はかりかねる距離
城内はいつもより、見回りの兵の数が少ない。それに、見回りをしている兵士も、城を歩き回っている侍女たちも、通常よりどこか浮ついている。
毎年のことだが、建国祭というのは、どうにも人を浮つかせるもののようだ。
赤銅色の髪の青年は、建国祭前日のこの日も、浮ついてはいなかった。
だが、非常に焦りと不安を感じていた。
そして、ようやくその原因の人物を見つけ、近づいていく。
その気配を敏感に察知して、デュエルが声をかける前に、長く艶のある美しい黒髪が横に流れていき、それが落ち着いたところで、とても整った顔立ちと、すべてを見透かすかのような力をもった深い緑の瞳が現れた。
「久しぶり。帰ってきたのね。どうだったの? ケルドは?」
いつもなら、立って話すときも、三、四歩分ぐらいの距離を開けているのだが、今日はあえて距離をつめた。
彼女の腰のベルトには、剣の鞘を止めてあるのと同時に、ヒラリーの言ったとおり、ラピスラズリが等間隔にあしらわれた、長い銀細工が、静かにその存在を主張している。
「……どうしたの? 何か、怒ってる?」
反射的に後ずさりようとしたルフレの両腕をつかみ、その深緑の瞳を覗き込むようにして問う。
「シリヤのことを聞いた。異動って……しかも、俺の隊がいいって、どういうことだよ!」
昨日の夜、二週間ぶりに帰ってきて、風呂で泥や汗を流したあと、部屋に戻る途中、聞いてしまったのだ。
シリヤがウル科長に詰め寄っているところを。
話を聞いていれば、デュエルの隊より早く城を出ていたウル科長も昨日、ようやく仕事から帰ってきたところらしく、実際にシリヤが異動を言い渡されたのは、デュエルが城を出てすぐのことらしいということ。それから、ウル科長から、ルフレが指定したのはデュエルの隊だということ。
「シリヤから……というより、たまたま聞いたの?」
「そうだよ。ウル科長に話してるところを聞いた。たぶん、聞いてたのは俺だけだ」
ルフレの瞳がいつもより大きく見える。
人一人分の距離しかないような、今の距離感は、デュエルが線を引いてからは初めてかもしれない。
真剣な話をしているのに、鼓動が高鳴る。
顔が火照りそうになる。
だがぐっとこらえて、ルフレの瞳を見つめる。
「シリヤのためよ。それ以上の理由はない」
「……話す気はないんだな?」
彼女の様子を見ていれば返事を聞かずともわかる。ルフレには、話す気がない。それならそれでもいい。彼女の行動の原因は、外側からゆっくり探ればよいのだ。
「ええ」
しっかりと肯定したルフレは、まっすぐに、こちらを見てきた。
顔立ちが綺麗な女性なだけではなく、なにより自分が一番大切に思っている人だ。
問い詰めるために、彼女を少しでも動揺させるためにしたこの距離感は、逆にデュエルの集中力を削いだ。
もう一つ聞きたいことがあるというのに、このまま目の前の女性を抱きしめたい衝動に駆られて、それを抑えるのに気がいって、次の言葉が出ない。
―――落ち着かないと。
周りに人はいないが、腕をつかんでいるだけなら、あえて言い訳できるように乱暴に両腕を上からつかんでいるだけなら、どうにでもごまかせる。
だが、抱きしめてしまっていては、絶対にごまかせない。
今ここで抑えなければ、あの日引いた一線は、無駄になってしまうのだ。
「何? まだ、話はあるの?」
「……」
言葉が出ない、どんなにこらえても、顔が、赤く染まりそうになる。
この距離で、彼女に見つめられて、デュエルはこんなにもかき乱されているのに、目の前の彼女は、全く持って表情を変えていない。
ただ静かに、デュエルをしっかりと見つめてくる。
どうしてこの状態で聞けようか。
腰の銀飾りを誰からもらったかなどと。
「……レンティシアをよろしくって言われた」
だから、別の話題を振った。
すると、悲しいことに、ルフレの目が大きく見開かれる。
「レオに会ったの?」
「……ああ」
「どこで、どんなふうに、何を話したの?」
興味ありげに、そしてどこか焦ったように問うルフレを見て、デュエルの心は沈む。
ルフレの腕を、ほんの少しだけ自分の方に引っ張る。
「ちょ、っと……忘れてたけど! 誰かに見られたら……」
よろめいたルフレは、ようやく自分の状態に気づいたかのように、わずかに頬を染めてデュエルの腕を振り払う。
―――忘れてたって、どういうこと? それ以上の衝撃があったとか?
