ゼリアルの月キーラの日:曇り:気になる彼はラプンツェル!?(;´・ω・)
どんよりと重そうな雲が空を覆っている。
風は湿っぽく、土の匂いがする気がした。
(一雨くるのかな?)と思いながら足を速めた。
とうもろこしや麦などが実っている黄金色の畑の真ん中を走る砂利道は、足で踏みしめるたびにジャリジャリと石の音がする。
農作業をする人々や商店が集まる通りに向かう人々で、畑の中の道も一部は賑やかだ。
「すいません……神殿はどこですか?」
「神殿なら、この先の十字路を右に曲がって真っ直ぐ進んだ所にあるよ」
野菜を運んでいたおじいさんに道を尋ねると、笑顔で教えてくれた。
少し物珍しそうに見られたけど、いちいち気にしてたら多分やっていけない。
「お嬢ちゃん、どこの子だね?」
どこの子?
どう答えたらいいのか分からなくて、自分が寝起きさせて貰っている家を指差した。
小麦畑の横にある少し大きな家には、どうやら今は自分と最初に会った美少女―――ビアンカというらしい―――しか居ないらしい。
「おお、そうかい。すまんね、あんまりちっちゃいから、村の子かと思ってね。お嬢ちゃんみたいな小さい子が一人で保護院に居るのは、大変だろうねぇ」
「いいえ。道を教えてくださって、ありがとうございます!」
笑ってペコリと頭を下げると、おじいさんは感心するような表情で髭を撫でた。
ずれ落ちるスカートを、ビアンカに貰った紐でウエストに固定し、鼻息も荒く神殿に向けて歩き出す。
歩幅がいつもより狭い。その分いつもより歩くスピードが遅くなっている。
靴は大きすぎてペタペタとスリッパのように履くしかない。
視点も低いせいで見通しが悪く、畑を抜けて家々が集まる場所に入った時は、周りの人間の胴体が壁のように視界を遮ってきた。
(まっすぐ、まっすぐ……っと)
呪文のように繰り返し、大人達の脇をすり抜けて神殿へ急ぐ。
ようやく神殿らしき建物が見えてきた頃には、汗がだらだらと噴き出していた。
昨日から思っていたのだが、この村は暑い。
今日だって曇りなのにムシムシしている。
(沖縄ってこんな感じなのかな)
の割に海が全く見えないのが残念だ。
神殿らしき建物の手前で、左右に果てが見えないほど長く白い石造りの塀にぶち当たった。
上方からつる性の植物が緑の葉っぱを垂らしている。
(ここ? この中?)
塀沿いに歩いていくと白い門があり、そこに兵士の格好をした男性が二人、いかつい顔で立っていた。
何となく昨日、ロキと名乗った神官の隣に居たアルドを思い出す。
……この中に居そうだ。
(めちゃくちゃ止められそうな予感がするんだけどね!)
「おい子ども。何用だ」
兵士の間を抜けようとすると案の定、野太く鋭い声が落ちてきた。
(やっぱり!)
「……ロキという人に会いにきました」
びくびくおどおど。
「ロキ様に?」
「あの、比翼です。比翼が来たと、ロキに伝えて……」
「ロキ様は祈祷中だ。出直すんだな」左側の兵士が言う。
乱暴に両側から腕を掴まれて、建物からどんどん離されていく。
「え!? ちょっと……!」
(門前払いとか、話が違うんですけど!)
「ロ、ロキ……!」
「ロキ様を呼び捨てにするなど無礼な子どもだ。親を探して厳しく罰しなければ!」
(探したってパピーもマミーも居ないわよ!)
