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猫の主観

誰かにとって誰かは誰に視えているか。

要するにクオリアの話……違うかもしれない。

『吾輩は猫である──』


 誰でも知っているであろう有名な文学の出だし。

 初めて読んだのがいつだったのかは忘れてしまったし内容も今ではほとんど覚えていないけれど、当時からしたらきっとすごく斬新な小説だったんだろうなと思ったことだけは覚えている。

 猫の主観で描かれる物語なんて、一体どんな生活をしていたら思いつけるのか私には想像も付かなかった。

 ──数か月前の私には。


「よぉ、そこ行く可愛い小猫ちゃん」

「………………」

「なんだい、無視かい? つれないねぇ」

「…………」

「最近の若い娘は年寄りに優しくねぇなぁ」

「……何? 私急ぐんだけど」


 努めて聞こえないフリをしようとしたけど、結局私は振り返ってしまう。

 ニヤリ、という笑みの気配を漂わせた声の主は……汚らしい一匹の猫である。


「嘘言うなよ、おじさん知ってんだぞぉ? いつも決まった時間にお友達に会いに行ってんだろ。その時間までまだ少し間があるぞ」

「私の事つけてるの?」

「ませた事言うにはちと歳が足らねえぞ。俺は暇なだけだ」


 辺りをさっと見回す。

 元々人通りが少ない路地だから周りに人は居ない。

 野良猫と会話しているところなんて他人に見られたら色んな意味で問題だ。

 そう、彼は猫なのである。

 なんで人の言葉をしゃべっているのか……という疑問はこの場合的外れだ。なぜなら原因はこの汚い猫ではなく私の方にあるのだから。



 猫の言葉が判る。

 自分のその能力に気付いたのは丁度三か月くらい前のこと。

 その時もさっきと同じように、同じ声に呼び止められたのがキッカケだった。

 周りにソレらしい人影が無いのに、中高年くらいの男の声が自分に呼びかけてくるものだから、そりゃあ驚いた。

 思わず悲鳴を上げて逃げ出そうとしたときに、ふと壁際に座り込む薄汚い猫と目があったのだ。

 普通に考えたら一層気味の悪い状況だったのに、私はそこで直感した。『彼』こそが自分を呼び止める声の主なのだと。

 その直感は的中した。

「よぉ、そこ行く可愛い小猫ちゃん」

 ニヤリ、という笑みの気配を漂わせて、その猫は改めてそう口にしたのだ。



 以来、私は猫が何を考え、何を話しているのかが判ってしまうようになった。

 この能力がその時目覚めたのか、以前からあったのに私が気づかずにいたのかはわからない。

 ただ、自覚してしまったおかげで私は『普通でいること』を装わなければいけなくなってしまったのだ。


「話しかけないでって言ったじゃん」

「なんでさ?」

「そんなの、猫と会話してるとこなんて見られたら変に思われるでしょ!」

「無視すりゃぁいい。イチイチ反応してくれっからおじさんも面白くってからかいたくなるんだ」


 やっぱり、わざとか……この猫。


「くくっ、悪かったよ。さっきも言ったがおじさん暇でな、話し相手が欲しかったんだ」

「野良猫仲間とでもしなさいよ……」

「……そうだな、そうできりゃよかったんだが」


 ん?

 なんだろう、軽口のつもりだったけれど妙に寂しそうな声が返ってきた。

 もしかしてあまり触れてはいけない部分だったのだろうか。野良猫社会にも色々あるらしい。

 急に彼が黙り込んでしまった所為で居心地が悪くなってしまう。


「……ねぇ、もういい? そろそろ時間だから」

「ん、あぁ、すまんかったな。ありがとよ……──あぁ、そうだ最後にもう一個訊いてみていいかね?」

「……何?」


 あからさまに逃げの姿勢になっていた私は何となくバツが悪く、これくらいは真面目に応えてもいいかと足を止める。


「お前さんから見て、俺は猫だよな?」

「え? う、うん」

「じゃぁ、俺から見てお前さんは何に見えてると思う?」

「……はぁ?」


 しかし、出てきたのはそんなわけのわからない質問だった。

 折角気を使ってあげようと思えば、結局は自分の暇つぶしに下らない話を吹っかけるだけだなんて。所詮野良猫、ちょっと深い事情とかあるように見えたってその程度ということなのだろう。

