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ゼリアルの月ローゼムの日:晴れ:予定は未定です(。+・`ω・´)キリッ

 石造りの部屋で迎える朝は、いつも冷たい。

 その冷たさにつられるように、心の底の方が冷えていくのを感じる。


 いつからだろうか。

 この白く美しく人をつきはなすような宮殿が、自分とよく似ていると思い始めたのは。

 宮殿の中の自分の部屋は、まるで自分の心臓のようで。

 暗く重たい空気が底の方に溜まっている。


 頭を巡らせると、透明な光が目に入る。

 何の感情も映さずに光の方を見つめていた瞳が、パチリという瞬きと共にその色を鮮やかに変えた。

 一匹の小さな黄色い蝶がひらひらと朝日を遮りながら部屋に舞い込んでくる。

 


 蝶に続くように、窓の外に細い足が「生えた」。

 と思うと、その足はふんっ!とばかりに窓の内側に折り曲げられた。

 壁に当てたかかとに力を入れ、その人物は勢いよく部屋の中へ転がり込む。


「おっとと! あっぶなかったー」


 光を集めて作った糸のような金髪が、さらりと腰に揺れる。

 服を軽く払って立ち上がったその人物は、整った顔立ちの少女だった。

 少女は部屋の中に居た自分を見つけて、安堵するように笑んだ。


「良かった。まだお勤め前だね」

「ビアンカ。何度も言うけど、ここは女子禁制だよ」

「だってこうでもしないと会ってくれないじゃん、あんた」


 拗ねたように唇を尖らせるビアンカ。

 媚びているつもりは無いのだろうが、そんな彼女の仕草に村の男達はいつもコロっと騙されてしまう。


「何かあったのか?」


 こういう風に強引に会おうとしてくるとき、たいてい彼女は厄介ごとを抱えている。

 ビアンカは『話が分かるー!』という喜びを目で表し、そして一変して深刻そうに表情を翳らせた。


「大変なの。ヒヨクが居なくなって」

「ヒヨクが?」

「朝、起こしに行ったら居なくなってたの」


 ふふ、とこみ上げてくる笑いを何とかかみ殺して、ビアンカに答える。

「心配ないよ。ビアンカ、君はいつも通り仕事をしてればいい。僕にまかせておいて」

 ビアンカは納得いかないような顔をしていたが、大きな息を一つつくと「そうね。あんたがそう言う時は大丈夫なのよね」といそいそとやはり窓から帰っていった。


                  ☆


「……だそうだけど、さて、どうしようか」

 ビアンカが窓の外に消えた後、ロキ様は迷い無く『私』を振り返って不穏な雰囲気でのたまった。


(……………………………ばれてますよね。勿論ですよね)

「僕が愛するヒヨクを見逃す訳ないじゃないか。僕に会いたくて、そのちっちゃな『羽』で飛んできてくれたの?」


 ぴったり閉じていた『羽』が、力が抜けて思わず中途半端に開く。

 そう。

 今日の私は『蝶』だった。

 不思議なことにこの姿でもロキ達の言葉は分かるらしい。

 こちらから何かを言うことはできないが……


 朝、この姿でぼんやりと私は誰ここはどこを自問自答していたら、ビアンカがやってきて、血相を変えて保護院を飛び出していった。


 慌ててその背を追って必死にはばたいていたら、辿り着いた先はこのロキの部屋だったのだ。

 途中ビアンカが何度も立ち止まりキョロキョロと自分を探してくれていたおかげで引き離されずに済んだのだが、慣れない羽を無我夢中で長時間動かし続けたので、ヘロヘロで今もまだ頭が上手く回らない。

 

 すっ、と長い指が目の前に出される。

「お留まり。保護院からここまで、その姿で飛んできたんじゃ疲れただろう。休める場所まで連れていってあげるよ」


(うーん……)

 たっぷり迷った後、おそるおそるその指に足をかけていく。

 息だけでロキが笑う気配がした。


 部屋を出て螺旋階段を降り、庭園へ入る。

 手近な花壇に近寄ると、ロキは私を一輪の花へ近づけた。


 ほわん、とたまらなく甘い香りが脳髄を振るわせるようだ。

 疲れているにも関わらず、ほぼ無意識に花びらの中心へ飛び込んだ。

 分かる。この花の奥の方にご馳走がある。

 口(口?)を伸ばしてちゅううっと思い切り吸うと、まろやかで濃厚な蜜が口の中いっぱいに広がり天にも昇るような幸せな気持ちになった。


(ほっぺた落ちそう……!)

