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俺は四人の男に囲まれて病院のベッドに横たわり、渋々そいつらの話に耳を傾けていた。目を覚ましたら見知らぬ場所にいるというのはやや劇的だが、そこで四人のむさ苦しい男に囲まれていたのではその効果もだいぶ薄れる。俺はすでに四人の役にも立たない話を聞き流していて、何故可愛い女の子の一人も俺の見舞いに来ていないのか訝っていた。
「お前本当に忘れちまったのか?」
我門は驚いて確認してくる。
「共に全国制覇を誓ったやないかー」
木戸が俺のベッドに泣きついた。
「早春の凍てつく海でー」
大場も倣う。
俄かに話に引き戻される。そんな聞いているだけで羞恥に肌が粟立つような青春ゴッコを俺がしたというのか。だとしたら忘れてしまった方が自分のためだろう。
「何ゴッコ?」
日野は呆れてかえっている。
「まあ『高校テニス青春物語―めざせ、インターハイ―』ゴッコっちゅうとこやな」
「嘘かよ」一気に力が抜ける。「記憶喪失の人間にそういう冗談仕掛けるとかあり得ないわ」
「テニスのことだけ忘れるなんて器用なマネの方があり得ないだろ」
「そもそもテニスを忘れたんなら、俺らのこと覚えとるのが不思議なくらいや。お前、ホンマちゃんと覚えてるんか?さっきから合わせとるだけやないやろな?」
「まさか」
「ほな、こいつは?」
木戸は我門を指す。
「我門勇介。小学校時代からの付き合いだ。かなりの阿呆であるにも関わらず、彼女がいることが不可解かつ羨ましい」
「ほほう、こいつは?」
日野を指す。
「日野正。高校からの付き合いだな。我らが大原高校に稀有な品行方正、がり勉男。少しは冗談の勉強でもしろよと思う今日この頃」
「こいつは?」
大場を指す。
「大場道夫。こいつも高校から。常識がありそうな雰囲気を出しておきながら、ふざけにノるときはとことんノる。ちょっと地味なところがやや残念」
「俺は?」
「木戸高道。高校から。亜関西弁と称して神奈川県民のくせに我流の関西弁を話していたせいで、標準語を上手く話せなくなった阿呆」
「このやろ」
「まあ、待て」俺を叩こうとした木戸を日野が抑える。「やっぱり変だよ。坂上が俺たちのことを説明する時にテニスのことに全く触れなかった。使ってるラケットとかさ」
「なるほどな。にしても日野、お前は無意味に知的だな」
我門はベッドの端に腰かけた。
「無意味じゃないよ。やっぱり、坂上はテニスのことを忘れてるね」
「いや、でもお前らが使ってるラケットは覚えているぞ」少し考え込むと、すぐさまイメージが浮かんでくる。「木戸はプリンスのディアブロ、日野はウィルソンのNシックスワン、大場はヘッドのリキッドメタルプレステージだ。我門は硬式のラケット持ってないだろ?」
「ほほー。覚えとるやん」
「それじゃ、こいつは何だ?」
我門が足元からオレンジと黒に彩られたラケット取り出す。
「おお、我が愛しのラケットちゃん。フェイス面積九十八平方インチ、ストリングスパターン十六×十九、フレーム厚は二十一ミリのスリムなフラットビームに、重さは二百九十グラムでちょっと軽いがそれがまたいい所。ダンロップの名作300Gじゃないか」
「お前、ホンマにテニスのこと覚えてないんか?」
俺は改めて考え込んだ。しかし目の前にあるラケットのことをこれだけ知っているのに、使った記憶はさっぱりない。
「いや、テニスをやった記憶はないな」
「それじゃあ、自分のこと覚えてんの?」
「坂上陣。大原高校二年生」
「それで?」
「四月三日生まれ。牡羊座。A型」
「それで?」
「高校中の女の子の注目の的である」
「まあ、確かに注目の的(笑)だけどな。でもそうじゃなくて俺が訊いてるのは所属部活のことなんだけど。陣が作ったんだぞ、テニス部は」
大場は言いながら驚いていたが、俺はもっと驚いた。
「そうなのか?」
しかし、よく考えてみれば確かにそうだ。穴だらけの記憶の向こうに確かにそんなものを結成した記憶がある。
「大体、中学の時からテニススクールに通ってたんだぞ、お前は」
我門がため息をつく。
「まあ、あんまり褒めたくはないけど、坂上のストロークは確かにすごかったよ。速い球、遅い球、高い球、低い球、どんなタイミングでも強打で返してきた」
日野はいかにも渋々という感じで言う。
「おまけにスピード、コントロール、回転も申し分なかった」
「返すのは基本ライジングやから、戻る暇もあらへんかった」
「そして、生まれついての女ったらし」
「変態」
「無類のストローカーというより無類のストーカーだな」
「うるさい、うるさい。テニスのことを聞いてんだよ」
四人が俺を貶してゲラゲラ笑い出したので、俺は苛々しながら先を促した。