7.捨てられた魔法使いレティ
ある程度正確な地図は出回っていた。南のレストール群国が中心の世界地図ではあるが、一から作る手間が省けて良い。
後は各地域ごとの海図か。となれば、測量士が必要だ。数多の魔法を使うのではなく、作図のための魔法に特化した魔法使い。それがこの世界における測量士だ。
基本的に低い技術を魔法で補う世界なので、多少違和感はあるがまぁ追々慣れていくだろう。どうせこれから一生この世界で生きるのだし。
「ここに来たのは三回目だな」
クルト村の近くにある奴隷市場。やはり人材を確保するならここしかない。幸いにも、造船が終わったことにより海路開拓の予算もある程度国から支給されることとなった。
何でもアリフェレット国王がフォアシュピールを見て感動したらしい。机上の空論だった帆船を完璧に形にしたと言って子供のようなはしゃぎっぷりだったとシュトラウスが呆れながら言っていた。
「けどレンヤ。測量士って奴隷にいるか? 大体は国に保護されてると思うんだが」
測量士は情報系特化の魔法使いだ。当然、多くを雇えばそれだけの正確な海図を作ることができる。
しかしこのアリフェレット王国には今まで海軍が存在しなかったのだ。そして、例えば戦争中の南の二大国家から逃げてきたとしてもここでは取り立てて貰えない。
だから奴隷になっている可能性もあると踏んでいるが……。根拠としては少し弱いか。
「アテが無いんだ。だったらダメもとで探すしかないだろ」
周囲から熱い値上げ交渉が飛び交う。ここもある意味戦場だ。良い環境で、良い買値で、納得できる売値で。そんな思惑が渦巻く独特の雰囲気は嫌いじゃない。
少なくとも死ぬか殺すかのおっかない戦場よりはずっと良い。
「レンヤ、ちょっと……」
奴隷の檻を一つ一つ見ていると、アスパーから声がかかった。何事かとそちらを見ると、やつれた一人の女の子が檻の中でポツンと座っていた。
種別は労働奴隷、とあるがどう見ても労働力になるとは思えない。しかも見た目からしてまだ十も年齢を重ねていないだろう。そんな子がどうして労働奴隷の檻に入っているのか。
「商人さん、少しいいかな」
「ん? あぁ、レンヤさんにアスパーさんですか。お久しぶりですね……と言っても覚えてませんか?」
近くにいた奴隷商人に声をかけると、俺たちを知っている風に話しかけてきた。誰だったか、と記憶を探ると……そう言えば俺たちの担当の商人に似ているような……?
「キール、久しぶりだな。レンヤは覚えてねぇか? 俺たちの担当だった奴隷商人だよ。俺は二回世話になったから覚えてるが……」
「……すまん。すぐには出てこなかった」
「いえいえ、こうして巣立った奴隷と再会できただけでも充分ですよ。勿論、再び売却された奴隷だったとしてもね」
命あっての人生です、と奴隷商人は笑いながら言う。
「私はキール・フラミス。今はこの子の担当商人でして……」
そう言ってキールさんは先ほどの女の子を一瞥する。
「この子はレストール群国のとある魔法使いの娘なのですが……本人から聞いた話だといつの間にか小舟に乗せられて、海に流されていたようなのです」
「人間の魔法使いにゃよくある話だ。魔法の才能が低い子供を間引くことがある。まぁ、その大半が貴族サマだけどな」
胸糞悪い話だ、とアスパーは吐き捨てた。魔法は才能が全て。自身の魔力量に、法程式を記憶できる脳内のキャパシティ。どれだけ優秀な魔法使い夫婦の子供でも、才能が低い者も産まれることがある。
しかしだからと言って自分の子供を捨てるというのは納得できないとアスパーは続ける。
「自分の家名に泥を塗られることが怖いんだろうさ。……魔法なんざ、一般人に浸透すらしてねぇってのに勝手なモンだぜ」
「珍しいな。アスパーがそこまで怒るなんて」
