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ひとりぐらし

何かが曖昧な話。

私の新たな日常はこの言葉から始まる。


「ただいま」


 ──おかえり。

 そう応える声は帰ってこない。当たり前だ。何せここはもう私だけの城なのだから。

 親と喧嘩までして勝ち取った独り暮らしも、気づけばもう一ヵ月経っていた。

 まだまだ慣れない事も多いけれど、やはり一人と言うのは気楽で良いモノだ。あれこれ急かす人間が居ないから何でも自分のペースでやっていける。

 大変だろうと懸念していた掃除や片づけも、そもそも散らかすのが自分しかいない分、思いのほか大きな手間にもならない。

 あえて言うなら生モノの処理を怠るとすぐに傷んでしまうということが、まだこまめに片づける習慣が手になじんでいない私にとっての気を付けるべき今後の課題だろう。


 帰ってきた私は荷物を置くと、決まってすぐにシャワーに向かう。

 人によってはなんてことはない日常の一コマに聞こえるかもしれないが、私にとってこの行動は結構大きな意味がある。家族と一緒に暮らしていた時はこうして好きな時にシャワー等できなかったからだ。

 ある意味この家の占有権を実感するためのちょっとした儀式的習慣なのである。


 シャワーを出て楽な部屋着に着替えると普段ならば最低限の家事などを消化するのだけれど、この日の私は何故かふと思い出した過去の出来事の所為か、全く別の事に意識が向いた。

 思い出したことと言うのは、この家の中でかくれんぼしたことだ。

 ……なんて言い方をすると子供の頃の可愛い思い出のように聞こえるかもしれないけど、実際はまったくいい思い出などではない。何せ下手をしたら死んでいたかもしれない、ちょっとした事故だったのだ。


 原因は忘れてしまったが、ある初夏の日。私は親と喧嘩した勢いで家を飛び出してしまった。──と見せかけて、普段は物置代わりに使っている部屋のクローゼットに隠れた。

 灯台下暗しでまさか家の中に居るとは思わないだろうし、普段使わない部屋の、普段使わないクローゼットの中など意識的にも死角になる場所。ここで様子をうかがい、心配してうろたえる様子を観察してやろうという腹だった。

 我ながら陰湿かつ狡猾な事を思いついたものだと思った。

 でも私はすぐ、自分がいかに甘く愚かなことをしていたか思い知らされた。

 初夏とはいえ連日最高気温を更新するような日が続いていた中、そんな風通しも悪く締め切った空間に居ればどうなるか、客観的に考えてみれば想像に難くない。

 そこは、大変に暑く息苦しい場所だったのだ。

 とてもではないが長居できるような場所ではなかった。

 すぐに後悔したものの、まだ私にもプライドがあった。

 今ここで暑さに負けてのこのこ出ていくようでは、みっともないなんてレベルではない。ここに居たことは意地でも悟られるわけにはいかなかった。

 せめて親が早々に根負けして飛び出して行った(と思っている)私を探しに家を空ける隙を見て脱出しようと心に決めた。

 しかし、子供とはいえ昼間に一時間や二時間程度外出した程度で無用な心配をするほど我が家の両親は親ばかでもバカ親でもなかった。

 必死に暑さに耐えるも、待てど暮らせど家を出入りする気配は感じ取れない。

 クローゼットの中に居るとはいえ玄関の開閉がされれば振動や音でわかるはずだが、それもない。

 三時間か四時間か、もしかするとそんなに経っていなかったかもしれない。

 暑さの所為か、私はめまいや手足の末端がしびれるような症状を感じ始めていた。

 この時期になると頻繁に聞く、いわゆる熱中症の症状らしいことは特に詳しいわけでもない私でも察しがついた。

 それでもここで見つかる事の屈辱と天秤にかけた私は、そこで耐え忍ぶことを選ぶしかなかったのだ。


 ──そのあとの事は、意識が朦朧としてしまって良く覚えていないけれど、頭に血が上っていたとはいえ馬鹿な事をしたものだと、そう遠くない過去の自分に今の私は失笑を禁じ得ない。

 今、視線の先にはその時に使った部屋のドアがある。

 そこは相変わらず物置部屋で、多分この先も……少なくともしばらくの間はそのままだろう。

 雑然と特に整理もせず要らない物を放り込んだだけの部屋は、今から片づけるのはとても大変だし、その手間を押して片づけねばならない状況も今のところ起きる予定もないはずだから。

 でも何故だろう。

 今日もまた外が一段と暑かったからだろうか。ふとその部屋が気になった。

 あの日から私がその部屋を開けた記憶はない。

 もちろん、その用事が無かったからだけど……はて、本当にそうだったろうか?

 私がこうして新しい生活を始めて今日でひと月ほど。

 新しい生活を始めたのならきっと要るものいらないものが色々出てくるはずだ。

 私はいらなくなったものを全て捨て去るほど思い切りのいい人間だっただろうか。

 ドアの前に立つ。

 取っ手を見ると、やはりしばらく誰も触っていなかったのだろう、うっすら埃を被っているようだった。

 鍵のかかる部屋でもない。私はさっと埃を手で払ってドアを開けた。


 窓もカーテンも閉め切り薄暗い部屋だ。

 他の部屋と違って人の生活を感じる匂いが薄く、感じられるのは埃やカビなどの匂いだけ ……かと思いきや、他に何か違う匂いがする。何かが腐ったような嫌な臭いだ。

 もしかして何か、生モノをうっかり放置でもしてしまったのだろうか。だとしたら相当な時間、この暑い中放置していたことになる。大惨事の予感がする……。

 しかしならばなおの事、片づけないわけにもいかない。

 手探りで壁のスイッチを押すと、渋るように古い蛍光灯が時間をかけて点灯し部屋を照らした。

 大小さまざまなものが無造作に置かれた部屋を一瞥するが、パッと見ソレらしいものは見当たらない。

 匂いの元は何かとさらに視線を巡らすと、一つの家具に目が留まった。

 クローゼットだ。

 良く見ると扉がわずかに開いている。

 他に見当のつくものが無かったからという、ただそれだけの理由で、私はまたその扉を開けた。


   ***


『──次のニュースです。

 S県T市のマンションの一室で、○月×日の夕方頃、付近の住人から異臭がするとの通報を受けて駆け付けた警察により、物置部屋のクローゼットの中から女性の遺体が発見されました。

 遺体の腐敗が激しく身元の特定が困難になっているものの、警察はこの女性を、この家に住む十七歳の少女のものとみて捜査を進めています。

 またこの一室に住む、同少女の両親についても、ひと月ほど前に「旅行に行く」と行ったきり行方が分からなくなっていることが判明し、何らかの事件に巻き込まれたものとして同時に捜査を進める方針です。


 次のニュースは──』

真相は誰も知りません。

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