厄介ごとホイホイな男
月曜 囲碁
火曜 編み物教室
水曜 将棋
木曜 持ち寄り会(食べる物)
金曜 健康体操
土曜 小物会
桐江は受付の窓口脇にかかっている小さなホワイトボードに書かれている、これらの文字を顎に指を当ててじっと見ていた。
『集会所…?』
健康体操しか当院に関係ないな…などと思いながら、まあいいか…と診察室へ戻ると、和子さんが出勤してきて
「あらやだ、いつの間に?」
やはりホワイトボードをみて笑うが、外さない。
小さな手提げのお弁当バッグと、スヌーピーの書かれたちょっと大きめな布バッグを、与えられたロッカーにしまうと、玄関マットを出しに行く傍らデスクに座ってパソコンの立ち上げや、ぺんなどを整えている桐江に
「すっかりみんな馴染んじゃいましたねえ。見ました?1週間のスケジュール」
丸めた筒形のマットを肩に担いで、そう言いながら玄関へ向かう和子さんは勇ましい。
『1週間のスケジュールは毎週変わるのか?』桐江の気になるところはそこだった。
しかしお年寄りはマメだ。毎日色々やりにくる。
「暇なんですよ、みんな」
心を読んだようにそう言ってくる和子さんに、びっくりして無表情ながらピャッとなった桐江は、手にしたボールペンを落としてしまった。
「あら、脅かしちゃいましたか?ごめんなさいねー」
と拾って桐江の手に渡しながら、『さあ〜受付開けなくちゃ〜』とまた戻っていく和子さんは超能力者なのかな…と見送って、桐江も気を取り直し、本日の読書『痛風の治療マニュアル』を手に取った。
午前九時開院とともに、わらわらと商店街の長老たちがやってくる。
確か今日は囲碁の日だったかな、と本を捲りながら桐江は待合室の音に耳を傾けた。
待合室からは、芸能人の誰それが結婚したとか、昨日の巨人が、とか時事ネタにも聞こえてきて、その辺の情報はきっと桐江は同年代より持っているだろうと自分でも思う。
「先生、電話ですよ」
本と待合室の喧騒に集中しすぎて、電話の音も聞こえないとは…と思いながら手元で点滅している番号を押して電話を取る。患者さんかな?と思う間もなく
『お、桐江?元気でやってるかー』
一瞬馴れ馴れしいこいつは誰だ?と考えるが、この間延びした声は同期の春日井だ。しばらく会ってないのにこの馴れ馴れしさは、相変わらずだ。
「なんだ、久しぶりだな。こっちは元気でやってる」
聞かれたこと以外答えないのも春日井もわかっているのか
『そっか、俺も元気にやってるよ。今度お前がいた病院に勤めることになってさ〜会えると思ってたらお前いないじゃん?びっくりしたよ』
春日井は研修医の頃から救命希望で、噂には聞いていたがずっと救命病棟勤務で忙しくしているらしかったが、こいつが近くに来た…?
桐江はちょっと胸騒ぎがする。
「ああ、そうなんだ。辞めて半年かな」
『らしいなあ。それにしてはすぐに診療所始めたんだな。準備してたんだなこのやろーめ』
ゲラゲラ笑うが、こいつのこういうところは昔から苦手だ。
「それで何の用なんだ、わざわざ電話までしてきて」
『いやー?挨拶をと思ってさ。病院にいないから、外科のナースセンターで聞いたよ。休み取れたら一度行くわ。診療所ってとこ見てみたいしな」
「来なくたっていいんだが」
胸騒ぎが増幅する。
研修医の頃からそうだが、春日井は患者を呼ぶ男としてもなぜか有名で、袖が擦れ合っただけで厄介な症状の患者が来ることが多かった。
一緒に夜勤などすると、朝は疲労困憊で逆に眠れなくなるほどになったことがある。
ここに患者が増えるのはいいんだが『厄介な症状』というのが問題なので、できるだけお前は来るなと思う。
『そういうなよ〜患者増やしてやるぞ?』
そう言ってまたゲラゲラ笑うし、そうやって厄介患者ホイホイなところを自覚しているのも酷く嫌だ。
「まあ挨拶は済んだだろう。じゃあ。あ、それと『来なくてもいいからな』」
桐江には珍しく嫌な言い方で言い放って、電話を切ってやった。
今日一日無事で終わりますように…心で祈って、千代紙の補充にあたった。
十時半頃になると、囲碁もなかなか熱戦になっているらしく、対戦している二人を囲んで、重鎮たちが唸りながら観戦している。