この感情の昂ぶりを見る限り、アスパーはこの子のことが気にかかってしょうがない様子だ。完全に測量士の事が頭から抜けてないか、コイツ。
「君、大丈夫か?」
さてどうしたもんかな、と考えてる時にアスパーはキールさんから鍵を貰い、檻の中へ入っていた。
おいおい、まさか完全に買う気かよ。思わずキールさんを見ると、彼は苦笑しつつ首を横に振っていた。
痩せ形で眼鏡をかけて知的そうな印象とともに、くすんだ茶髪が気苦労を感じさせる。そんな彼が言外に言うのだ。諦めろと。
「あ、ぅ……」
女の子は檻の中へ入ってきたアスパーに怯えている。他人に怯える奴隷ってのはどうなんだろうか。
その辺りの事をキールに聞くと、そもそも買い手がつかないことが前提だったと言う。適正年齢になるまで彼が教育を施し、最低限の事務仕事ができるようにする。それが彼の考えだったそうだ。
「……そのままでいいから聞いてくれないか? 君には絶対に近付かない」
アスパーは怯える女の子の様子を見て、檻の入口まで後退し、危害を加える意思はないと両手を挙げた。
そんな彼の態度に、女の子はきょとんとした顔でアスパーを見つめる。
「まず、名前を聞かせてくれないか? 俺はアスパー。しがないエルフの魔法使いだ」
髪で隠れていた、エルフ特有の尖った耳を見せながらアスパーは微笑みながら言う。
女の子の目に少し憧れに近い色が浮かんだ。完全に王子様を見る目だな、あれ。
「れ、レティ……でしゅ」
噛んだ。口を押えて瞳に涙を浮かべながらレティは俯く。
「レティちゃんか。それじゃあ今度はお兄ちゃんの話を聞いてくれないか?」
アスパーはしゃがんでレティに目線を合わしつつ言った。レティは口を押えたままだったが、小さく頷く。
お兄ちゃん、ね。確かにアスパーの見た目だったらお兄ちゃんで通用するかも知れないな。あと数年したら少なくとも俺はオジサンと呼ばれることになりそうだが。
「俺たちは今、魔法使いを探しているんだ。この国の王様から頼まれて、船を動かすお仕事をしている。そこで、レティちゃんにもこのお仕事を手伝ってもらいたい」
アスパーの言葉を聞いたレティは、眉をハの字に曲げて小さく呟く。
「れ、レティは、ごみだから、い、いらないって……」
こぼれた言葉は想像以上にヒドイものだった。アスパーの米神に青筋が一本浮かび上がる。
その言葉が一体誰が言ったのか、想像するのは容易だった、どうやらこの子の両親は魔法のことしか考えない人種だったようだ。
「大丈夫だ。心配しなくてもいい。お兄ちゃんが、君の知らないことを全部教えてあげるから。それに、お兄ちゃんにはレティちゃんが必要なんだよ」
「ひつ、よう? レティは、いらない子じゃ、ないの?」
「あぁ。必要だ。だから一緒に来てくれないか。これでもエルフだ。森の神々に誓って言おう。君に付いて来てもらいたい」
この世界の御伽話や伝承には、エルフは森の神々を信奉すると伝えられている。森の神々に誓ってしまえば、その言葉は真実でなければならず、嘘偽りは決して許されない。
自分の本心を伝えるための言葉であり、有名なところだと"姫と魔法使い"だろう。
あんなキザな魔法使いなんかいない。初対面の俺にそう笑い飛ばしたアスパーが、よくまぁそんなセリフを言えたものだと思う。
レティはぼろぼろと大粒の涙を流しながら何度も何度も頷いている。そんな彼女にアスパーはそっと近づき、優しく抱きしめる。
「……因みに、お幾らで?」
「二万ほど頂戴します。……ですが、彼らには聞かせられない会話ですね、これは」
檻の外でレティの値段を交渉する俺たちは、目の前の光景からするとすごく汚れていると思えてならなかった。
泣く姫君をそっと腕に抱くエルフの魔法使い。その光景は"姫と魔法使い"のワンシーンのようであった。