第42話 賢き変人は森の中
ニセウミガメのお店で激マズな紅茶を飲んだあと、ケーキをご馳走になった私は、今は一人で道を歩いていた。
結局なんだか仲良しなニセウミガメとグリフォンの様子を見て、邪魔をするのも悪い気がしたのだ。恋仲というほどでもないが、なんとなく信頼感があるような、そんな雰囲気。ニセウミガメもいっていたが、確かにぽっと出の私じゃ太刀打ちできない。
……というと聞こえはよいが、まぁつまるところ、二人の出すリア充な雰囲気に辟易して退散したのである。チクショウ、半ばヒキコモラーな私には、あんなに充実した友人関係は眩しいんじゃ!
お城から大分遠い場所、海からも少しは離れたか。おっ、向こうに森がある。
赤い屋根のお城に森に青い空。ううむ、いつ見てもメルヘンな国だ。景観だけはとても美しい。まるで少年少女の夢を体言したかのようだ。とはいえその実体は、ただの変態王国だけれども。
折角だから森に突撃しよう。もしかしたらチェシャ猫に会えるかも知れない。彼の家は森のなかにあったはずだ。
なんだかんだ言って、この国のなかじゃチェシャ猫は常識的なほうだもんなぁ。いきなり現れたりヤマネを食べようとしたり白兎にやけに嫌われてたり、謎は多いけど。でも会えたら道案内してもらえるかもしれないし、そうしたら無事にお城に帰れる!
そう考えて私は意気揚々と森のなかに足を踏み入れた。
森の中ならチェシャ猫に会える=お城に帰れる。そんな夢見がちなことを考えていた時期が、私にもありました。
ここどこだYO!
事態は泥沼化し、私は鬱蒼とした森のなかで一人迷うという馬鹿っぷりを晒していた。っく、考えなしに森に入るんじゃなかった……! これじゃ遭難確定だよぉ!
いや、遭難も怖いが今となってはSM双子だの万年発情兎だのに遭うほうが恐ろしいぞ! 急所を蹴り上げたり電撃くらわせたりはもう一回使った手だからな、もう効かないかもしれないし。ここはメアリさんを見習ってストレートにみぞおちを狙うか……!!
そんな不安に怯えつつ、意味もなく忍び足で歩く私の目の前が、急に開けた。
「あれっ……」
太陽の光すら漏れてこないような暗い森の中から、木の無い広場のようなところに出たのだ。そこだけぽっかりと太陽の光が差し込んでおり、周囲の暗さと比べてみると、まるでそこだけ輝いているように見えた。
明るさに惹かれてふらふらと近寄ってみると、芝生のような短い葉がたくさん生えている。若草色の明るい葉だ。しゃがみこんで近くで見ると、なんとその草の間から色とりどりのカラフルなキノコが頭を覗かせていた。ショッキングピンクやら蛍光グリーンやら、目がちかちかするほどの色合いだ。
草の自然な色合いに比べると、キノコたちの色は人工的でひどく毒々しく見える。これって本物のキノコじゃなくておもちゃかなんかかな? まぁ、アリスにキノコのモチーフは定番だしな。不思議の国にあっても不思議ではない。そう思いながら何とはなしにキノコに触れた。その時だった。
「ふぅむ、アリスがやってきたか。……ということは、白兎の時計は動き始めたのだな」
思慮深げな、落ち着いた声が私の耳に届く。
驚いて私はきのこから目をはなし、立ち上がった。誰もいないと思っていたのに、一体どこから誰が現れたというのか?
「やれ、驚かせてしまったか、すまんね。そういうつもりはなかった」
低い声は、森の奥から聞こえた。声のするほうへ目をこらすと、暗く翳った木陰から、ゆらりと長身な男性が立ち上がるのが見えた。森の色にまぎれるような、深く暗い緑の衣を身に纏ったその人影は、ややくたびれたような動きをした。
すわ、新キャラ登場か、各話ごとにキャラクターを出して大丈夫なのかとメタ的思考で心配する私を余所に、その男性はこちらにゆっくりと歩み寄る。暗い森の影から、だんだんと明るい場所に近づく彼の顔が、日の光に照らされてぼんやりと浮かび上がった。
印象的なのは、緑の大きな瞳であった。一目みた瞬間から、その瞳は私の眼に飛び込んできた。
そうして身に纏う深緑のローブ。どこもかしこも緑ずくめの男性は、森の風景にまぎれてあまり目立たない。そして、その顔はよく見ると整っていることがわかるものの、この国のきらきらしい美貌に慣れてしまった私にとっては、なんだか福音のようにすら思えるほど普通に見えた。ビバ普通。やっぱり目が潰れるほどの美形なんてただの毒だ。ちょっと整ってるくらいが一番いいんだよ!
などと妙な悦びにひたる私がぼんやりしているうちに、その人はもう私の目の前まで来ていた。うお、初対面の人間にしては随分近くまで距離をつめる人だ。ちょっとたじろぐ。いや、でも不思議の国の人間はやたら手をつないだり襲い掛かったりするのが好きなやつが多いので、もとより人と距離を開けるという発想がないのかもしれない。
「さて、初めましてアリス」
ひょろりと背の高い彼は、かがむようにして私に視線を合わせて丁寧に言った。顔自体は青年のようなのに、そこに浮かぶ表情は奇妙に老成していて、まるで老人のように見える。賢げな人に見えた。誰も彼もが毎日お祭り騒ぎでいるこの国ではあまりお目にかからないタイプの人だ。でも、こーいう落ち着いた大人もいるんだね! 嬉しい! ……いや、でも待てよ。帽子屋さんだって最初はマトモそうだったのだ。ここで安心するのは早いか。
「は、初めまして。あなたは……?」
挨拶を返して相手の素性を暗に問うと、彼は首をかしげて言った。
「さぁ、誰だと思う? いや、それよりも前に、あんたは誰だ、アリス」
「……?」
やっぱりこの人もド変人であった。
私のことを堂々と「アリス」と呼んでおきながら、誰かと尋ねる。しかも自分の身元は明かさないときたもんだ。もしかしてケンカ売ってるのかコイツ。
「私は、ええと、有素るりです」
とりあえず名乗ると、彼は満足げに頷いた。
「なるほど、わたしは芋虫だ。よろしく、アリス」
……結局アリスって呼ぶのかよ! じゃあなんで名前聞いたんだ!