和子さんは書類整理と、受付の中を掃除したりしていて患者は相変わらず来ない。
「先生、今日も暇ですねえ…」
今時どこで買えるのか『はたき』をかけながら、和子がやって来た。
毎日やっているので大して埃もなく、和子はその辺をパタパタ、この辺をパタパタと診察室も歩き回っている。
「じいちゃん!しっかりしろ!自分のせいなんだから!」
不意に聞こえた玄関からの叫び声。和子さんは思わず
「来たーっ!」と叫んで受付に走って行った。
『そうとう暇だったんだな…』を思わせる速さで受付に向かった和子を見送るが、玄関先では尋常じゃない騒ぎだ。
「痛えよお痛えよお」
「バカジジイが!そんなことすっからだ!こっぱずかしい!」
孫なのだろう二十代後半の若い男性が、爺さんをお姫様抱っこして受付に立った。
「これ、保険証!いつ診てもらえます?割と緊急なんですが!」
「おお、お茶屋の誠一じゃないか。爺さんどうした?」
若い男性は、お茶屋の三代目の古賀誠一で、爺さんは古賀誠四郎だ。
親の一文字を継承する家庭で 『誠』の文字を引き継いでいるが、意識するあまりに孫と爺さんの名前の数字が逆転するという、周り(商店街)が失笑する事態になっている有名茶屋だ。
「どうしたのよ、せいちゃん。あ、どっちもせいちゃんなんだった。ええと、いっちゃん!」
呼び名もめんどくさい。
「じいちゃんがな、急に痛え痛えいうから部屋行ってみたらな、和子さんこれ見てくれよ!ほんっとバカじじいなんだから」
見てくれよ、と言いながら腕力に任せて爺さんを前にヒョイっと持ち上げるとズボンの前縦が開いていて、見ろというので見てみると、そこから陰茎に割り箸が刺さっている。和子さんは
「あらまあ」
と平然としているが。
「ヒイイイイイ」
覗き込んでいた町内会の重鎮はドン引きだ。
やはりそばで見ていた桐江は
「取り敢えず診察台へ」
といっちゃんを促した。
「せいちゃんバカだな!何やってんだよほんとにさ」
「そんなとこになんか突っ込むとか!まして割り箸なんてささくれだらけじゃないか」
重鎮が色々いうたびに男性陣はゾッとして、つい股間に手を当ててしまう。
桐江はピンセットで器用にせいちゃんの陰茎を摘み、一方で割り箸を引っ張ってみるが
「痛えよ先生!」
キレそうな声で怒鳴るせいちゃんを、
「うるせえよ、先生にキレんじゃねえじじい!」
そばでいっちゃんが怒る。
久々にカオスな状態だ。
「これは…」
さっき重鎮の誰かが言ったように、割り箸のささくれが尿道に引っかかって簡単に抜けない構造になってしまっている。
桐江は朝の春日井からの電話を思い出し、『あいつ早速…』と無表情のおでこに一瞬血管を浮き上がらせた。
「和子さん、救急車の手配をお願いします」
「え、そんなですか?」
「うちでは無理ですね。手数と装備の整った病院で内部見ながらじゃないと抜けません」
和子さんはすぐに119番に手配をかけた。
「なぜやったとかは聞きませんけれど、場合によっては半分切除になりかねませんよ」
「切除!」
「切除っておまえ…せいちゃん半分になっちまうのか?」
「商店街の旅行で自慢してたのになあ」
重鎮たちが診察室のドアにたむろしながら、せいちゃんの陰茎にお別れをしているようだ。
「もう…ほんと恥ずかしい…じいちゃん…少しは懲りて、もうこんなことすんなよな」
年若いいっちゃんにしてみれば、恥ずかしいことこの上ないだろう。
じいさんが割り箸突っ込んだのも、いっちゃんが恥ずかしい思いしたのも春日井のせいだ…。桐江は謎の怒りを胸に秘め、救急車に同行したら文句の一つも言わなければ気が済まなかった。
「おお?桐江〜早速会いに来てくれたんか?」
病院に着くと、真っ先に迎えて来たのが春日井と二名の救命医だ。
「お前に会いに来たわけじゃない…が…お前のせいで重傷患者が出た。患者増やすとかいうからだ。もう関わるなよ」
嫌なことをされたわけでもないのだが、生理的に嫌いな人間というのはいるもので、春日井は桐江の天敵だった。
「あ〜古賀さん…でしたか?ちょっと腫れてきましたね」
救命の治療室で、腰にかかった布を剥いで春日井は所見を言う。
こいつ新人のくせにずいぶんと偉そうにみえるが。
