第44話 本を探しに
「……おいしい」
頬を染めて呟くヤマネ嬢は天使のようだった。ぐうかわ。
帽子屋さんの淹れてくれた紅茶を一口のむ。今回はケーキの邪魔をしないようストレートティーを頼んだ。おいしい。やっぱり帽子屋さんの紅茶に限る。ニセウミガメはツンデレかわいいけど、あの胃薬を間違えて噛んじゃったような味わいの液体を私は紅茶だとは認められない。
でもケーキは絶品なのよね。そう思いながら、フォークでタルトをつついて一欠けら、口に運んだ。
はあああああああんっ! うまいっ!
思わず頬を押さえてにまにま笑ってしまう。口の中で甘酸っぱくみずみずしい果実が、甘く濃厚な生地と溶け合い、最後にサクサクとしたタルトの底の部分が香ばしい風味を残す。絶品だ。
まわりを見れば、三月兎も目をきらきら輝かせてもりもりと手づかみでタルトを食べている。お行儀は悪いが、とにかく喜んでることは率直に伝わる姿だ。帽子屋さんは落ち着いた手つきでフォークを操り、流れるように一口食べて、ちょっと驚いた顔になっていた。思ってたよりも美味しかったみたいだ。
「これ、ニセウミガメが作ったんだよね?」
フォークを置いて、帽子屋さんがこちらに向かって聞いてきた。
「え、はい。彼女がくれたんです。お土産にって」
「……こんなに美味しいものを彼女がつくれるなんて、知らなかった。今まで殆ど会った事もなかったけど……もったいないことしたな」
お、おお! 帽子屋さんが本格的にニセウミガメに興味を持ち始めた!
これは彼女に友達ができる日も近いんじゃないの!? オッスオッス、私かわいい女の子のためなら張り切って応援しちゃうよ! というわけで援護射撃ドン!!
「ええ、彼女のつくるケーキってすごくおいしいんです! さっき別のケーキも頂いてきたんですけど、ほっぺたが落ちちゃうかと思うくらいでした!」
私がそう言うと、ひょいと帽子屋さんが眉をあげた。
「……ふうん、珍しいね。君がそんなに必死になって誰かを褒めるだなんて」
「えっ」
虚を突かれてぱちくりと瞬きをする。その私の様子に目を細め、軽く笑って帽子屋さんは言った。
「アリスは、私たち不思議の国の住人にあまり親しみを感じていないようだ、と……そう思っていたから。少し意外に思っただけだよ。気にしないで」
う、うん……?
気にしないでといわれても、気になるよ! っていうか、そんなに距離をおいてたかな? いや、確かにまぁ、一定の距離は置いてたけど、私はこの国に来たばかりで初対面の人しかいないような状況だから、仕方ないんじゃないかな!?
っていうかあれだ、三月兎が悪い。いきなり襲ってくる変態相手にはフレンドリーになれないもんね!
などなど考えて、私が口ごもっていると、弁解するように帽子屋さんは両手をあげてひらひらと振る。
「ああ、深い意味はないんだよ。本当に、気にしないで」
「あ、はい……。あ、でも、あの、本当にニセウミガメさんのケーキは美味しいですから、一度食べに行ってみてくださいね!」
釈然としない思いは残るが、とりあえず猛烈なニセウミガメプッシュをしておいた。ぶんぶんと握り拳を作って熱弁する私に、帽子屋さんは微笑みとも苦笑ともつかぬ顔で生ぬるい視線を送る。
「随分彼女を気にいったんだね……、アリスは、もしかして女の子のほうが好ましいのかな?」
「ファッ!?」
な、何故それを見破ったお主!
じゃ、なかった!! ええーと、どういう意味、かな!? た、確かに私は圧倒的に男より女を尊重する女尊男卑な家庭で育ったがゆえに女性ひいきな性質があるのは否定できないがしかしそれは全然まったくいかがわしい意味ではなくつまり別に恋愛対象ってわけではないのであばばばばばば!
言い訳を必死に考えて頭と目をぐるぐるさせる私は、やっとのことでいくつか、つたなく言葉を発する。
「いえ、別に、そんなわけじゃ」
「はは、そうかい? 三月にくらべて、ヤマネに対する視線のほうが随分柔らかく感じるから」
「え、えっとだって、ヤマネさんかわいいですし……」
っていうか当たり前でしょう。ヤマネさんみたいに常識的で美少女な子に好意的になるのは当たり前でしょう。思わず私は真顔になった。
どこの世界に美少女よりも男を優先して優しくするやつがいるだろうか。
「ああ、うん。そう。でもあなたはそれだけではなくて、随分と人との接触を避けるから。こう言っては何だけど、少しよそよそしくてさみしくなる」
「……! そ、それはすみませんでした」
にっこりと、柔らかく、けれど少し寂しげに、首をかしげて帽子屋さんは微笑んだ。あいかわらずのイケメン面、そんな麗しい顔で困ったように笑われると、なんだか罪悪感を覚える。
っていうか人との接触を避けるって、あれかな? 帽子屋さんが差し出した手をガン無視したり、さっき頬に触れた手を避けたことを言ってるのかな? ごめんね、他人との接触嫌いなんだよ、あの生ぬるい人肌の感触が無理なんだよ。っていうかこの前も思ったけど、帽子屋さん案外執念深いね! もうそんな些細なことは忘れようぜ! そんなことよりニセウミガメケーキの話題に戻ろうぜ!
