身分の高すぎるお客様①
レオが、レオ・ダールではないという事実を聞かされてから、すでに一週間が経過した。
あれ以降、細々ではあっても、宿に客が絶える日はないし、炎の一夜に関する話がでることもない。
ファリーナがいないということも、功を奏して、レオはゆっくりと気持ちの整理をすることができていた。
そういう意味では、やはりティナは母親として、息子のことをよく理解している。
そのティナは、長く艶やかな黒髪を後ろでひとつにくくり、薄く化粧をして、宿屋の女主人として、今日も元気に働いていた。
一階の客室は三つ。猫、犬、ひよこの部屋だ。そして、厨房と、食堂と、クロエの寝室、そして、レオたちが食事をとったり、ティナとクロエが休憩をとる、厨房とつながっている小さな部屋が一つある。
レオは今、食堂の空いている席に座り、ティナが一人しかいない客の対応をしているのを眺めていた。
レオは掃除や、注文をとったり、食事を運ぶ作業は手伝うが、料理や会計には手を出さない。
そして、食事を運ぶのも、宿泊客が多くて、ティナとクロエでは回らない時だけだ。
しかし、食堂に客が一人だと、それなりに客が退屈そうであったりするので、客が望めば、レオが話し相手になったりする時もある。
「レオ、悪いけど、ウィンさんのところまで行って、お客様を迎えに行ってくれない?」
注文を取り終えたティナが、いつもの明るい声で、レオに向かって話しかける。
ちらりと客の方を見るが、今はクロエが料理担当なのだろうから、話し相手はティナがすればいい。今はちょうど朝と昼の間だから、まだ掃除が必要なほど、どこも汚れてはいないし、ティナの仕事もないのだろう。
「わかった。客ってどんな人?」
ティナは少し考えたあと、レオを手招きして、自分は厨房に入って行ってしまう。
いつもなら、客がいようがなんだろうが、客の名前を普通に言うことを考えると、今回の客は何か訳ありなのだろうか。
そもそも、この宿に予約をしてくる客は、夏の長期休暇がある時以外は、そんなに多くないのだが。
自分で考えていても分からないので、レオは厨房に入る。
クロエはティナから客の注文を聞いて、料理を作り始めており、厨房の中は野菜をいためる音と、食材の香りで、とても食欲をそそる空間となっていた。
「今日、迎えに行ってほしいお客様の名前なんだけど……」
そこまで言ってから、ティナは言葉を濁す。
「何、そんなにやばい人たち?」
「違うわよ。ちょっと、ここに来るには偉い人すぎるっていうか……」
この宿は地理的条件と、この王国のどの地域の例にも漏れず、オブスキィトとルミエハの影響を受け、客足こそ絶えないし、客層もばらばらだが、決して身分の高い客が予約をして泊まるような宿ではない。それこそ一番良くても、子爵ぐらいなものだ。
ティナが言いよどむということは、どこぞの物好きの伯爵か何かが泊まるのだろうか。
「で、誰なの?」
「それが……ストケシア侯爵家の次男夫妻」
ティナの言葉にレオは耳を疑った。
あり得ない言葉を聞いた気がしたからだ。
ストケシアと言えば、建国以来、王家に使えるトレリ屈指の名門武家である。また、愛国心は山のように高いが、私欲や野心がない故に、侯爵家としては、意外と格が低い。それも王族から信頼される気質なのだろうが。
しかしながら、格の高さはともかく、ストケシアは代々優秀な軍人を輩出しており、一般市民にも、それなりに知名度のある家系である。軍の養成学校か、総合学校に行けば、絶対に覚える必要のある名だ。
ようやく一週間前に聞かされた事実で、その思惑が明らかになったのだが、レオはティナやクロエから、政治、軍事的な貴族事情に関しては、ずいぶんと教え込まれていたため、まだ高等教育を受けていない段階でも、そのストケシアがこの宿に泊まることの異常さを理解できた。
「レオ?」
ティナが気遣わしげな表情でこちらを見ている。
「あ……いや、なんていうか、ストケシアって、あの名門武家のストケシアなわけ?」
「それ以外にストケシアという侯爵家はトレリには存在しないわ」
ティナの表情は冗談を言っているものではない。それに、とりあえず、聞き間違いでないことは分かった。
「それで、なんで? もしかして、一週間前に突然俺にあのことを話したのも、これが関係してたりとか?」
ティナは確か、どこかにヴェントス家の生き残りがいるという情報が漏れた場合の予防線として、レオに、中途半端に真実を教えたのだ。
そのことを考慮すれば、この件は大いに関係しているのだろう。
「あ、ばれた? 一年も悩んだのに、今日からちょうど一か月前に予約が入って、私は本当に慌てたわ。正直に言って、こんなところに泊まる理由が、それ以外に思いつかなくて。だから、一か月の間にあなたに話さなきゃいけなくなって、困ったの。ファリーナさんがちょうど旅行に行くことが分かったから、そこにしようと決意したわけ」
話すと決めたわりには、あの日のティナが少しためらいがちだったのも、なんだか中途半端にしか教えてくれなかったのも、この件のために急に予定を動かしたからなのだろう。
「俺の家はストケシアに恨まれるようなことは?」
「ないない。絶対にない。しかも、あのストケシアがそんな卑怯なことしないわ。気に入らないなら、面と向かって糾弾して、正々堂々つぶしにかかるはずよ」
ティナがとても大げさに首をふったため、長い黒髪が左右に揺れる。
「それでも……あなたに言ったのは、奥様の家系が、ルミエハ寄りだから、なの」
つぶやくように付け足した母親に、レオは家名を問うが、聞いてもレオには分からなかった。ただ、一応彼女は分家の出らしい。
「ルミエハとオブスキィトって、ほんとバカみたいに仲が悪いのな」
一番上が争うから、その取り巻き同士も争う。
ヴェントスは、家の格があるだけでなく、オブスキィトの当主夫妻と、個人的に仲が良かったこともあり、オブスキィト家派の筆頭だった、というのは炎の一夜とともに語られている事実である。
そのヴェントスを、ルミエハ寄りの貴族なら、攻撃し得るというのだ。たとえ、直接害を与える理由がなかったとしても。
「確かにね。……それでも、ストケシアの人間がいる限り、表立っては動かないはずだから、レオに頼むのよ。そちらのが油断させやすいし」
油断をさせてどうするのだ、とは聞かなかった。
ティナはただの美人ではないのだ。
彼女宿屋の主人にしては頭が回りすぎるし、知識もありすぎるのだ。
ファリーナや、他の友達の話を聞いていて、常々それを感じていた。
だから、ヴェントス侯爵家当主夫人だったと聞いて、ティナの頭の切れのよさも、そういう立場からのものかもしれないと、とても納得したのだ。
そんなティナが大丈夫だと判断しているなら、レオは従うのが最善だ、というのは分かっていた。
「じゃあ、行ってくる」
それならば、早い方がいいと、厨房を出かけようとしたレオを、ティナが呼び止める。
「あ、ちなみにお二人の名前は、クロッカスさんと、レイラさんよ」
「クロッカスさんとレイラさんだな? よし、覚えた」
「ついでにこれもお客さんに持ってってね」
どうやら思ったより時間がたっていたらしい、クロエが料理を作り終え、すでに盆に料理を乗せていた。
それを受け取り、今度こそ、レオは、厨房を出たのだった。