振り払われた腕をもとに戻して、一歩身を引いた。
「レオは、オブスキィトに恩があるからって、賊に襲われた俺を助けてくれたんだ」
「賊? 襲われた? デュエルが?」
事件についてかいつまんで話したうえで、ついでに仕事の話についてもする。
賊の聴取に関しては二つ返事でOKしてくれた。
「……それで、オブスキィト家のデュエルを、レオは助けたのね」
「そういうこと。それで、最後去り際に、俺にだけ聞こえるように言われたんだ。レンティシアを頼むって」
少しだけいじけた気分で言ってから、先ほどのルフレの反応を思い返す。
彼女は、それを言っただけでレオだと特定した。
つまり、レンティシアという名を名乗ったのは、デュエルとレオに対してだけ、ということになる。
「成り行きで名乗ったから、口止めはしといたわ」
「成り行き? 本当はレオのこと好きなんじゃ?」
今日のデュエルは、もう、一線を越えてしまっている。
ロイとして、レンティに問いたいのだ。
その名前こそ口には出さないが。
「……まあ、好きね」
ルフレ、あるいはレンティの口から洩れた言葉に、ロイは絶句する。
「好き……って」
レンティは不思議そうに首をかしげた後、再び言葉を紡ぐ。
「さすがに恋愛感情じゃないけどね」
「そう……え? 恋愛感情じゃない? さすがに?」
さっきロイを地獄に突き落としておいて、今度は一気に現実までひっぱりあげた。
本当に、ロイはいつもレンティの言葉に一喜一憂してばかりだ。
「あ……いや、まあ、さすがにって言うのは、なんていうか、年下には興味がないからっていうか……」
急にしどろもどろになったレンティに、二十の意味で驚かされる。
「年下だめだったの? っていうか、あいつ、俺らより年下?」
話し方も見た目も、どことなく年上かと思っていた。
「あの子は、今年で十八よ。私たちは今年十九だから、レオの方が一つ年下」
レンティがレオのことを口にする様子に、少しだけ安心する。
その話し方は、どちらかと言えば、弟のことを口にするような言い方だったから。
「レオはやっぱり大切な人だけどね。信頼もしてるし。レンティシアの名を教えるくらいには」
「っ」
「でも、さすがにその名を呼ぶなとは言ったけど。ルフレって呼んでって頼んだわ」
「……からかってるの?」
「え? 何が?」
すべてのことに頭が回る彼女が、どうしてこうも鈍いのかよくわからないが、どうやら今回も無意識らしい。
地獄に突き落として掬い上げるという、なんともロイの心臓に悪い方法で会話をつづけるレンティには、いい加減、自覚をもってほしい。
「それにしても、まだ聞き足りないって顔してるわ」
「っ……そんなことない」
嘘は無駄だとわかっていたのに、思わずとっさに嘘をついてしまった。
「ばればれよ」
呆れたように言うレンティに、ロイは精一杯の譲歩をした。
「……あるけど、またいつか、聞くよ」
本当は永遠に聞きたくない気もするけれど、それもそれでどうかと思う。
ラピスラズリについては、また、もう少し落ち着いてから聞けばいい。
とりあえず、今回分かったことは二つ。
レオは恋愛対象ではないが、大切な人、であること。
そして、彼女の大切な人、はかならずしも恋愛対象ではないこと、だ。
望みはあるのだろうか。
十一歳の時に誓った、レンティを守れるほど強くなるというあの言葉。
彼女はまだ、それを成しえたと認めてくれてはいない。
それでも、わずかに首元から覗く、銀の鎖が、ロイを勇気づけるのだ。
絶対に、間に合わせる。
レンティの隣にたつために。
レンティの隣に並ぼうという思いは、もはや、八歳の時から持ち続けているのだ。
―――オブスキィトとルミエハなんかにつぶされてたまるか。
やっとやっと、二人の会話です!
が、頑張った……私。




