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序章

 要らない。

 他の音なんて要らない。

 他の人の声なんて必要ない。

 みんな雑音でしかない。


 世界の隅っこでいい。

 全ての要らない音が取り払われた場所で、

 あなたの声だけを、ずっとずっと聞いてたい。




 階段を降りきった時、くらりと眩暈がしてうずくまった。


 ああ、きた。

 『音酔い』だ。


 歩道の横を通り過ぎていく沢山の車やバイクの、排気音、エンジン音、クラクションの音、駅前の喧騒、そこかしこの店から聞こえてくる、てんでバラバラな音楽。


 許容量オーバーだ。

 甘かった。


(落ち着け、落ち着け……)


 こうなってしまうのは、割といつものことだった。

 呼吸を意識しながら視線を下に落とすと、制服の紺色のスカートが地面についてしまっているのに気付いた。

 のろのろと腰をあげて、スカートの裾を太ももとふくらはぎの間に挟む。


(耳栓、耳栓……)


 ショルダーバッグを手繰り寄せて、チカチカと点滅する視界を我慢して中を探る。

 小さいジップロックに入った耳栓を見つけて、慌ててカバンから取り出した。

 全ての音が遮断されるので不便な時もあるが、『音酔い』には即効性のある代物だ。

 開けたジップロックを傾けて、手のひらで耳栓を受け止めようとした時、通り過ぎる誰かの足が右肩にぶつかった。


 コロン、コロン……


 弾力のある白い耳栓が、歩道に落ちて何度もはねる。


「あ……」


 大きなトラックが、通り過ぎざまに速度をあげていった。

 その音に負けじと声を張り上げて談笑する人々が居る。

 否応なく押し寄せる、頭の芯がじんじん震えるほどの音の波。


「……うぅ……っ!!」


 小さな悲鳴をあげて耳を押さえ、ぎゅっと目を瞑った。


 お願い。

 静かにして。


 誰か全部の音を消して。みんなを黙らせて。

 これが家のテレビで、手元にリモコンがあるなら迷わず『消音ミュート』ボタンを押してるところだ。

 だが残念なことに、この世界の音を消す『消音ミュート』ボタンはどこにもない。


 どこにも。


(こんなに科学が発達してるのに、要らない音を消すボタンの発明はまだなの?)


 誰かに脳みそを掴まれて揺さぶられてるような不快感をこらえて、うっすらと目を開けると、


―――――――――――――――――――――






          ケス




         ケサナイ







―――――――――――――――――――――


 とだけ書かれたはがき大の白い紙が、足元の地面に『不自然に』貼りついていた。


(…………………………………は?)


 都会の大きな駅のように人の集まる場所は、妙に強く、それでいて色々な臭いの混ざった風がいつも吹いているように思える。

 こんな薄っぺらい紙を吹き飛ばしてしまうのに、強風は必要ない。

 なのに、まるで風など感じていないかのように重々しく、その紙は地面から自分の顔を見つめていた。


(なんなの、これ?)


 右耳に当てていた手をはずし、その紙に恐る恐る触れた。


 瞬間の出来事だった。


 タイルの敷き詰められていた地面から、生えるはずのない鮮やかな緑色の何か――すぐに植物の芽だと気付く――が一斉に生えたかと思うと、声をあげる間もなくそれは自分を飲み込んだ。

 沢山の細く鋭利な緑の刃が、自分の身体に突き刺さるのを見た気がした。




 万華鏡の中に居るような、極彩色がキラキラと輝く美しい世界だった。

 身体が軽い。

 海の上を波に身体を預けて漂っているように、重力を感じない。


 そうか、私、死んじゃったんだな。

 ってことは、ここは天国か。綺麗だし。痛くもなんともないし、うん、天国に違いない。

 思い出せる限り、地獄に堕ちるような悪いこと、してないもんね。

 音酔いで死ぬなんて思わなかったけど。


 どこか遠くのほうから、誰かの声が聞こえてきた。


『……俺、大人になったら』


 ドラマの台詞のようだった。

 でも違うのだと……あの時、言いたかった。

 私がほしかったのはそんな言葉じゃない。


『だから待ってろよ』


 100年後に起こしに来るから、つべこべ言わずに眠ってろと王子に言われた眠り姫の気持ちだった。


『信用できないのか?』


 不機嫌そうな目。


 違う。

 信用するしないの問題じゃない。


連理れんり……)


 王子様に助けてもらうお姫様になりたかったんじゃない。

 だってそんなの対等じゃない。

 それなら、「バカ」「バカと言ったほうがバカ」とケンカしていた幼少時代のほうがまだ良い。


 気持ちがすれ違い始めたのは、いつから?

 最初から?

 一緒に頑張ろう、と言ってくれると思ってたのに。




 涙が目の横を伝う感覚で、ハッと目覚めた。

 瞬きひとつで極彩色の世界は瞼の裏に消え、代わりに眼前に現れたのは太い木のはりだった。

 何度かパチパチと瞬いて、視線を周りにめぐらす。

 畳二畳ほどの広さの空間が、背の高い大人ほどの高さの衝立ついたてで簡単に作られている。

 衝立には鳥や花が鮮やかに描かれた布がかけられ、その布の裾は床に流れている。

 自分が寝かされていたのは、沢山の乾いた細い葉で編まれた、茣蓙ゴザのような敷物の上だった。

 目覚めて最初に見た屋根を支えている梁は、見たこともないほど黒々としてバカでかい木。


 えらく古風な造りの家だ。


 このときはまだ、自分の身体の異変に気付いていなかった。


「!!」


 突然、後ろから誰かに軽く肩を叩かれた。


(誰……!?)


 振り返ると、自分と同じ年頃の短い金髪の美少女が笑顔で佇んでいた。

 バチっと目が合うと、少女は安堵するように目元を緩めた。

 少女の口が、何ごとかを呟くように動く。


「なに……?」


 そのまま少女はぐるりと敷物の周りを回って、自分の目の前に来た。

 両手を腰に当てて、少し首を傾げるようにして口を開き、彼女はまた何事かを紡ぐように唇をしきりに動かした。


 背筋を何かいやなものが流れていった。

 目の前の少女が声を発していないんじゃない。


 自分の耳が聞こえていないんだと、気付いてしまった。

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