 でも足を止めた手前これくらいは付き合ってやろう。

 敬老精神だ。


「そりゃ、人じゃないの?」

「ふふん」

「何その笑い」

「良く考えてみろや。仮にお前さんが『猫の言葉が判る人間』だったとしても、猫の側から『こいつは俺の言葉を判ってくれる人間だな』なんて判らねぇだろうが」

「それはそうだけど、だからなによ」

「何で俺は、三か月前に君を呼び止めたんだと思う?」

「……あのねぇ、さっき自分で言ってたじゃん。暇だったからって。もういいでしょ、さよなら!」


 これ以上は付き合うまいと、私は振り返ることなくその場を後にした。

 猫と会話できても、身になる会話などできないということなのかもしれない。



   ***



 特に何があるわけでもない交差点で、二人の少女が立ち話をしている。

 学校でどうのこうのとか、夕べ見たテレビ番組が云々だとか、毒にも皿にも、身にも骨にもならない話題で随分と盛り上がっているようだ。

 仕舞には「普通過ぎる生活がつまらない」とか身も蓋もない事まで言い出していたようなので、俺は早々にその立ち話に聞き耳を立てるのをやめた。

 感心を引くことが無くなった俺は路地の木陰でぼんやり座り込んだまま別の暇つぶしはないかと視線を泳がせる。

 が、そんなものそこらにゴロゴロしているわけもない。

 精々通りかかった子猫をからかって数分を棒に振ることになってしまった。


「あ、チーちゃん来た!」

「え、ほんと?!」


 と、何やら交差点の方から黄色い声が聞こえる。

 何事かと見ればさっきの少女二人だ。まだ居たのか。

 彼女らは自分が、この俺以上に無駄な時間を大漁旗ぶん回すみたいに景気よく浪費していたことに、果たして何年後気づくのやら。

 どうやら彼女らの声と視線は、近づいてくる小さな影に注がれたものらしい。


「やっほー、チーちゃん! やっぱり今日も来たんだねー」

「へー、その子がユイの言ってた?」

「そそ、可愛いでしょ?」

「うんうん! 超かわいい! こんにちは、チーちゃん。ユイの友達のエリカでーす」


『ニャー』


「わぁー! 返事したみたい!」

「でしょ? この子話しかけるとなんか返事する見たく鳴くんだよ!」


 キャーキャー言い出す二人の少女とニャーニャー鳴く一匹の子猫。

 一体どっちが意味のある言葉を発しているのか判ったものではない。

 呆れてモノも言えないし、言うつもりもないが他に目を向けるネタもないので見るともなしにその光景を眺めていると、エリカと名乗っていた少女がこちらに気付いた様子で顔を引きつらせた。


「え、ちょ、なにあれ」


 口に手を添えてヒソヒソ話のような体で隣に居るユイというらしい少女に声をかけているが、悪いが丸聞こえである。


「何って……うわ、ちょ、見ちゃだめだよ! こっち!」


 友人に遅れて俺に気付いた少女は見るなりこちらの死角になるように別の路地へ姿を隠した。

 習って先に俺に気付いた方も道の先へ隠れる。

 そのままこの場を離れるのが当たり前の行動だろうに、何がしたいのかこっちから見えない位置ですぐ立ち止まって会話を続行しだしている。

 やはり丸聞こえだ……と言いたいところだが、多分これは俺が少々地獄耳過ぎるかもしれない。


「あれ、なんか最近うちの近所で噂になってるホームレスだよ」

「ええー、マジで」

「まじまじ。なんか最近になってこの辺住み着きだしたとか」

「都内とかならわかるけど、この辺で今までそんなん聞いたことなかったのに、こわー」

「しかも、なんか野良猫とか雀とかカラスとかに話しかけてる姿とか目撃されまくってるらしい」

「なにそれ、もしかして頭ヤバイ人? きもー……」


 聞こえていないと思っているのだろうが酷い言いようだ。これでもし聞えよがしにやっているならむしろさっきまでの評価を改めてやるところだが期待薄だろう。

 そしてさらに酷い事と言えば、彼女らの言葉を一つも否定できない俺自身のことだろう。

 動物と話す人間。

 コネと運やめぐり合わせでもあればテレビかなんかで一山当てられそうだが、そのどっちもないと世間様の目は冷たいばかりだ。

 さて。

 さすがにこの辺でも俺の話が大分広まっているらしい。

 通報でもされる前にずらかるとしよう。



 こんな時、本当に自分が猫だったら楽だろうに……なんて言ったら、身も蓋もないか。

不審な男が猫に話しかける事案。

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