トヘイトフとクヒム
「あの子……、黒髪だ」
「ずいぶんと美人だな」
「軍の服を着てるってことは、軍人だよな?」
話題の中心となっている美女の、黒く長い艶やかな髪が、歩くたびに揺れる。
王都からの大きな道が通っている領地である、リエーソン伯爵領で、ルフレは異常なほどの注目を集めていた。
王都を歩いていても、それなりの注目は集めるのだが、ルフレを見慣れている人も多く、ここまであからさまな視線は受けない。
―――黒髪だから、か。
リエーソン伯爵領には、黒髪の女性を見て騒ぎ立てる理由がある。
「お、御嬢さん」
ぼんやりと歩いていたら、声をかけられ、そちらを振り向く。
杖をついた老人が、少し曲がった腰を抑えながらこちらに歩いてくる。
「どうされました?」
話しかけながら、老人の目を見る。
その深い緑色の瞳には、ルフレの顔が映っている。
「御嬢さんは、どこの生まれだ?」
しわがれた声で老人は問いかけてくる。
真っ白なその髪に、ちらほらと混ざっている黒い髪。
「……あなたは、まさか」
前リエーソン伯爵は、娘を亡くした後、悲しみのあまり失踪し、現在、伯爵位を継いだのは、その娘の弟である。
「わしはここに三年前に来た。誰ひとりとして気付いとらんぞ」
どこか嬉しそうな表情を浮かべて、こちらを見ている。
リエーソン伯爵家は、炎の一夜で亡くなったシェリア・ヴェントスの生家である。
「やはり、故郷は良いですか?」
「そうかもしれないな。気づいたら、ここに来とったよ」
そして、シェリア・ヴェントスは、この老人と同じ、黒髪に、深緑の瞳を持っていたと聞く。
「シュバル・リエーソン伯爵」
可能な限りまで声を低くして問えば、老人は満足げに笑って見せた。
「聡明な御嬢さんだな。ちなみに、もう、伯爵じゃあない」
「なんとお呼びすれば?」
「トヘイトフと、名乗っておるよ」
「なっ」
老人の言葉に思わず声を上げてしまう。
「知っているのか?」
「……ルミエハとオブスキィトと同じ古代言語ですね」
ルミエハとオブスキィトの歴史について書いてある書物では、トヘイトフは頻出単語だ。
ルミエハ、オブスキィトと並んで、トヘイトフの訳はなされている。
「光と闇。そして、トヘイトフの意味も知っているね? 私は娘を失い、そして息子を裏切った。私にふさわしい名なんだよ」
優しく、包み込むような温かさで、それでも後悔をにじませたその声に、ルフレは言葉を返せない。
老人の柔和な笑みが、ルフレの心を和らげる。
「仕事かい?」
「ええ。目的地はリエーソンではなく、ホーンテッドですけどね」
「ここの南だね。王都から?」
「はい」
しっかりとうなずいて答えれば、老人は、もう一度、最初の問いを繰り返す。
「御嬢さんは、どこの生まれだ?」
老人の声が、どことなく震えている。
「知りません。私の両親に、聞いたことがないので」
嘘ではない。
ルフレの両親は、ルフレがどこで生まれたかなど、聞かせてくれたことはない。
「な、名前は? それと、御嬢さんの―――」
「―――あなたに嘘は言えません。ごめんなさい」
老人の言葉を遮って、それでも、老人の目を見つめながら、ルフレは謝罪の言葉を口にする。
「それでも、あなたがトヘイトフなら、私はクヒムです」
老人のその深緑の目は大きく見開かれ、そしてそれがルフレに、老人がその意味を理解したことを知らせる。
老人はおおきくため息をついた。
持っていた空気をすべて吐き出すかのような。
「いつか、もう一度、この地を訪れてはくれないかね?」
「……はい。また、来ます」
老人のすがるような視線に負けて、思わず承諾する。
「その時には、すべて終わっているでしょうけれど」
ルフレの返答に喜んでいた老人は、小さな独り言を、聞き逃したのだった。
トヘイトフ……traÎtre
クヒム……crime
からとってます。
トヘイトフの意味は言ってたけれど
クヒムについては触れてなかったので、一応。




