闇は誓う
オブスキィト公爵家の本邸では、馬で帰還した当主を出迎えるべく、使用人たちがばたばたとしていた。そこに、赤みがかった茶色の髪の男性が、馬で乗りこんでくる。
いつもなら愛想よく使用人たちに声をかけ、異常はないかと尋ねるのが通例なのだが、今日は即座に馬を使用人に押し付け、一目散に屋敷へと向かって走って行った。
使用人たちは、当主のいつもとは違う行動に、首をかしげていた。
ばたばたと足音が聞こえる。
「何?」
マリエは不審に思い、廊下の様子を見ようと、ソファから立ち上がりかけていた。
「マリエ!」
同時に、赤みがかった茶色の髪の男が扉を勢いよく開け放って叫んだ。
「どうしたの?」
自分の夫のただならぬ様子に、マリエは眉をひそめる。
「お前、なんで黙ってたんだ?」
「……何を?」
思い当たることはたくさんあるが、アベルが指すことは分からない。
「レオと名乗る青年に会った」
「ああ。レオ君か」
「ああじゃないだろ! 王都を歩いてたら、たまたま黒髪がいたから、ふと顔を見たら、もうほとんどレンだって言っていいぐらい、レンに似たやつがいたんだ! しかもよく見れば、あいつと同じ、深い藍色の瞳。あの時の俺の驚きが分かるか? レンとは幼馴染だったんだ。あいつの顔は何年経っても忘れない。だからとっさに名前を聞いた。そして、こちらが名乗ったら、聞いてないんですか、って驚かれたんだ!」
ほとんど息継ぎなしで興奮してまくしたてるアベルを見ながら、マリエはだいたいの経緯を理解した。
「レオは本物なんだな? レオ・ヴェントスなんだな? あとのことはマリエに聞けば分かるって言われた。レオが生きてるってことは、少なくともシェリアは助かったんだよな? 炎の一夜の時、レオはおなかの中だったはずだから。じゃあ、レンはどうなんだ? あいつは生きてるのか?」
どこか期待を含んだ瞳でこちらを見つめてくるアベルに、マリエは少し罪悪感を感じた。
アベルも味わうことになるのだ。
マリエがルフレからシェリアのことを聞いたときの絶望を。
そして何より、ルフレがシェリアとの再会を果たせなかったと聞いた、あの、絶望を。
「……聞いて。そして、しばらくはここだけの話にしてね。今から話す話を知っているのは、レオ君とデュエル、それから、グラジオラス王子殿下だけだから」
マリエはこの前の話を順を追って話した。
思っていたとおり、レンの話のところと、シェリアがルフレが来るまで持ちこたえられなかった話のところでは、明らかに落胆の色が見えた。
それでも、マリエが最後まで話すまでは、真剣にこちらを見て聞いていた。
「……話は分かった。今まで気づかなかった方がどうかしてたのかもしれない。俺は何度か、ルフレ……いや、ミオ・ヴェントスには会っていたのに」
「あの子はシェリアに生き写しだわ。でも、それは、あなたがレオ君を見て、一目でレンの息子だと分かったのときっと同じ」
「でも、お前は、彼女が八歳の時から分かってたんだよな? どうしてあの時そうやって言わなかったんだ?」
「言えないわよ! だって、何も証拠がなかったわ! しかもルミエハ家にいるのよ? 私の頭がおかしいって方が、まだ筋が通る」
それでも確信はしていた。
あの深い緑色の瞳を見た瞬間から。
「……でも、やっぱりマリエだったんだな? 彼女の婚約者候補の家をつぶしたのは?」
以前、喧嘩の原因になった話を持ち出され、マリエは言葉につまる。
「う……ごめんなさい。でも、アベルがルフレがミオ・ヴェントスだと知らない時にそういえば、納得してもらえないと思ったから」
「あの時……反対されなくなる理由ができるって言うのは……そういうことか? ミオ・レンティシア・ヴェントスは、デュエル・ロイ・オブスキィトの婚約者だ」
ぽつりとつぶやいたアベルの言葉に、マリエはただうなずく。
