五月雨
史実無視のお話です。それでもかまわない方のみ読んでみてください。
「土方さん、近藤さんが呼んでますよ」
障子の向こうでは女を抱いて満足した男、新撰組“鬼の副長”こと土方歳三が気怠そうに唸った。
「あー……総司か?」
「女遊びに勤しんでる貴方を呼べるのは俺しかいないでしょう」
他の隊員達は恐がってこの部屋にすら近寄らない。寄ってくるとすれば女中やどこかの遊郭の女ぐらいだ。
俺、沖田総司には全くそう思えないが、土方さんは端整な顔立ちをしているらしい。涼しげな目元が素敵だとある女中が言っていた。だからかはわからないが、土方さんの部屋に通う女は少なくない。
「勤しんでるわけじゃねぇさ。これも情報集め」
「減らず口叩く暇があるならさっさと近藤さんのところに行ってください」
ふざけているのか、ただ単に軽い男なのか……俺はとにかくこの男が嫌いだ。
クスクスと笑う女の声が酷く耳障りだ。何が楽しいのか、それとも甘えているのか。正直どうでもよかった。
「お前も呼ばれてんの?」
「そうです。先に行ってますから」
この場にいたくなかった。だから俺は逃げるように廊下を歩いた。
「どうしてよ!」
数歩進んだところで女の喚く声。勿論それは土方さんの部屋から出ているもので。
「アンタなんかもう知らないから!」
勢いよく女が飛び出したのは怒鳴り声のすぐ後。頬に薄赤い手のひらの跡をつけてのそのそと怒鳴られた当人は現われた。
「またフったんですか?」
言い寄る女を受け入れる土方さんは必ず女に別れを切り出される。もしくは別れたいがために、わざと嫌われようとしているのかもしれない。この人はそういう人間だ。自然と俺の見る目は冷たいものになる。
「無駄な時間の短縮だ。この方法が一番手っ取り早い」
「そうですか」
興味なく返したら土方さんは幾分か背の低い俺を見下ろす。
「お前も結構モテるんじゃねぇか?」
ニヤリと底意地悪く笑う。不本意だが土方さんだからこそ、この笑い方が似合うのかもしれない。
「異性に入れ込みすぎて剣の腕が鈍るの嫌なんで。俺そういうの興味ないし」
刀を振るだけで、今の俺は充分満足だから。
「……総司」
ふっ、と横に並んでいたはずの男はいつの間にやら足を止めて俺を見据えていた。
「何です?」
「ここには俺とお前しかいねぇよ」
「……だから?」
回りくどい言い方は癪に触る。大人はどうしてこうはっきり物が言えないのか。
「言葉遣い、戻したらどうだ?」
「……」
土方さんの言葉のせいか、刹那強い風が吹き荒れた。詰所に満開に咲いていた桜は花びらを散らし、青葉をつけ始めている。
「桜」
俺は素早く刀に手をかけた。でもそれより、土方さんの方が早く俺の手をつかんでそれを制した。
「髪に付いてる」
「……っ」
淡々としたこの男。俺が毎朝きちんと結わえた髪に容易く触れ、せっせと花びらを床に落とす。
「……わざとですか?」
「何がだ?」
「名前……っ」
土方さんは普段、花なんかに興味を示す男ではない。というか、ここにいるほとんどが花より団子という猛者の集まりだ。
「自分の名前がそんなに嫌か?」
「言うな!」
耳を塞いでその場から飛び退く。
「その名はとうに捨てた!」
「一生隠すつもりか?」
叫ぶ俺に対して冷静な土方さんは真直ぐ俺を見る。
「……当たり前でしょう」
その目のせいか俺自身も少しばかり頭が冷えた。一番隊隊長の名が聞いて呆れる。
「皆が不思議がるぞ。その女みてぇな顔つき、もう伸びねぇ身長。それに……胸の膨らみ」
土方さんの目が俺の胸元に刺さる。さらしで巻いたその胸は、目の前の男の言う通り膨らみ始めていた。
「自分は女だと、言ったらどうだ?」
また風が吹いた。それはまるで俺の心の状態に左右されてるようで。
「言ったら江戸中大騒ぎになりますよ。新撰組で一、二を争う剣豪が女だったなんて」
「まぁ、そうだろうな」
他人事な土方さん。長年の付き合いだ、考えてることはなんとなくわかる。
「そうしたらここにはもういれなくなる。それじゃ俺の願いは叶わないんですよ」
