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高校でテニス部に入ることしか考えていなかった俺はテニスコートの良さで大原高校を志望し、無事に入学したものの、大原高校には男子テニス部がなかったという。なんで前もって調べておかなかったのか。自分のこととはちょっと信じがたいほど間抜けな手落ちである。しかしながら思い起こせば、確かに入学当初、高い防球ネットとフェンスに囲まれたハードコート二面、オムニコート一面という、ここらの公立の高校にしては恵まれた設備は女子テニス部が占有していた。
ならばいっそ女子テニス部に入部しよう、いやむしろ最初からそっちの方が良かったじゃないか、日常がパラダイスだぞと我門相手にしゃべりまくっていた矢先、五月に開催された球技大会で俺は迷うことなくテニスに出場したらしい。出場前に「優勝杯を君に捧げよう」と、ある可愛いクラスメートの女の子に阿呆みたいなアプローチまでかける気合の入りようだったと我門は言った。
そんな阿呆なことがあるか。そう反論しようとしたが、テニスとは無関係のその記憶はしっかりと残っており、俺は慎ましくその記憶から目を背けるだけにした。
球技大会中の記憶となると、いよいよ靄がかかったようになる。決勝まで進んだ俺は「この調子で優勝して優勝杯を頂戴したら、それになみなみとオレンジジュースを注ぎ、ストローを二本さして教室でアプローチをかけたあのレディと一緒に心ゆくまで勝利のオレンジジュースに酔いしれるのだ」と我門に宣言して決勝戦に臨んだという。どこまでも油断大敵のいい標本である。そんなふうに可愛い子と一緒に優勝杯でオレンジジュースを飲むことだけ考えながらテニスに勝てるわけがないだろう、テニスをなめるな、ばか。
決勝戦の相手は三年生の西田先輩という人だった。彼は何故これ程強い人がテニス部の存在しない学校に甘んじているのか分からない、と周りを困惑せしめるほどの技量を持ち、その強さは鬼神さながらだったという。立ち上がりは妄想オレンジジュースにほろ酔いだった俺が4ゲーム連取される形で始まったらしい。始まったというよりほとんど終わりかかっているような気がするが、西田先輩のストロークが俺の妄想を打ち砕いてからは俺も大分食らいついたそうだ。西田先輩の豪打に4ゲームも耐えた俺の妄想は強い。確かに強い。しかしながら、これは妄想力の勝負ではなかった。結果4―6で俺は屈したらしい。
簡単に行われた授賞式からは再び記憶が戻る。俺は自分の賞状を受け取ってから、西田先輩の授与を見たが、渡されたのは俺と同じ賞状だけだった。なんと、初めから優勝杯は存在しなかったのだ。授与の時、西田先輩は確かに先生とこういうやり取りをしていた。
『あの、先生。優勝杯は?』
『そんなもの、無いよ』
『無いと言われてもですね、彼女と約束があるのですが。優勝杯で一緒に優勝記念カクテルを飲むという……』
『無いよ』
西田先輩はまるで一回戦敗退でもしたかのような落ち込み具合だった。というか、三年生にもなって、なにゆえ球技大会に優勝杯が存在しないことも知らなかったのだろうか。
こうして幕を閉じた球技大会であったが、俺と西田先輩の試合に限らず、男子テニス部が無いことが嘘のような試合が他にも多々あったという。木戸、大場、日野がいたためだ。何とトーナメント表の関係上、全員俺に倒されたそうだが、それで優秀なプレーヤーが同学年にいることを知った俺は急遽女子テニス部への入部を止め、彼らを誘い、我門を強引に引きいれてテニス部を作り上げたのだという。
「なるほど。どこで出会ったのか判然としなかったわけだ」
これで大分すっきりした。
「これだけ話しても思い出さないとは」
「でも、部分的には覚えとるみたいやな」
「それで、四元唯奈は覚えているのか?」我門がにやにやしながら訊く。
「おお、それは我が愛しの彼女」
「じゃなくて、ウチの部のマネージャーだ。お前が優勝杯を捧げようとした」
「でも反応を見るあたり、忘れている心配はなさそうだね」
日野は冷静に分析した。