と思って慌ててケーキをもう一口ほおばり、強引に味の感想を捻りこもうとしたとき、横槍が入った。
「えええー!! アリスってば女の子のが好きなの!? そんなー!! さすがの僕も、性転換は難しいよぉ」
あらかたケーキを食べ終えていたらしい三月兎が会話に乱入してきた。思わずぶふぉっと紅茶を噴出し掛けて咽る私をよそに、テーブルの上に手を着いて身を乗り出し、ローズピンクの大きな瞳を潤ませて訴えてくる。
「やけにつれない態度だと思ったら、そういうことだったのー!? むむ、アリスってば意外に大胆で発展的だよね。僕だって同性とはそんなに関係を持ってないのにぃ!」
や、やめろ、そういう勘違いはやめろ! それじゃ私が可愛い女の子に襲い掛かるお前と同レベルの変態みたいじゃないか! 発言撤回を要求する!!
っていうか、「そんなに」って、つまりちょっとなら同性とも色々いかがわしいことやってるの!? なんなの!? さすが変態、さすが万年発情期。留まることをしらない三月兎さんの変態力ェ……。そういえばSM兄弟はビルさんのこと追っかけ回してたしな、不思議の国では同性どうしでもアリ、なのか……?
「……? アリス、女の子のほうがすきなの……?」
っと、ここでえぐりこむようなヤマネ嬢のか細い呟きがIN!!
私は紅茶を今度こそ噴出した。が、テーブルを汚したら帽子屋さんにどんな制裁を下されるかと不安になり、すんでのところで口を押さえた。結果、さっきよりひどく咽た。
この誤解はなんとしても解きたい。ヤマネさんとはこの前のお茶会でも全然話せなかったから、こんな誤解が生まれたら解く間もなく、イメージが定着してしまう。っていうか、不思議の国のなかではけっこうまともな彼女とは普通の意味でお友達になりたいんだよぉ。まかり間違ってもありもしない恋愛感情でお近づきになりたいわけじゃないんだよお!
「あの、誤解です。私、女の子が好きなんじゃなくて男はクソ」
げふんげふん! いや、正直に言っちゃだめだよね! 『男はクソみたいな扱いでいいって言われて育ちました』とか無いよね!
「くそ……クソイケメンすぎて緊張しちゃうだけです」
んんー! 正直厳しいぞ、この返しは! そう思いつつ、言い訳を探して私は俯いてなんとか言葉を続ける。
「それに、その……家族以外とは気軽に触れ合えないというか。昔はそんな風に仲良くできる友達がいたような、いなかったような気がするんですけど、」
あれ、私は何を言っているんだろう。
この国に来てからずっと頭の奥でわだかまっていた思いが、思わず口をついて出てしまった。自分でも戸惑うけれど、口から出た言葉は止まらない。
「よく覚えてなくて、それに、その子とは色々あって別れちゃって、それからあんまり親しくなるような人もいなくって」
そう、そうなのだ。なんだかとても大事な子だった気がするのに、全然何も覚えてない。ただ、この国に来てから、断片的に思い出すおぼろげな記憶が、奇妙な喪失感をもたらして胸をちくちくと刺す。ああ、あんな思いはもうしたくない。親しくなった子を失うくらいならいっそ、誰とも親しくならないほうが、マシだ。……ああ、そうか。もしかして私の他人との接触恐怖症は、ここから来てるのか?
モヤモヤとした形にならない思考をもてあまして黙り込んだ私に対して、ヤマネ嬢はそっと気遣わしげな視線を投げかけてきた。濡れたブラウンの大きな瞳が、静かにこちらを見つめる。
「アリス……、なにか気がかりなことがあるの? とても、苦しそう」
感情があまりないような、平坦な声。でも、その声がわずかに低く、そして彼女の眉が少しさがっていることから、心配してくれていることがうっすらとわかる。
「あっ、いや、なんかすみません。楽しいお茶会の席でこんなどうでもいい話をするべきじゃありませんでしたね!」
彼女の表情が曇るのを見て、なんとなく悪いことをした気分になってしまった私は、誤魔化すように明るい声を上げて話題を切り上げた。
っていうか私はそもそもニセウミガメのことを話してたのに、いつの間にこんなアレな話題になってたんだ。いかんいかん。そう思って顔をあげた私に、小首を傾げつつヤマネさんがそろそろと声をかけてきた。
「ねぇ、アリス。もしも悲しいことがあるのなら、本を読まない?」
「え? 本ですか?」
唐突な提案だ。いや、本は好きだから、まぁ嬉しいけれども。それにしても、この前会った時はえらく無口だったのに、今日はとってもフレンドリーなヤマネさんにちょっと驚く。え、そんなに私、悲しそうだったの? 情緒不安定に見えるの?