 蝶に落ちるほっぺたがあればの話なのだが、比翼はそんなことは気にしない。

(こんなに美味しい物を毎日楽しんでいるなんて……蝶って贅沢……っ)

 自分以外の姿になって初めて幸せを感じている気がする。

 ひょこっと花から顔を上げてみると、周りには他にも沢山の種類の花が咲いており、そのそれぞれが魅惑的な香りを放っていた。

(ああんもう、天国ー!!)


 あっちへふらふら、こっちへふらふらと夢中になって花の蜜を吸って回っていたら、突然人間の子どもの巨大な顔が間近に現れてギクリと硬直した。


 近すぎて顔全体が見えない。

 人間の目と目の間ってこんなに離れてたっけ。


(……………巨人?)

 その巨人の目は自分をしっかり捕捉したまま、らんらんと(どこか意地悪く)輝いた。

 ものすごく嫌な予感がする。


「ああ! ちょうちょおおおおおおお!!」

 おおおおお、という声がまるで雄たけびのように聞こえた。

 そして躊躇なく迫ってくる、指の短い巨大な手。


(あ、あああああああああああ……っ)

 はばたいて逃げだしたいのに、仰天していて羽の動かし方が分からない。


(捕まえられる!!) 

 いや潰される!?

 自分の10倍はありそうな手に捕まえられたらひとたまりも無い。


 走馬灯のように連理やらロキやらビアンカの顔が浮かんだ。

 

 ここで死ぬの?

 せめてもう一度、連理に会いたかったのに。

 ビアンカも心配して。

 ロキが。

 だって約束したのに。

 元の世界に。

 好きって。

 ああ、やっぱりドジだね。

 周りをよく見ろって連理も。

 連理。

 

 短くて長いその一瞬の間に、あらゆる感情が頭の中を駆け巡った。

 だが。


「ごめんね。この子は特別な蝶なんだ」

 ロキの穏やかな声が落ちてくる。

 見ると、ロキが優しく子どもの手を止めていた。


「ロキさまー!」

「蝶にも命がある。無闇に捕まえるのはお止め」

「……はあい」


 しぶしぶという顔で、子どもが花壇から離れていく。

 ロキは私に目を向けると、少し遠くを見るような目で言った。

 

「次に思い出すなら、僕のことをもっと思い出してほしい」

 聞こえていないフリをして花の蜜を吸うと、すい、とかすめるように羽を撫でられた。

 ほんの少しだけ力を加える、愛おしむような触り方に居心地が悪くなる。


「僕はこれからみそぎと朝の祈祷きとうをしてくる。ヒヨクは……クモの巣とか人間とか、元の姿に戻る場所には注意するように」

(……え?)

 場所?


「服を保護院に置いてきただろう」

(あ)

 そういえば、今までも着ていた服のままの変身だった。

 蝶の姿では人間の服をまとえる訳もなく、寝床に置いてきたのだが。

 うっかり人前で元の女子高生に戻ってしまったら、と想像して、比翼は慌てて蜜を吸うための長い口を回収した。


(かっ……帰る! 帰りますー!)