ただしそれに関しては問題があるとは思っているが。
「これで、反対はできなくなった。ただ、もはや二人の問題ではあるよな」
「そうなのよね……」
オブスキィトとルミエハという壁はもう、ない。
そして、ミオ・ヴェントスがデュエルの婚約者だという契約は、ある意味ではまだ、切れていない。
それはデュエルも分かっているはずだ。
ただここまで来れば、もう、本人の、ルフレ側の意志を尊重するほかない。
「あの子……ちゃんと好かれてるのかしら? 誰かさんみたいに、好きな子に嫌われるような言動ばっかりしてなきゃいいけど……」
大仰にためいきをついて、ちらりとアベルを見る。
どこか気まずそうな顔をして、アベルもまた、ため息をついた。
「俺の息子だからな……」
「でも、アベルほど高圧的じゃないと思うのよね、あの子は」
「悪かったな。高圧的で、嫌な奴で」
「……まあ、否定はしないわ」
そう言ってやれば、少し不安げな目でこちらを見る。
「ちゃんと好きになったけどね。それでも私は」
自分はいったいいくつだろうか、と思いながらも、夫に囁く。
案外照れ屋なアベルは、そう言えば、絶対に耳まで真っ赤になるのだ。
「た、ただ……ミオ・ヴェントス、いや、ルフレ・ルミエハはおとなしくしている気はないようだけどな」
少しどもりながらも、ふと真剣みを帯びた表情になる。
「どういうこと?」
「ルフレ・ルミエハから、国王陛下に直々に提案がなされた」
「提案?」
「一月後の、国王陛下の生誕祭に、今年、オブスキィトも参加する」
アベルの言葉にマリエは固まる。
毎年行われる王の生誕祭。
一日お祭りさわぎとなり、国をあげて祝福されるのだが、その夜に、王主催の夜会がかならず催される。
侯爵家以上の家のみが王宮に招かれるのだが、二百年ほど前、オブスキィトとルミエハが対立するようになってからは、ルミエハとオブスキィトは、一年毎に呼ばれるようになったのだ。
つまり、ここ二百年、両家がともに生誕祭に参加したことはない。
そして去年の生誕祭は、オブスキィトが参加したため、今年はルミエハが参加する予定だったのだ。
「あの子は、それをルミエハ当主夫妻に納得させたのよね?」
「……ああ。そういうことになる。そして、国王陛下も、両家の歩み寄りには賛成らしく、それをすぐに受諾なさり、オブスキィトは出席が確定した」
「何をする気かしら……。ルミエハの分家は、たぶん……」
「俺もそう思った。たぶん、彼女がつぶしたんだろう。本人が自覚しているなら、ルミエハは彼女にとって、親の仇だ」
マリエの脳裏に、シェリアの笑顔がよぎる。
最後に会ったとき、笑っていた彼女。
いつだってマリエを守ってくれた彼女は、人に頼ることを知らなかった。
レンが唯一、シェリアを超え、彼女を支えることのできる人だったのだ。
「誰かが、支えてあげないと……」
「人のためにつくす自己犠牲精神は、両親ともに旺盛だったからな。人に頼らない頑固さも然り」
「レンもそうだったかもね……」
「あいつらは似たもの夫婦だったからな」
時間の流れを感じる。
こうやって、二人のことを話題にできるまでに、長い時間がかかった。
炎の一夜の直後、マリエは泣き崩れて、どうにもならなかったのだ。
シェリアという親友を失った痛み。
レンという旧友を無くした悲しみ。
「二の舞には、させないわ」
「……あいつらの子供なら、俺らにも守る義務は、あるな」
完全に立ち直ったわけではない。
それでも、その色を、この国では珍しい、黒髪を引き継いだ彼女を、彼を、二人の子供たちを守れるのは、マリエとアベルなのだ。
「準備をするわ。できるだけ、無茶をさせないように」
「俺も彼女の周辺で変わった動きがないか、確かめる」
もう、失いたくない。
その気持ちだけが、二人の原動力だった。