モヤッとした気持ちになりながら、私は芋虫と名乗るその人を眺めた。なるほど、人間離れした雰囲気のひょろりとした長身や、緑を纏うその外見は芋虫っぽいかもしれない。
『不思議の国のアリス』で出てくる芋虫は、ぶっきらぼうながらもとある重要なことをアリスに教えてくれるキャラクターである。そう、体の大きさを変えられるキノコの使い方を教えてくれるのだ。
ということは、この人も私に何か重要なことを教えてくれるのかな?
そう考えてちょっとワクワクしている私に対して、芋虫さんはすっと手をあげた。
「じゃ、そういうことで」
そう言ってくるりと背を向け、すたすたと歩き去っていく。迷いのない足取りである。
……ちょ、ちょおっと待てーい!!
「え、もう行っちゃうんですか!?」
ただの顔合わせじゃん! 自己紹介しあってすぐに別れるとか、何それ、うまくいかない合コンみたいなものじゃん! いや、合コンなんて行ったことないけどさ!
でも少なくとももうちょっと何かあるだろ! 例えばこの不思議の国についてちょっと教えてくれたりとか! それこそキノコに匹敵するような秘密道具の使い方を教えてくれたりとか! ここで別れたらアンタ見た目が賢そうなだけの傍若無人キャラで終わっちゃうじゃねーか!
「ん、何か用なのか?」
こてん、と首を傾げる様子は、大人びた外見とギャップがあって可愛く見える。……が、そうじゃない、私は今可愛さを求めているわけではない!
「え、えーと、あの……」
何かいわなきゃ。いや、でも直球に「キノコの使い方教えて!」とか言ったらおかしいかな。もしかしたらここのキノコは観賞用であって食べるものではないかもしれないし、っていうかそもそもキノコで体の大きさが変わるっていう原作設定が生きているかどうかも怪しいぞ! ニヤニヤ笑いの可愛いネコちゃんが猫耳の生えた普通の人間の姿になってるくらいだもんな! いや、それより何よりトゥイードル兄弟って不思議の国には出てこないし、SM趣味じゃないしな! この国ってけっこう不思議の国のアリスとかけ離れてるから、信用できない……!
そんな思考の渦のなかで慌ててわたわたと両手をふる私のことを、芋虫さんは無表情に見つめていた。服の内側からするりと管のついたキセルを取り出して、一回吸ってぷかりと煙を吐き出す。おお、芋虫名物の水タバコ! ここは原作に忠実なわけね。
「用が無いなら私は消えるぞ、アリス」
「あ、あの、あります! 用事あります!」
芋虫さんの素っ気無い言葉に取り乱し、私はばたばたと両手を振って「用事アリマスヨー」アピールをした。だが、彼に何を聞けばいいのか質問がまとまらず、しかも用事があると断言したせいで「なんでもないです」と誤魔化すこともできなくなった。そして二進も三進もいかなくなった末に搾り出した質問は、ひどく単純なものだった。
「お、お城への帰り道を教えて下さい!」
土壇場にひねり出したにしては悪くない質問だった。上出来だ。自分でそう思って思わず自画自賛してしまった。
芋虫さんは私の質問に対して「あっちだ」と指をさすというとても簡潔な答えを示した。「とにかく城の見える方角に向かって歩け」とも。
おいおい、そうじゃない、道を聞いてるんだよ私は。そう思って呆れ果てる私に対して、芋虫さんは意味深な言葉を言った。
「道など勝手に切り開かれていく。アリス、あんたはそういう存在だろう。あんたが望めば、城のほうからやってくるさ」
その言葉の意味を考えているうちに、芋虫さんはするりと森の緑にまぎれてその姿を消してしまった。
ともかくお城のほうへ歩いていくという考え方自体は至極真っ当であったし、芋虫さんの言葉も気になって私は今、歩いているわけである。
先ほどよりは、周囲の様子も明るくなってきた。未だ森の中ではあるが、密集して生える木に遮られて日の光の差さないじめじめした森ではなく、ご近所さんがピクニックに出かけられるような爽やかな森になってきた。良い傾向だ。こういう森なら、道が判然としないまま歩いていても、さほど不安な気持ちにならなくてすむ。
「あっれれー? アリスじゃーん!」
そんな感じでうきうきピクニック気分で歩く私の上に、今最も聞きたくない声が降りかかってきた。
「偶然だねー! 嬉しい、アリスにあえるなんて! 今日は何の記念日でもないけど、なんでもない日、万歳だよぉ!」
どこから現れたのか、彼ははしゃいだ声をあげながらぴょんと上から飛び降りてきて私の目の前に立つ。ふわっと揺れた愛らしい土色の兎耳を視界に入れて、私はげっそりとしながら呟いた。
「……ほんっと、偶然ですね。三月兎さん」
よりによって、コイツに遭おうとは……。