「くだらねぇ願いで自分騙して良いのか?」
煙管をくわえて火をつける。紫煙の線はゆらりと空に舞い上がった。
「武士の考える事は皆くだらないと思いますが?」
口の端をつり上げて笑う。
「……武士の前に、お前は女だ」
「土方さん、俺は女を捨てたんですよ。あの時から」
○○○
十二、三年ほど前だったか。俺がまだ六歳のときで、まだ女だった。
この頃は土方さんがまだいなくて、近藤さんや兄弟子の源さんが剣術の練習をするのを毎日見ていた。
「桜、今度お前も剣術習うか?」
俺が教えてやる、と現新撰組局長の近藤勇は笑って言った。
「やりたい! あたしも勇ちゃんみたく強くて優しい武士になる!」
「そうかそうか」
このときの俺と近藤さんのやり取りは、冗談みたいなものだったと、俺は思ってる。
笑ったり泣いたり、本当に毎日が楽しかった。あの日までは。
「離して……っ!」
「大丈夫、お嬢ちゃんなら高く売ってもらえるよ」
お使いの帰り道だった。道草していたら日はとっぷり暮れていて、農家の道は薄暗かった。
俺が足早に帰っていると、背後から見知らぬ男三人が俺を呼んだ。突然のことに足を止めた、その一瞬で俺の体は自由を奪われた。
「離せってば!」
両腕をつかまれて、足がジタバタと動く。
「あんまり騒ぐと……殺すぞ」
殺気を見たのは、初めてだった。恐怖に黙った俺に満足したのか、上から下まで俺を眺めた後、感嘆の息を漏らした。
「こいつは将来上玉になるぞ」
「高く買い取ってもらわにゃぁな!」
つかまれた腕が痛い。目に溜まった涙が零れた瞬間、鈍い音が聞こえた。
「桜を離してもらおうか」
「勇ちゃん!」
木刀片手に現われた近藤さんは、本当に頼もしく見えた。
「一対三で勝てると思ってんのか?」
俺を捕まえた奴らも本物の刀を構えた。
「天然理心流、見せてやるよ」
〇〇〇
「で? 何が言いたいんだ。結局は局長が勝ったんだろ?」
「……土方さんならご存じでしょう、右腕の傷。あれは俺のせいで出来た傷です。」
幼い自分を助けようと真剣相手に木刀一本で戦った近藤さん。利き腕には斜めに走った直線の傷跡が未だに残っている。
「近藤さんには一生かけて命を差し出す理由があります」
女という弱い盾を自分で壊し、家族の制止を聞かずに男の名前を名乗るようになった。
十六になった今、女になろうとする体を怨み、他の隊員との腕力の差を痛く感じ、唇に紅をさすことも色鮮やかな着物を着ることもない。
「皆に知られたらここを出ます。それまで、近藤さんを手伝いたい」
だから女であることは絶対の秘密。
「一つ聞きたい」
眉間にシワを寄せて土方さんが呟く。
「どうぞ」
「局長に好意があるってことか?」
「まさか。それなら土方さん自身が気付くはずでしょう」
鬼と呼ばれるだけあって、土方さんの勘は鋭い。他人の変化を真っ先に感じ取り、次の手を考える。
近藤さんを理解し、隊員を見守るこの男だから副長になれたのかもしれない。
「もし副長が貴方じゃなかったら、ソイツを殺して俺が副長になったろうな。」
嫌いだけど、尊敬はしてる。俺の土方さんに対する気持ちはまさにそれだ。
「近藤さんは恋愛なんかで繋がっていい相手じゃない。それ以上の何かがあるんです」
「……わかった、もう追究しねぇよ」
呆れとあきらめの両方のため息を吐き出し、土方さんは言う。
「ありがとうございます」
ふわりと空気が温くなった。顔を出していた太陽は雲に覆われ、空が泣き出す。
「黙ってるが条件が一つある」
「?」
「もし隊員に知られても、ここにとどまらないか?」
彼なりの優しさなのだろう。口は悪くても、俺を気にかけてくれる。
「それはそのときに考えます」
そう遠くない未来、近藤さんは斬首され、土方さんは新しい時代に流され、俺は病に倒れる。
今を生きる俺はただ土方さんに笑いかけた。
読んでくださりありがとうございます。
なんだか勢いで書いてしまいました。こんなことあったらどうだろう、と思ったもので……
感想があればぜひ教えてください。