「そう。……ああそうだ」

 ロキは少し笑んだ。

「聖都への旅の支度をするように。同伴者を今日の占いで決めて、明後日には出発するよ」


 ピン、と緊張が走って羽が震える。

 ロキは少し首を傾げるようにして、面白そうに言った。

「明日はどんな姿になってるかな? 僕も異世界から来た者を何人か見てきたけど、お前ほどコロコロ姿を変える者は居なかった。見ていて楽しいよ」


(好きでこんな姿になってる訳じゃ)

「お前が望んだ姿だよ」

 ロキの声は落ち着いていて柔らかく、それでいて有無を言わせない迫力がある。

 

「気をつけてお帰り。ビアンカも心配している」

 それだけ言い残し、ロキは神殿の奥にある塔の方へと歩いていった。


(……帰ろ)

 パタパタと羽を動かして神殿の塀へ近づいた時、男の怒ったような声が聞こえた。


「……キ様……いかに……と言えど……るされることでは……まい。アルド、お前が付いていながら……ぜ、好き勝手にさせているのだ」

(アルド!?)

 つい気になって、声の方へ飛んでいく。

「私はロキ様に従うのみです」

 感情を感じさせない低い声で事務的に答えているアルドの前に、40代くらいに見える神官らしき男性が難しい顔をして立っていた。


「独断で神殿を離れるとなれば処分は避けられまい。ロキ様も、お前もな。何しろ聖都へ向かう理由をロキ様は公表なさらぬ。お前は知っているのか?」

「いいえ」


(…………処分?)

 聖都へ行くと言った時のロキの顔を思い出す。

(どういうこと?)

 

「とにかく我々神官は神と教皇様に従う事が義務付けられている。教皇様の許可の無いロキ様の勝手な長期の外出を許す訳にはいかない。アルド。お前はロキ様の従者だが、全て教皇様のご意思でロキ様のお傍に居るのをゆめゆめ忘れるでないぞ」

「………」


 ロキが聖都へ行くのを、神殿の他の神官たちは反対している?

 神官は続けた。

「ロキ様はイシュラトの東の守りのかなめ。ここを離れられては国にどんな災厄が訪れるとも知れない。申し訳ないが、今夜以降ロキ様は我々の監視下におかせてもらう」

 

(かん……監視ですって!?)

 穏やかでない話の流れだ。


「我々に協力してもらうぞ、アルド。逆らった場合は、今後二度とロキ様の従者として働くことはできないと思え」


(やばい、帰ってる場合じゃない! ……でも待って、このままここに残って何ができるの?)


 現状、できること=ヘロヘロ飛ぶこと。花の蜜を吸うこと。

 アリンコ並みに役に立たない。

 いやアリはあれでも力持ちだし仲間との協調性は抜群だし、一応噛むことで人間に攻撃もできる。

 だが自分は、ちょっと強めの風にはあっけなく吹き飛ばされるし、ロキ以外の人間との意思疎通の手段も無い。

 なんてこと。蝶はアリ以下かもしれない、と愕然とした後。


(ロキ以外の人と……? そうだ! ロキに知らせることならできるんだ!)

 監視は今夜以降と言ってた。

 それをロキに知らせるだけでも、何かが変わったりしないだろうか。

 かすかな希望を胸に、ロキの仕事場らしき塔の方へと羽を翻して向かった。


                  ☆


(ロキ!!)

 灯り取りのための窓から塔の内部へ入ると、ロキは塔の中心で水鏡の前にひざまずいて頭を垂れていた。

 顔が上向き、長い睫がゆっくりと持ち上げられ、冴えた青い瞳が比翼を捉える。


『知ってる』

 頭を揺らすように突如伝わってきたロキの思念に、比翼は慌てた。

 あえて声にしなかったのは何故?

(し、知ってるって……?)

『お前が僕に言いたいことを。“彼”の考えはずっと聞こえていた』


 一瞬はばたくのを忘れて落下しかける。

(私って、どうしてこんなにアホなんでしょうか……!!)

 ちょっと考えれば、他人の心の内が見えるロキなら神官の思惑なんて知っていて当然だ。

 ロキの手のひらに留まり、羽を休ませながら問う。

(今夜って言ってた。どうするの?)

