十一歳の二人⑥
「ロイっ」
悲痛な叫びが井戸の中で反響する。
隣にいたレイラが目を丸くする。
―――どうしよう、どうしよう、どうしよう。
手や服を染める赤が、レンティの理性を奪う。
「ちょっと準備してただけだって」
聞きたかった声が、期待してきた声が聞こえて、もう、耐えられなかった。
「ルフレっ」
全身の力が抜け、レンティはその場に崩れ落ちる。
レイラの声が聞こえたのか、ロイが慌てて降りてくる。
それでも、ロイは木の板でふたをするのを忘れない。彼は冷静だ。
「レンティ。大丈夫か?」
いつのまにか腰に結いつけていた木の枝をいくつかレイラに渡しながら、ロイはレンティを慰めるように、手を伸ばす。
しかし、彼の手は、レンティに触れることなく、空を切る。
レンティはその瞬間、自分が血まみれなことを自覚した。
人を傷つけた。アンナがいさめたように無意味なものじゃない。守るために、傷つけた。自分のために。
―――そりゃ、触れたくないか。
急激に心の芯が冷える。
「大丈夫。火、あんまり持たないし、さっさと行きましょ。そんなに遠くないのよね?」
ロイの方をみるのは怖くて、レイラに話を振る。
「ええ。もう、歩けるなら、早く行ったほうがいいわ」
「行きましょ」
できるだけ声が震えないようにしながら、立ち上がって、先に進む。
井戸だと思っていたが、どうにも、もともと地下通路として作られたようだった。
ところどころに、燭台が据え付けられている。高さは、レンティが、ぎりぎり屈まないで歩けるぐらいの高さだが、幅は両手を広げたときぐらいはある。
思ったより広い。
レンティは何もしゃべらなかった。
いつのまにか、レイラが、火を持って前を歩いていたが、彼女も黙っている。
きっとレンティの後ろには、ロイがいるのだ。
ロイを赤に染めたのは、レンティなのだ。自分が赤をふりかけた。手を汚さなくて済んだはずの彼を落とした。
そして、彼自身も、傷ついた。
「ここ。左に行くと、ルミエハ邸の中の井戸につながってるの」
いつのまにか現れた分岐点で、レイラは左を差して言う。
「どうしてそんなことを?」
レンティの代わりにロイが聞く。
「実は……五歳の時、入ったことあるのよ。ここ。それで、ルミエハ邸に出たときにはびっくりした。きれいな女の人に見つかりそうになって、慌てて逃げたんだけどね」
いたずらが見つかった子供のような表情で、レイラは案外悪びれずに言った。
彼女は大人だと思っていたけど、意外と無茶もするらしい。
「このまままっすぐ行くとね、うちの家の飛び地につくの」
「町って言ってませんでしたか?」
「町は町よ。飛び地で、小屋が一個たってて、その小屋の床下につながってるのよ。だから私が小さい時にしのびこむことになったわけなんだけど」
レイラは先導しながら、話を続ける。
「小さいころは、不思議だったの。どうして町のど真ん中に、私の家の所有地があるのか。そして、そこに建ってるのが、古びた小屋だってことが。それで中を調べてたら、たまたま、床の凹みに気づいて、そこに指をかけて横にスライドさせたら不思議の入り口の発見ってわけ」
いつもはきれいに結い上げられている茶髪が、今日はいじられずにそのまましたにおちている。
揺れる茶髪を見ながら、ようやく、レンティはあることに気づく。
「どうして? どうして、レイラお姉ちゃんはここに?」
レイラはいつも、ロイがいるときはいないのだ。だからロイは面識がなかった。
それなのに、今年はどうしてここにいる?
「どうしてって、さっき、この井戸を通ってきたって―――」
事情を知らないロイは、何か勘違いをして返答する。
レイラは、レンティだけでなくロイの言いたいことの意味をも汲みとって答えた。
「デュエル君。わたしがあなたと初対面なのはね、あなたがここにくる期間、私はいつも本家に行っているからなのよ。そして、ルフレ。三か月後に、例の彼と結婚するの。だから、その婚前準備で、本家に帰ってる暇はないのよ」
「でも、それなら……」
「それで、ルフレから話だけ聞いてるデュエル君を見てみたいなって。でも、ごめん。こんなことになるなら……」
「行き止まりですよ」
レイラの言葉を遮るようにロイが前を指す。
「本当だ。私がさきに上るわ。火、消すわね」
そういって、レイラが枝を下に捨てると、ちいさな水たまりに飲まれ、火が小さくなっていく。
火が完全に消えると、レイラが上っていく音だけが、異様に大きく響く。
「あ」
闇に包まれた中で、ロイの手が、今度はしっかりとレンティの手を包み込んだ。
その手は温かくて、胸が熱くなる。