「医局長、レントゲン室開きました」
医局長!?密かにピャッとしながら、桐江は春日井を目で追ってしまった。
頑張ってきたんだなあ、あいつも…などと称えてしまいそうになって、いやいや…と思い直す。厄介な患者ホイホイのせいで、午前中から大変な思いをさせられているのだ。
「いや、レントゲンじゃ無理だな、写らない。エコーにしよう。風間くん、やってみて。古賀さーん、割り箸のささくれ確認しますね。麻酔効いてきましたか?もう痛みはないでしょう?ゆっくりはできませんけど、腫れが膿まないうちに取り出しましょうね〜」
古賀爺さんをとりあえず風間先生に任せて、春日井は廊下に立つ桐江の元へとやってきた。
「俺を頼ってくれて嬉しいよ」
これだ、これなんだ。この馴れ馴れしさが本当に苦手だ。
「お前を頼ったわけじゃない。診療所を開くときに是非急患はと言われているだけだ」
じゃああとは任せた、と帰ろうとする桐江を
「コーヒーくらい飲んでいけよ〜」
などと呑気にロビーを指差すが、お前はエコー終わった古賀さんのその後を診なきゃだろう、と心で思うだけにしてふいっと救急の出口へ向かう。
「またこいよー」
悪びれもせずそんなことを言う春日井にまたしてもらしくなくイラッとして、『そう言うこと言うな!また厄介な診療になるだろう』と再び心で怒って、桐江は外に出た。
近いとは言っても2キロくらいはあるが、桐江は歩いて診療所へ帰りお昼近いと言うことで『一旦』家に帰る重鎮‘sとすれ違うことになった。
「先生、せいちゃんはどうだった?切る?切るのか?」
「あんなとこに割り箸なんて俺は初めて見たよ」
私もです、と心で答える。
「いえ、診療の結果は分かりません。病院へ任せたので」
プライバシーになるので、桐江の見立てでは十中八九半分に切るだろうとは思うが、さすがに言えない。
「せいちゃんのちんこが半分かあ…」
「せいちゃんご自慢のイチモツがなあ…」
みんな寂しそうと言うより、少し喜びが?と言う顔をして、重鎮’sがくすくすしながら帰っていった。
大きさ問題は、年齢に関係ないんだな、などと思いながら診療所へ戻ると、和子さんまで
「半分ですか?」
と聞いてくる。
「病院に任せてきたので、私にはわかりません」
苦笑してデスクに着くと、そんなにいなかったつもりでも1時間病院にいて、歩いて帰って15分。もうお昼になろうとしていた。
「和子さん、ちょっとお昼買ってきます。何かあったら連絡ください」
和子に待合室から声をかけると、和子はお弁当バッグを持ち出してきて
「今日ね、私おにぎり五個も持ってきちゃったのよ。いくら私でもこんなに食べられないから、先生三個食べてくれない?」
そう言ってバッグの中を見せてくれて、美味しそうに海苔が巻かれたおにぎりが並んでいた。
いやしかし…和子さんのお弁当はごぼうが多すぎて…
ちょっとしょぼしょぼした目をしてしまうと、
「やだ先生、ゴボウもう飽きたでしょ?」
と言ってくれた。今日はゴボウじゃないのか?と少し喜びの心が芽生えそうになったら
「いつもね〜煮物とか炒め物とか多かったじゃない?ゴボウ。今日ね、すっっごく美味しいごぼうのお漬物見つけたのよ!これなら新鮮な気持ちで食べられるわよ先生も。いつもの味じゃ飽き飽きよね〜」
そう言ってまだ五分ほどあるが、和子さんはテーブルにお弁当を広げ始めてしまった。
ゴボウじゃん…無表情の目だけをしょぼしょぼにして、桐江は仕方ない…とストックの担々麺を持ち出して、汁代わりに準備した。
いつもごぼうだけではないのだが、圧倒的にごぼうが多いので、桐江はおにぎりとラーメンに集中して食べていたが、和子さんは容赦なくラーメンにもごぼう入れてくるので、毎日短めのごぼう一本くらいは食べていることになる。苦手ではあるが最近何も感じなくなってきて、慣れというものは…と今度そんな文献あったら見てみたくなった。
「今日は来ないわねえ、森永さん。いつも昼休憩を狙ってくるのに」
和子さんはもう、待ちの態勢だ。
久しぶりに静かな昼休憩。
この静かな時間が、春日井の厄介患者ホイホイの毒牙にかかるのは、そう遠い未来ではなかった。何時間か後…
珍しく続く
割り箸は、実は実話w