『どうもしないよ。神官達が止めようが、僕は聖都へ行く』

 ロキは水鏡を見つめながら答えた。


(……ねぇロキ。どうして聖都に行きたがるの? そこで何をするの? 神官さん達に理由を言えば……)

 比翼はそれ以上言葉を続けられなかった。

 ロキの青い瞳が暗く虚ろに翳っていることに気付いてしまった。

 あらゆる感情を抑えているようにも、あらゆる感情が無くなってしまったようにも見えた。


(……ロキ?)


 ロキの視線が、少し辺りをさまよった末に自分を捉える。

 言いようも無い切なさとわめきだしたいような気持ちが比翼の中に生まれた。

(どうしてそんなに……)


 背中の羽のはばたきと共に、ゆっくりと思念を織るようにロキに伝える。


(どこか痛いの? ロキ)

 ロキはその虚ろな瞳のままかすかに笑った。


「お前を閉じ込めておけるかごがほしい。冷たい檻の中に居ても外の暖かい空気を運んでくれる、僕だけの……」

 ロキはそこで言葉を切った。

『……でも、お前は嫌がるだろうね。皮肉だけど籠に入れられる苦痛は僕にもよく分かってる』


(ダメ!!)

 漠然と強く『ダメだ』と思った。

 理由は分からないけれど、この人は、こんな顔をしていい人じゃない。

 全てのことに疲れたような顔で、悲しげに世界を見つめていていい人じゃない。


 痛みをこらえるような瞳にさせたのは誰。何?

 大空に飛び立つ羽を奪われたの? 誰かに?

 願いよりも激しい衝動が心を満たす。

 

―――じゃあ、私が代わりになる。貴方の翼に―――


 羽はもっと大きなものがほしい。

 人一人、楽に乗せて空を自在に飛べるくらい。

 胴体はしなやかで逞しく、色は白がいい。

 地面も速く走りたい。 

 ロキを乗せて、人間を軽く振り切れるスピードを出せるもの。


 ふわりと真っ白な頭に浮かんできた姿は、昔どこかの本で見た白い毛並みの美しい獣―――


「ペガサス……!」


 ロキの驚いた声が塔の中に反響し、天井まで届いて消えていく。


(ロキ、私は貴方と一緒に檻の中に居ることはできないけど、今すぐここから連れ出すことならできる。どこにでも連れていってあげる、背中に乗って!)

 見事な翼を背に持つ天馬に変化した比翼は、地面に身をかがめてロキを待った。

「ヒヨク、でも」と戸惑うロキに「しのごの言わない!」と喝を入れる。

「はい」

 ほぼ反射で返事をしたロキはたてがみをそっと掴むと、背中に飛び乗ってきた。


(………軽い。悔しい)

 地面から身を起こし、ゆっくりと塔から出て行く。


「……ヒヨク、占の結果が出ていた。聖都へ同伴しなければいけない人間は、アルド………そしてビアンカ」

 ビアンカ?

 ここで彼女の名前が出てくるのは不思議な気がしたが、占いなのだ、深く考えても仕方ない。


「ロキ様!!」

 声に驚いて目を向けると、塔へ向かう途中だったと見えるアルドが青い顔でこちらを見ていた。


(ちょうどいいとこに……!)

「おのれ化け物……ロキ様をどこへ」

「剣をおさめなさいアルド!!」

 ロキの叫びにアルドが躊躇った一瞬をついて、アルドとの間にあった距離を詰めて彼の服をしっかりと噛む。

 びゅんっと首を振ったタイミングで口を離すと、アルドの身体は軽々と宙を舞って背中の上に収まった。

(うう……やっぱり男性二人はちょっと重い……でも頑張るぅ……!)

「ヒヨク、無理は……」

(大丈夫! もうダメって所まではふんばるから!)

「ヒヨク!? では“これ”は、あの少女なのですか!?」

 アルドの動揺の声は吹きすさぶ風にあえなく消された。

 助走をつけて空高く飛び上がった天馬――ペガサスは恐るべき速さで神殿から飛び出し、途中でロキの占いに従ってビアンカを拾い、(三人分の重さにひいひい言いながらも)村から遠く離れた森まで、追ってくる神官や村人を振り切って飛び続けたのだった。

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