「待て」
地面から響いてくるような低い声に打たれたように、兵士達が足を止めた。
「アルド様」
振り返ると、門の奥の神殿の扉が開いており、その前に強面の青年が立っていた。
ゆっくり腕組みをすると、その顔に浮かんだかすかな驚きを一瞬で消し去って彼は兵士達に命じる。
「その娘はロキ様の知り合いだ。通せ」
「ですが」
「本当だよ」
アルドの後ろに、息を切らした小柄な少年―――ロキが現れる。
「ロキ様!」
金色の長い髪と白い法衣をなびかせ、ロキはこちらに近づいてきた。
まだ幼さを残した顔がほころんだ。
「神殿へようこそヒヨク。歓迎するよ」
昨日脳内で響いていた声が、『ちゃんと』耳の器官を通って伝わってくる。変な感じだ。
壊れやすいものを扱うように丁寧に私の手を取ると、ロキは神殿の中までゆっくりと連れていってくれた。
(ほえあ~。広いな)
塀の長さから神殿が広大な敷地だということは何となく分かったが、中に入ってみるとまるで楽園のように美しい光景が広がっていた。
扉から高い天井が奥の方まで続いていた。
天井を支える支柱は大理石でできた立派なものだ。
神殿の入り口から続く通路の横には庭園があり、噴水や花が優美に配置されていた。
そこここに歩いているのはロキの服に似た衣装を着た人達だ。
少し後ろをアルドが無表情でついてくる。
隣を歩くロキが、歩みを進めながら少し眉をあげて言った。
「今日は随分と小さくなったね」
「可愛いでしょ?」
「うん、可愛い」
(もしかしてロリコンさんですか?)
「ヒヨク。聞こえてる」
しまった油断していた。
ロキには私の心の声が聞こえる。
それは私が聴力を失ってる間だけなのかと思っていたが、この姿でも同じらしい。
「この姿なら、貴方達と普通に話せるんだ?」
「ヒヨクがそう望んだからだ。その姿も、僕らと声と言葉を使って会話できる能力も、ヒヨクがそうなりたいと思ったから、そう変化した」
「こんな不便な身体にわざわざ戻りたいなんて思った覚えないんだけど!」
私は、小学校に入学するかしないかくらいの頃の身体に戻っていた。
着ている服も履いてる靴も元の世界の物では大きすぎて、だがビアンカもそんな小さな服は持っていなくて、どうしようもなく紐で結んだりして何とかしているけれど。
歩幅も狭ければ力も無くて、良い所なんて元気が有り余っているくらいだ。
今ならどこまででも走れる気がする。
「深層心理、という言葉を聞いたことないか? お前の身体はお前の心の奥底にある願いに左右される」
ロキは立ち止まった。
「だからヒヨク。消えたいとか死にたいとか思っちゃいけない。そうなってしまうから」
ゾクリと悪寒を感じた。
「ま、深く考えないほうがいいってことだよ」
こちらの気持ちなどお構いなしに、ロキはあっけらかんと言ってのけた。
「忘れるなって言ったり深く考えるなって言ったり、どっちなの?」
「器を選ばず、己を喪わぬ清き水の如くあれ」
水の如く?
「おいでヒヨク。面白いものを見せてあげよう」
サラ、と金髪を背になびかせて、ロキは通路の奥にある塔へと歩みを進めた。
塔は高く、通路からちょっと外れて見上げると天を穿つように立っていた。
(ラプンツェルの塔みたい)
「ラプンツェルって?」ロキが少し振り返る。
「あ、えっと……私たちの世界にある御伽噺のお姫様。魔女に攫われて塔に閉じ込められて、でも、ある時王子様がラプンツェルを見つけて、恋人になって、それを知った魔女が怒ってラプンツェルを塔から追い出して……って話だったと思うけど」
それほど詳しく知らないのが何だか申し訳ない気がした。
「お姫様は、王子様と幸せになるのかい?」
「うん。ちょっと時間がかかるけど最後にはね」
「ふうん」
アルドが塔の直前で自分とロキを追い越し、その扉を開けた。
暗い。
学校の教室が4つほどまるっと入りそうな薄暗い大きな空間が、塔の中には広がっていた。
高く突き抜けた天井の先にあるのは、明り取りのための丸いガラス。
大きな円状の床の中心には、大人の頭から足の先まで映しだせそうな丸い鏡が天井を向いて横たわっていた。
(鏡……じゃない)
「水鏡だよ」
ロキはその透明な水を湛えた巨大な杯のようなものに近づくと、私に向かって手招きした。
「この鏡は覗く者の心を映すと言われてる。覗いてごらん」
言われた通りにロキの傍に寄り、水面をじっと見つめてみる。
