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しかし、高校生など一人もいるまいと思われた七間通りを北へ向かって悠々と自転車を走らせていた俺の前に、国道一号線との交差点でのんびり信号待ちをしている一人の女子高生が見えてきた。こんな時間にあれほど余裕に信号を待つ女子高生はそうはいない。姉さんだ。
近くの建物の窓ガラスで通りしなに髪型をチェックしてから近づく。
「おっはよー、姉さん」
「おお、陣ちゃん。おはよ」姉さんが振り返る。その拍子にさっと広がった彼女のつややかな栗色の髪から桃のような香りがするのは俺の妄想か。「いい加減、その呼び方やめてよ」
「だって姉さんが呼べと言ったんじゃないか」
「いくつの時の話してんの」
姉さんの本名は宮野夏海である。一つ年上の幼馴染で血縁上の姉ではない。近親相姦という茨の道を行かずとも堂々と彼女にアプローチできるのだから、これを幸運と言わずに何と言おう。姉さんとは家が近いこともあって、幼いころにはよく遊んだ記憶がある。そういうふうに無邪気に遊んでいたある時、彼女は突然「お姉さんとお呼び」と言った。来し方十年、その言いつけを忠実に守りとおした俺を姉さんは何故か嫌がった。
もとから宝石の原石のようにその可能性を内に秘めているのは気がついていたが、自然に遊ぶことがなくなっていった中学に入るか入らないかの時期から、姉さんは凄まじい速度で美女へと成長した。浜竹中学校在学中の一時期は、後から後からまるで試合終了後にサインを求めてコートサイドに殺到するファンのごとく、定評付きから単なる自称まで、学校中の「イケメン」が次々と交際を申し込んでは晩春の桜のように散っていったのだ。その浜竹中学校史上稀にみる桜吹雪ならぬ失恋吹雪は危うく学校崩壊を起こすところであったと専らの噂である。
その中でただ一人、彼女を映画に誘って断れなかった男がいる。そう、俺である。
交際を申し込んだわけじゃないだろとか、単なる幼馴染のよしみだとか、恋愛対象として見られてないとか、諸々の負け犬の遠吠えには一切耳を貸すつもりはない。映画に誘って断られなかったのは純然たる事実だ、と声高に叫びたくもあったが、怖そうな先輩の方々にコンクリ詰めにされて相模湾に沈められそうな気配もあったので紳士らしく堪えた。
それをきっかけにして再びちょくちょく接近するようになった姉さんもまた大原高校生である。機会あるたびにアプローチをかけるようになった俺だが、成功率はアマチュアがプロに勝つよりも低いと言わざるを得ない。また、アプローチをかける一方で、二百キロを超えるサーブのインかフォルトかを見分ける線審のように、姉さんの周りをうろつく男どもの行動に目を光らせている俺だが、本人はどこ吹く風で未だに男と付き合うそぶりは見せていない。
「そんな冷たいこと言わないでくれよ。一緒にお風呂まで入った仲じゃないか」
「だから、いくつの時の話よ、それも」
姉さんは呆れるそぶりもめんどくさいというように前を向いた。その隙に俺は視線を下に向ける。短いスカートから伸びた脚は相も変わらず見事であり、この脚線を分析してラケットフレームに応用すれば、大変見目美しいラケットができることは間違いない。
「ときに姉さん、今日はどんな下着を履いてらっしゃるの?」
姉さんは今度こそ呆れてため息をついた。
「陣ちゃん、そんなことばっか言ってると、そのうち通報されて逮捕された挙句、晒し者にされて社会的に抹殺、二度とお天道様を拝めなくなるよ」
「怖いこと言うね。ていうか、そんなことばっかり言っているわけじゃない。俺と姉さんの仲だからさ」
「嘘ばっかり。唯奈ちゃん言ってたぞ。陣ちゃんがしょーもないことばかり言うって」
「四元さんは仕方ない。何せウチの部のマネージャーだから……って、姉さんは四元さんと知り合いだったっけ?」
「今度のバイト先で知り合ったの。可愛くていい子じゃん」
「それは、俺もまったくもってその通りだと思う。それよか最初の質問の答えは?」
「なんでそれを答えなきゃいけないの」
信号が青になり、姉さんは自転車をこぎ出した。俺は慌てて追いかける。