆上した女生徒に襟元を掴まれてしまいました。
そして、そのまま背後の壁に叩き付けられます。
「ぐっ!」
首を締め上げられたことと壁に叩き付けられたことで、息が詰まります。
しかし、私が彼女の腕を外す前に、もう片方の腕が高々と振り上げられ――――
「おい! 何してんだ!!」
ぶたれると思って目を瞑った瞬間、聞き覚えのある声が聞こえました。
それと同時に、周囲の女の子達に緊張感が走りました。
「な、尚斗……」
「お、王子……」
声がした方を見ると、そこにいたのはいまだかつて見たことがないくらいに怒気を漲らせた尚斗君でした。
その溢れる怒りのオーラに、女の子達も気圧されたかのように道を開きます。
「行くぞ」
私の襟首を掴んでいた女生徒の腕を外させると、尚斗君は私の手を掴んで歩き出しました。
女生徒達の包囲を抜け、数歩進んだところで、先程の彼女が声を上げました。
「待ってよ尚斗! なんでその女を庇うの? 何か弱みを握られてるなら――」
「黙れよ」
必死に声を上げる彼女に、尚斗君はぞっとするほど冷たい声を返します。
それに息を呑んだ彼女ですが、すぐにキッと視線を鋭くすると、更に続けます。
「まさか、冗談でしょ……? なんで、なんでそんな女に!!」
「こいつをお前らなんかと一緒にするな」
そう言って、尚斗君はグッと私の肩を抱き寄せました。
……って、え?
「こいつは……明日美は特別なんだよ」
……あら? なんで名前呼び? それに、特別?
ああ、義姉だって言うわけにはいかないですからね…………でも、そういう特別とは少し意味が違うような……? 気のせいでしょうか?
* * * * * * *
「あ、あの……そろそろ手を放してくれませんか?」
校舎裏から出た時からずっと手を繋がれたまま歩き続け、家の玄関前に着いたところで、私はようやくそう言いました。
すると、尚斗君はピタリと足を止めました。
でも、手は繋がれたまま。何を考えているのか分かりません。
「そ、それにしても……あんな言い方したら、あの女の子達が勘違いしちゃうんじゃないですか? 素直に義理の姉だって言った方が良かったと思うんですけど……」
沈黙が気まずくて、そんな風に冗談めかして尚斗君の背中に声を掛けると……尚斗君はようやく振り返ってくれました。
その顔はなんだか怖いくらい真剣で……私は思わず息を呑んでしまいました。
「別に……問題ないだろ」
「え? でも……」
「チッ、はっきり言わなきゃ分からないのかよ」
そして、尚斗君が苛立たし気な顔をして、
「お前を俺の彼女にしてや――」
何かを言い掛けたところで、その声は聞こえました。
「あっちゃん」
聞き慣れた声、聞き慣れた呼び名に、私は尚斗君の手を振り払うと、素早く振り返りました。
そこにいたのは、私の幼馴染であり恋人でもあるいっくんでした。
家の前に止まった車から、ちょうど降りてきたところのようです。
「いっくん! どうしてここに!? 帰って来たんですか!?」
突然の再会に、思わず感極まって抱き付いてしまいます。
でも、仕方ありません。
私と同い年でありながら、今若手最注目の大人気ロックバンドBlue Dreamersのメンバーでもあるいっくんとは、もう半年以上遠距離恋愛を続けているのですから。
直接会うのも2カ月ぶりです。少しくらいスキンシップが過剰になっちゃっても仕方ないのです。
「仕事の合間にちょっとね。だからすぐに戻らないといけないんだ。ごめんね?」
「ううん、少しでも会えて嬉しいです!」
「僕も久しぶりにあっちゃんに会えて嬉しいよ」
ああ、いっくん。相変わらず優しいです。
いっくんの笑顔を見ているだけで、心が温かくなります。
「は……え……? Blue Dreamersの……イツキ? 本物?」
背後から聞こえた声に、私は我に返りました。
そうです。いっくんに尚斗君を紹介しないといけません。
「いっくん、この人はお父さんの再婚で私の義弟になった、尚斗君です。尚斗君、いつか話しましたが、私の恋人のいっくんです」
「え……いや、あれは妄想……」
「初めまして。話はあっちゃんから聞いてるよ。将来的に家族になることだし、よろしくね?」
「えぇ!? ちょっ、ちょっといっくん……心臓に悪い冗談はやめてください……」
「冗談じゃないよ」
「え?」
驚いて顔を上げると、真剣な顔をしたいっくんが私の前に跪きました。
「あっちゃん……ううん、明日美。今日はこれを渡しに来たんだ」
「え? え!?」
そう言っていっくんがポケットから取り出したのは、私でも知ってる超高級ブランドの指輪でした。
「こんなところでごめん。本当はもっとロマンチックな状況で渡したかったんだけど……明日から僕達は海外公演に行っちゃうし、そうしたら3日後のあっちゃんの誕生日には間に合わないから……」
「いっくん……」
「明日美。突然言われて驚くと思う。でも、このまま遠距離を続けるのはどうしても不安なんだ。2人を繋ぐ確かな絆が欲しいんだ。僕と……僕と、婚約してくれるかい?」
その、言葉に
「はいっ!!」
私は、躊躇うことなく大きく頷きました。
そして、いっくんの手で左手薬指に指輪をはめてもらうと、溢れる感情のままにいっくんと熱いキスをしました。
……後ろで尚斗君が、家の前の車の運転席でいっくんのマネージャーが見ていることは、完全に意識の外に行っていました。
そのままどれだけ抱き合っていたのか、やがて車のクラクションで私達は我を取り戻しました。
「ごめん、もう行かないと」
「そう、ですか……お仕事頑張ってくださいね。私、応援してますから!」
「うん、ありがとう!」
私は最後にもう一度いっくんとキスをすると、車に乗り込むいっくんを見送りました。
そして、車が曲がり角を曲がるのを見送ってから、ようやく尚斗君のことを思い出しました。
「ごめんなさい尚斗君。突然こんな――――尚斗君?」
玄関の方を振り返るも、そこにはもう誰もいませんでした。
どうやら、先に家に入ってしまったようです。
流石に家族のキスシーンは見苦しかったでしょうか。
少し、悪いことをしたかもしれません。
「ふふっ」
それでも、薬指の指輪を見ると自然と頬が緩んでしまいます。
これは、お父さんと恵那さんが帰って来る時がますます楽しみです。
尚斗君と仲良くなれたばかりか、長年の恋人であったいっくんと婚約まで出来たのですから。
幸せいっぱいな2人に、素敵な報告が2つも出来ました。
ああっ! 3日後が楽しみです!!
……と、思っていたのですが。
「尚斗君、ご飯ですよ」
『……』
それ以来、なぜか尚斗君はまたしても一緒にご飯を食べてくれなくなってしまいました。
一体、どうしたのでしょう? 尚斗君が私のことを姉さんと呼んでくれる日は、果たしていつになるのでしょうか?