映っているのはロキと自分の姿だけだ。
「別に普通じゃない」
「……ほら、見えた」
水面が揺らぎ、そしてある風景を映し出す。
一番最初に見えたのは、よく知る山。幼い頃よく遊んでいた山だ。
次は両親の顔だった。
違和感を覚えた後に気付いた。二人とも若い。今の姿ではない。
(そっか……)
涙が出そうになった。
昨晩、自分は眠りに着く直前に願ったのだ。
真綿にくるまれたように暖かく幸せだった幼い頃に戻りたいと。
それに応えるように、自分の身体は縮んでしまった。
水鏡に乗り出すと、両親の顔は消えてしまった。
次に映し出されたのは教室だった。
都会に転校する前に通っていた田舎の小学校。
仲の良い友人達が机を寄せ合い昼食を食べている。自分に気付いた友人の一人が、笑顔で手招きしてくる。
『……ヒヨク?』
ロキが呼ぶ声がしたが、頭に入ってこなかった。
水鏡は最後に、ある人の背中を映し出していた。
「………連理」
背が高く、さらさらの黒い髪は他の子に比べると少し長め。
生真面目な性格と知性と大人びた風格で皆に頼られて、生徒会長もこなしてた。
眼鏡がよく似合う、兄のように慕った幼馴染。
『……ヒヨク』
足元に何かが落ちた。
それがぶかぶかなスカートをウエストに留めていたヒモだとも。
そしてロキが『あえて』思念で語りかけてきた理由も。
高校生の姿に戻った私は気づかずに居た。
ただ、ただ。
水鏡に映った彼の背中に、振り向いてほしくて……―――
『ヒヨク』
強引に水鏡から引き剥がされた。
もがいた気がする。
後ろから抱きしめられる感覚。
『さっきのは誰?』
(連理)
『ヒヨクの好きな人?』
(好き?)
【比翼】
ロキではない、連理の声がする。
小さい頃に比べるとだいぶ低くなってしまって、無愛想で。
でも名前を呼ばれるときだけは決まってどこか優しい響きを感じた、懐かしい声。
(うん……好き)
そう言葉にすると、じんわりと胸が暖かくなった。
抱きしめられる腕に力がこもる。
『ヒヨク、僕はね。ヒヨクに傍に居てほしい』
(……へ?)
『帰ってほしくないんだ。僕じゃダメか?』
(え、あの、ちょっと待って。
『僕じゃダメ?』って、どういう意味?)
『僕はヒヨクの恋人になれない?』
(は!?)
どんどん混乱する。
(えっと、今私は誰に抱きしめられてたっけ。ロキ。そう、ロキ。昨日初めて会った男の子。
恋人になれないか、って、恋人って、恋人だよね。
私が好きな人であって、私のことを好きな人であって)
『初めてなんだ。訪ねて来てくれてこんなに嬉しい人も、こんなに手放したくない人も』
(困りますー!
わた、私には好きな人が!
気付いたのついさっきと言ってもいいくらいのものだけど!)
『動揺してしまうのも分かる。だからのんびり待つよ。お前が僕を好きになるのを』
腕からようやく解放されても、ロキの顔を見るのが恐くて振り返ることができなかった。
(そ、そうだ! 神官って言ってたでしょロキ! 聖職者たる者、恋だの愛だの俗っぽいことにウツツを抜かしてちゃダメでしょ!)
『司教様みたいなことを言うなぁ。残念ながらそうだよ、神官の恋愛はご法度。でも僕は構わないから』
(私が構います! え、偉い人なら少し考えたほうがいいと思う!)
塔の外で待つアルドの横をすり抜け、ロキから逃げるように神殿を飛び出していった。
何も考えられなかった。
門を抜けて、走って、苦しくて、周りの人なんかにかまってられなくて、がむしゃらにビアンカの待つ家に走った。
歩いた行きよりも走った帰りのほうが早いのは当然だが、高校生の姿に戻ったことで身長が行きの時の二倍ほどに伸びていたから、村や通りも帰りの方が狭く短く感じた。
小さい姿の時には聞こえていたビアンカの声も、元の姿に戻った今では聞こえなくなってしまっていた。
どうやら、この姿ではビアンカ達と会話はできないらしい。
それでも何かを察したように、ビアンカは夕食の後、カモミールのような香りのする美味しいお茶とお菓子を用意してくれた。
ドキドキする。熱も無いのに頬が熱い。
連理の声を思い出してときめいたのを忘れてしまうくらい、ロキの声が頭の中でずっと繰り返されていた。
『僕じゃダメか?』
『僕はヒヨクの恋人になれない?』
(もう!!)
用意された枕を叩いて、ロキを恨んだ。
(あんなこと言われたら、嫌でも気になっちゃうでしょ……!?)
その夜はなかなか寝付けなかった。