身分の高すぎるお客様②
ダールの宿、という何のひねりもない名前の宿は、町の端に位置している。
レオが行くのは、ウィンという、この町の代表を務めている初老の男性の家だ。
彼の家は、町の東に位置しており、整備された広い道につながる道に面しているため、たいていの旅人は、そこを通るのだ。
手紙でダールの宿の位置を説明するのは面倒なため、予約をとって泊まる客は、すべてウィンの家に一度寄ってもらい、三人のうちの誰かが迎えに行くのだ。
「おはよう、レオ」
「おはようございます」
「ティナさんは元気かい?」
「元気ですよ。元気すぎて困ってるぐらいです」
「はは、そりゃよかった」
ウィンの家にたどり着くまでに、町の人たちにいろいろと声をかけられながら、レオは歩きなれた道を早足で行く。
ほかの建物と少しだけ距離が開いたところにある、二階建ての赤い屋根の家がウィンの家だ。
ウィンの家は、一階の大きな正面の入り口は扉が解放されており、家に入るとそこは、壁にぎっしりならんだ本棚と、長い二つの机の前に、五つの椅子が並んだ部屋がある。
ウィンに言わせると、ここが町の代表としての仕事場らしい。
レオが入っていくと、その仕事場に、見慣れた顔と、見知らぬ後姿が二つあった。
「やっときたな、レオ。お前のとこのお客さんだよ」
白髪交じりの初老の男性が、レオの姿に気づいて、安堵したような表情で立ち上がる。
その動きに合わせて、椅子に座っていた二人がレオの方を振り返った。
レオから見て右側に座っていた、ゆるやかなウェーブのかかった茶色の髪のきれいな女性は、レオの予想に反して、ここらへんでも目立たないような地味な色のドレスを着ていた。
左側に座っていた、金髪碧眼の、どこか不機嫌そうな表情でこちらを見つめていた男性は、トレリの軍服を着ていた。
「初めまして。ストケシア侯爵様、その奥方様。レオ・ダールと言います。ダールの宿を経営しているティナの息子です。母に頼まれ、お迎えにあがりました」
とりあえず、貴族を相手にするときには礼儀が大切だと、さんざんティナに叩き込まれた作法を思い出しながら、挨拶をし、頭を下げる。
二秒待って、頭を上げると、ストケシア侯爵と目が合う。
先ほどまで不機嫌そうに見えたその表情は、今度は何かに驚いたような表情へと変化しており、その碧い眼は、大きく見開かれている。
―――なにか間違えたか?
今考えれば、ティナは貴族としての経験をもってして、レオに作法を叩き込んでいたのだろうから、そう間違っているはずはないのだが。
隣の女性は、男性の表情を見つめて、必死に笑いをこらえているのがありありと分かる。
ウィンはといえば、何故か青ざめて、今にも気を失いそうになっている。
三人の反応に、戸惑うレオの疑問を解決したのは、侯爵ではなく、その夫人だった。
「っふふ。クロッカスさんでも、そんな表情するんですね」
どうやら必死に笑いをこらえていたらしい。それが耐えられなくなったようで、堰を切ったように、女性が笑い出す。
「そんなに笑われるような表情をした覚えはない」
「してましたよ。顔に書いてありました。小さな町の宿屋の少年が、完璧な作法で応対するなんて驚きだって」
「書いてあるわけないじゃないか」
「そうですね。でも、そういう顔をなさってましたよ」
どうやら侯爵夫人は、親しみやすい人のようだ。丁寧な言葉づかいで話しているものの、人に緊張感を与えない。
―――これなら大丈夫か。
どう考えても、この人が炎の一夜に関わっているようには見えないし、レオに対する負の感情も全く持って感じ取れない。
「これから宿までご案内いたしますが、クロッカス様とレイラ様、で間違いはありませんか?」
ストケシア侯爵のゆかりの人が、そうそういるはずもないのだが、一応、予約客には、姓で確認するだけではなく、名でも確認をとるのがダールの宿の中のルールだ。
「ええそうよ。あと、奥方様、もレイラ様、も私の柄じゃないから、レイラさんって呼んでくれる?」
優雅なしぐさで椅子から立ち上がり、レオに向かってにっこりとほほ笑みかける。
「私もさん付けでいい。君みたいな少年にそこまで気を使わせると、こちらも落ち着かない」
続けて、まるで号令でもかかったかのように、素早く立ち上がり、表情を少しだけ緩めてこちらを見た。
「わかりました。レイラさんにクロッカスさんですね」
侯爵と名がついても、子爵や男爵などより、親しみやすい彼らに、レオはすでに好感を抱き始めていた。
「も、も……申し訳ございません!侯爵様とはつゆ知らず、軍人さん、などとお呼びして……」
どうやら先ほど青ざめていたのは、目の前の軍人が侯爵と判明したからだったらしい。
そして、その衝撃から、ようやく今さらになって立ち直り、現実に舞い戻ってきたようだ。
「? 何故、謝るのか分からない。私は名乗らなかったのだから、分からなくて当然だ。それに、私が軍人であることに変わりはない」
「大丈夫ですよ。そんな些細なことを気にするような人ではありませんから」
「あ、あ、ありがとうございます」
クロッカスの淡々とした物言いに、完全に気おされ、今にも意識を手放しそうなウィンを助けるように、レイラは微笑んだ。
その微笑みで、どうにかウィンは意識を手放すことなく、ここに踏みとどまったようだ。
「レオ!」
「大丈夫? そんな大声出して」
「わ、私なら大丈夫だ! それより……それより、そう、侯爵ご夫妻を早く案内して差し上げなさい! 待たせてはいけない」
動揺しているせいか、声が大きいだけでなく、どもりながら、レオに命じる。
ウィンは、自分が引き留めている要因だということを忘れているようだ。
それを指摘してやろうかと思ったが、さすがに青ざめて、動揺しているウィンが不憫に思えてきてやめた。
「じゃあ、ついてきていただけますか? 手紙で申し上げた通り、徒歩ですが?」
「大丈夫。案内よろしくね。あと、そこまで畏まらなくていいから。もうちょっと気軽に話していいよ」
「わかりました。あと……ウィンさん、俺たちは行きますよ?」
「あ、ああ」
いまいちショックから立ち直れていないウィンを放っていくのは気がひけるが、レオの仕事は案内なので、ウィンに構っているわけにもいかない。
それに、あの様子だったら、この二人を早く連れ出した方がいいだろう。
「ではウィン殿。情報、感謝する」
「情報?」
「この町のこととか、色々聞いたのよ。じゃあ、お世話になりました」
「世話になった」
律儀にも、敬礼したクロッカスに、ウィンは慌てて、そのまま地面に頭が付きそうなぐらい、腰を折る。
レオはその様子に苦笑しながら、二人の客を先導するようにして、ウィンの家を後にした。