「そう。本……。私も、好きだから……、アリスも好きだったら、って思って……」
ふわ、と柔らかな前髪を揺らし、ヤマネさんはこちらをうかがうように上目遣いになった。あ、駄目だ、かわいい。何この子、かわいい。
思わず二度も繰り返したが、大事なことだからしかたないよね!
「あのね、私が読んでるこの本……、」
ヤマネさんは膝の上に置いていた小振りな本を見せた。文庫本くらいの大きさの凝った装丁の本だ。皮っぽい質感で、渋い群青色の背表紙には金の文字が輝いている。英語だから読めない。
「お城の大きな図書館で借りたの……。アリス、今お城で暮らしてるんでしょう……? もし、悲しいことや気が晴れないことがあるなら、今度行ってみて……、面白い本、たくさんあるわ……」
えっ。
な、なにそれ知らない。そんな素敵設備知らないよ私! 思わずポカーンとしてからすぐに我に返り、ヤマネさんにお礼を言う。
「そ、そうなんですか! 教えて下さってありがとうございます。お城に図書館があるなんて全然知らなかった」
白兎め何故そういう重要情報から教えてくれないんだ。ええい、この前から私のなかで白兎さんの好感度がダダ下がりだ! なんか秘密主義だし! 実力行使も厭わないし!
とはいえ、よい情報を聞いたな。私はガチ引きこもり系女子であるので、もちろんお家でできる有意義な趣味ナンバーワンな読書は大好きだ! ひゃっほーう、明日はお城の図書館に突撃だ! いったいどんな蔵書なんだろう……、ぜ、全部英語で読めなかったら困る。学校の英語のテストの成績は、まぁ……、お察しレベルだよ! いやでもきっと、不思議の国の住人は皆日本語喋ってるし大丈夫、だよな!
「ふわー、アリス、すっごく嬉しそう。そんなにきらきらした目をしてるの初めて見た」
三月兎が驚いたように目をぱちくりさせて言った。もうケーキは食べ終わったのか、空っぽになったお皿を目の前に、頬杖をついてこちらを見ている。
「アリスってばいつも困ったような顔なんだもん」
そりゃね! 君といるときはいつも困ってるからね!!
と思ったが、黙っておいた。こんなに良い情報をもらったあとで、自ら泥沼を引き寄せる必要もない。てへぺろ☆というふうに笑っておいた。私の作り笑い100%の笑顔に対して、三月兎は爽やかで純粋さ100%の笑顔を返す。うっ、相手の本性が変態だと知りつつも、眩しい。
「よーし、そんなに図書館が好きなら、もういっそ今から行こうよ!」
「へっ!?」
三月兎ががたっと音を立てて椅子から立ち上がって言った。急展開にぽかんとしていると、驚いたことに帽子屋さんまでもが三月兎に加勢する。
「ああ、いいんじゃない? 折角だから連れていってあげなよ。お茶会の後片付けはこっちでやっておくから、ヤマネも一緒に」
「……いいの?」
おずおずとした風に聞くヤマネさんに、帽子屋さんは頷いた。
「もちろん。楽しんでおいで……、アリスとともにいられる時間は、そう長くはないのだから」
「……ありがとう」
にこっと、眺め続けていないとわからないくらい少しだけの変化で笑ったヤマネさん、ぐうかわ。いや、ぐうかわなのはいいんだけど、今の不穏な会話は何かね!
あれかな、ヤマネさんはあんまり外出しないから私にあう確率も低いよね、よって私と一緒にいられる時間が他の住人に比べると相対的に短いぞ☆って、そういう話かな!? そうだよね!? なんかそうじゃないと、今の会話の流れは私が近々死にそうな感じで縁起でもないぜよ!
「よーし、そうと決まればレッツゴー! 二人ともお城までいっちゃお!」
元気に叫ぶ三月兎は、片手にヤマネさん、もう片手に私の手を握った。て、まさか! これはさっきと同じ展開なんじゃ……!!
「よーし、お城までひとっ走り!」
やっぱりー!!
強制不思議の国マラソン、アゲイン☆だよおおおおお! た、体力が圧倒的に足りない!
絶望的な表情になる私と、ちょっと嬉しそうなヤマネさんと、やる気マンマンな三月兎に向かって、帽子屋さんがゆるゆると微笑みながら手を振っていた。と、思ったら、その帽子屋さんの姿があっという間に掻き消え、周囲の風景も後ろへ吹っ飛んでいく。
三月兎の足、速すぎィ!!




