第三十五話 大樹の神と“初代”
譲葉はユミルの方へ近寄り、俺をゆっくりと下ろした。
「翡翠様、どうして」
ユミルは明らかに困惑している。それを見て譲葉はニコッと微笑んだ。
「あー、時雨がピンチだったからね、つい」
「いや『つい』じゃ済まないですよね…?だって今の貴方は「んー、なんのことかな?」翡翠様!?」
…おいおい、いきなりコント始まってないか?というかさっき下手すりゃ死んでたよね?なのになんだこの状況。
とはいえ…目の前の譲葉に救われたという事実は変わりない。
「あー…その、さっきはありがとう。助かった」
俺がそう言うと、譲葉は驚いたように目を丸くする。そして一瞬困ったような表情を見せたが、すぐに微笑み返した。
「いやいや、礼を言われるようなことはしてないよ」
そう言いながら何故か俺の頬に触れてくる譲葉。だが、何故か嫌な気はしなかった。寧ろ――安心感のある温もりを感じる。
「…やっぱりか。あの“影人”、急に様子が可笑しくなったから、まさかと思ったけど…」
またやったのかな、と眉を顰める。というか、「あの子」って誰だ…?ここに来る前に何かあったというのか?
さっきの表情も妙に引っかかるし…と思っていると、例の青年の呻き声が聞こえた。その声で我に返り、刀を握る。…しかし何故かいつもより刀が重く感じる。今までこんなことなかったのに、何で…。
「本調子じゃなさそうだね、時雨」
「っ…そうだな」
譲葉に聞かれ、俺はどうしてか素直に答える。…いや、確かに初対面の相手――ましては(自分もそうだが)神だ――に早々失礼な態度は取らないが…何でだろう。同時にこの神に隠してもそれは効かない様にも感じる。
「さて…手早く終わらせるか。君や――俺の為にも」
そう言い、刀を構える譲葉。次の瞬間、俺の目の前に彼の姿はなかった。
「くそ……ッ!!?」
恨めしそうな青年の声がしたかと思えば、青年の目の前には譲葉の姿。アイツ、いつの間に…。
青年の方も予想外だったのだろう。突然目の前に現れた譲葉の姿に驚き、動けないでいる。そこに譲葉は容赦なく斬り払った。
「な……痛あああああっ!!」
何もかも一瞬の出来事だ。その一太刀をまともに受け、肩から吹き出す血を押さえながら青年は下がる。
「退くか。だがこれで終わったと思うな」
言い終わる前に譲葉は既に相手の背後に回っていた。何もかも、青年が気付く前に、彼は動いている。
一体何なんだ、アレは……。
「《刹那の太刀筋》…相変わらずね、譲葉」
「《刹那の太刀筋》って…使い手があまりいないっていうあの!?」
命の口から出てきた単語に俺は驚く。
――刹那の太刀筋。対象より“必ず”先に動き、対象の次の動きを“必ず予知”する。それらを利用して“刹那”の内に斬りつける。これを回避することはほぼ不可能。
この技を使えるのは数える程度しかいないという、とんでもない物だ。…正直、俺もちょっと力を使えば出来なくもないだろうが、“本物”には到底及ばない、謂わば“偽物”止まりだろう。
そんな技を、譲葉は難なく使いこなし、青年を着実に追いつめていく。青年の方は《マジックウォール》でどうにか防いでいるが、その壁は既にヒビだらけになっていた。もうじき壁は崩れる。譲葉の刃が青年自体を傷付けるのは時間の問題だろう。
譲葉の目には静かな怒りを湛えている。一瞬、彼の蒼い瞳と合って、そんな風に感じた。
パリン、と砕ける音。譲葉の一閃で《マジックウォール》の盾が崩れ落ちていく。青年が息を呑み、身構えようとする――その前に譲葉が蹴飛ばした。
「ガハッ…!」
「悪いな。確かに君の様な者にこんな手荒な真似は普通しないんだがな…。今は手加減できそうになくてね」
派手に飛ばされ、何度か転がり、ようやく止まる。すぐに起き上がる気配はない。そこに譲葉が刀を構えたまま、ゆっくりと近づいていく。
――このままだと、殺してしまう。
それじゃあ意味がない。もし、あれが“ルーグ=シグナル”だとしたら、取り返しがつかない。
「ま、待て!そいつはルーグかもしれないんだ!だから、トドメは…!」
今トドメを刺そうとしている彼の方へ駆ける。俺の声を聞いて譲葉はピタリと動きを止めた。そうして、俺が傍に来ると蒼い瞳が射抜くように俺を見詰める。
「…何故、こいつが“ルーグ”だと?」
「わからない…。確証はない…でも、もしそうだとしたら…」
「確かに、取り返しのつかない、深刻な事態になるな。…でも、本当にそう思うか?」
「………」
強く言われ、言葉に詰まる。…どうも譲葉には敵わない。何故か、そう直感する。
「それに、そんな身体の状態で浄化しようとするのかい?…それこそ馬鹿げてる。今の君の不調は時間が経てば経つほど悪化するよ。それを解決するのも――君次第だ。その為にも、君はこんな所で倒れてちゃ駄目なんだ。」
「は…? なんで、原因を知ったような口を」
「見たからさ。君の不調を引き起こしてる影に。」
「――――」
次々と紡がれていく言葉の矢。俺には返す言葉もない。譲葉は…一体、どこまで、何を知っているんだ?
「……ルーグ…?」
蹲っていた青年の小さく掠れた声。それに警戒し、譲葉が刀を構え――フラついた。
そのまま倒れるんじゃないか、というくらい譲葉の身体が傾き、咄嗟に手を出して支えた。
「…っと、悪いな」
礼を言う譲葉の表情は険しい。それに、少しだけ呼吸も荒い。…どうしてだ?さっきまで何ともなかったというのに。
疑問に思っていると、青年が起き上がろうとしていた。
「ルーグ…今、ソイツの名前を言ったよね、君達は――」
ゆらり、と怪しい素振りを見せる。これは、何か来る――。そう直感し、身構える。
青年が何か言おうと口を開いた時、背後に気配を感じた。
「やれやれ…そこの黒いヤツが僕だと言いたいの?君達は」
「…俺は最初から否定していたが?」
「っはは、さすがは古参の神だ。僕の気配とかも覚えてたっていうのかい?」
「さぁ?俺の直感かもしれないぞ?――本物の、ルーグ=シグナル」
振り向きもせず、譲葉は背後にいる存在に向かってそう言った。
次には、フッと笑う息遣い。気になって振り返ると、そこには、長い青のマフラーを身に着け、頬には十字の傷のある、白い髪の青年が、少し離れた所に立っていた。
白い青年は一筋だけ長い水色の髪を揺らし、こちらを見て、赤と青の目を細める。
「始めまして、今の“異世界の放浪者”さん。僕が初代“異世界の放浪者”のルーグ=シグナルさ」
そう言って、白い青年――ルーグは強気に微笑んだ。




