第三十一話 逃避行
随分と昔の話。
俺がまだ"私"だった頃…最後の"私"の話だ。
記憶は朧げだが、あの時に"私"はユウサリに助けられて、今の俺になった。正確には、その“元”とも言えるかもしれないが。
けど、何故だろうか。
ユウサリに会う前に、誰かが、誰かがいた気がするんだ。
覚えているのは……優しい声
何て言っていたのかは忘れてしまったが、優しい声色だったことだけは覚えている。
そして、その声を…俺になってからも一度だけ、聞いたことがある。
その声の主が何なのかはわからない。わからないけど、何故か会いたくはない。
何故、会いたくないのかは…自分にもわからないが、心に何か引っ掛かる。多分、それが原因で会いたくないのかもしれない。
嗚呼、でも何故なんだろう。
時折思い出す、その声に、心が痛くなるのは。
◆
「ん……」
意識がゆっくり浮上し、目が覚める。何故か、顔の辺りに何かフワフワしたものが当たっている気がするが。
なんだ?と思いながら手探ってみれば、
「……栗鼠?」
そう、俺の手の中には栗鼠がいた。しかも、銀と銅の毛並という、明らかに普通の栗鼠ではないというのがわかる。
一体何なんだろう、と思っているとドアがノックされた。
「入っても…大丈夫?」
「ああ。」
声と気配からしてユミルであるとわかった。ドアが開かれ、ユミルの空色の瞳と目が合う。
そうして、心配そうな表情をしながら、こちらに近付いてきた。
「時雨、もう大丈夫?」
「…まあな。」
「よかった…」
俺がそう言えば、安心したように眉を下げながら微笑む。それから俺の手元にいる栗鼠を見た。
「ラトナも心配してたみたいだし…」
「ラトナ…?」
そう聞き返した時、手の中にいた栗鼠はするりと抜け出し、ユミルの隣へ跳ぶ…と同時に姿を変える。
そこにいたのは栗鼠であるということを示すように栗鼠の耳と尾を持った少女だった。
「別に…相棒が心配そうにしてたから、ボクが代わりに見てただけだけど?」
ふい、と銀髪のポニーテールを揺らしながらそっぽを向くラトナ。
というか…ユミルのことを〝相棒〟って呼んでいるし…栗鼠だったりと…何なんだ、こいつは。
そのことが顔に出ていたのだろう、ラトナは少しムッとしながらこちらを見た。
「何か生意気なこと考えていなかった?きみ!ボクはラトナ=ラタトスク。神樹の精霊王の守り人、ユミル=ネルトゥスの相棒の“精霊の騎士”だよ!」
「…と言っても…ラトナはそこまで戦闘向きではないよね」
「ぬあっ!?あ、相棒!何でそれを言っちゃうのさー!」
「…非戦闘員の“精霊の騎士”っているんだな、マジで」
「ぐぬぬ…!バカにしてるの?舐めないでよね!ボクはこれでも治癒と補助には特化してるんだから!」
顔を真っ赤にしながら栗鼠の少女は声を荒らげる。…話によれば、サポート特化ということなんだろう。となると…
「ユミル、アンタは…」
「お察しの通りだよ。…攻撃に特化しているのがボク。と言っても…魔法が主流だけどね。」
「ふふん!神樹の精霊王を守る為に、ボクらは一緒にいるんだよ!」
「…あるじさま?」
えっへんと胸を張るラトナ。と、同時に気になるワードが出てくる。…神樹の精霊王?聞いたことないな…。でも…
(……ん?)
何か、思い出せそう……?
「…どうかした?」
「……あ、いや。何でもない。」
「でも、あまり顔色が良くない……」
「……」
心配そうに俺の顔を覗き込んでくるユミル。そうして自分の額に手を当てながら、俺の額にも手を当てる。
「…熱は…ないようだね。」
「んー…なんなのさー時雨ー。大丈夫なの?」
「ああ。まあ……」
「……さっき、セクトの話を聞いてからそんな調子だよね。ルーシェ様から、君のことは聞いてたけど…ちょっと印象と違ったかも。」
「………」
さらりとユミルは言うが……ルーシェ、一体どんなふうに説明したんだ、おい。
…とはいえ、自分でもどうしてこんなに気抜けしているのか正直わからない。
ふとユミルを見ると、アクアマリンのような瞳と目が合った。かと思えば、いきなり俺の手を掴んできた。
「…え」
「荷物とか、服装とかの準備はある?」
「…服だけなら…」
「じゃあ、準備して」
「は…!?」
「ほらほら!はーやーくー!」
ユミルは部屋を出ていくし、ラトナは急かしてくる。…取りあえず、言われた通りに身支度を整える。終えると彼女はユミルを呼んだ。
「うん……それじゃ、行くよ」
「行くって…どこにだよ!?」
「…異世界。気分転換に行くのもありだと思うよ」
「は、はぁ……」
…成る程、だから準備しろと言ってきたんだな…。
納得している間も、ユミルに腕を引かれていく。途中、ユウサリとすれ違った。「ちょっと行ってくる」と適当に言っておいたが…まあ、なんとかなるだろう。
屋敷の外に出ると、ラトナは栗鼠の姿に変え、ユミルの肩に登っていく。
そうして、ユミルが術式を展開する。見慣れた術式は、彼が先代であると証明していた。
光に包まれていく中、ぼんやりとそんなことを考えていた。
◇
ふわりと着地。目の前には大きな桜の木があった。
本来なら、花の時期はもう終わっているのだろうと思えるくらいの気温だ。初夏ぐらいだろうか。…だというのに桜は美しい花を満開に咲かせている。いや…これは……
「霊力で…咲いている?」
「御名答。この桜はただの桜じゃない。…ある種の精霊に近い物よ、時雨」
「は……」
女性の声がして、しかも俺の名前を呼んだ。一体誰だ、と思って声のした方を振り返る。
そこには、長い金髪をポニーテールにした赤い瞳を持つ、巫女服の女性が立っていた。
……しかも、見覚えがある。
「天ノ目 命…」
「…久しぶりね、時雨」
そう言って彼女…命は微笑んだ。




