第40話:九条社長
私が自宅まで行ってみると、来客用駐車スペースに見覚えのある高級車が停まっていた。
定位置に車を駐車して外に出た私に、高級車の運転席から出てきた男性が歩み寄ってくる。
「やあ裕菜ちゃん、用事で近くを通ったから寄ってみたよ」
優しそうな笑顔で話しかけてくる長身のシニア男性は、ジュネスの九条社長。
元はシンガーソングライターで、多くのヒット曲を出した人でもある。
今では自らがステージに立つことはやめていて、若手に楽曲を提供する側に回っていた。
老いた後も身だしなみには気を配るタイプで、ブランドもののスーツをしっかり着こなし、立ち居振る舞いにも品がある。
「留守にしていてすいません、お茶でも飲んでいかれますか?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
私は彼を疑う気持ちを笑顔で隠して問う。
九条さんも笑みで答える。
ケイが昏睡状態になったことや、入院していることは、私と病院関係者以外は知らない筈。
九条さんは何気なく立ち寄ったみたいに言ってるけれど、本当にそうかな?
昏睡状態に落としたケイがその後どうなったか、様子を見に来たのかもしれない。
「では、庭の東屋へどうぞ。私はキッチンでお茶を淹れてきます」
「ありがとう」
広瀬家は、西洋のお屋敷みたいに薔薇園や東屋があり、来客にはそこで寛いでもらうことが多かった。
九条さんは何度もここへ来ているので、案内なしで東屋へ向かう。
私は庭園に面した扉から家の中に入り、キッチンに向かった。
「オカエリナサイマセ、ひろなサマ」
「ただいまバトラ。お客さんが来たからお茶を淹れるのを手伝って」
「カシコマリマシタ」
バトラに手伝ってもらいながら、キッチンでお茶の準備を始める。
茶葉専用冷蔵庫を確認すると、ダージリンの秋摘み茶葉の缶を見つけた。
春摘み茶葉や夏摘み茶葉よりも渋みが穏やかで、まろやかで深いコクと甘みが特徴の茶葉だ。
茶さじで量りながら2人分の茶葉を缶から掬い出して、バトラが温めてくれたティーポットに入れる。
バトラが沸かしたてのお湯を注いでくれた後、温めたカップや茶菓子と共にトレーに乗せて、ティーポットカバーを被せて蒸らしながら庭園まで運んだ。
東屋では、九条さんが椅子に深く座り、背もたれに背中を預けてのんびりと寛いでいる。
歩いて来た私に気付くと、彼はニッコリ微笑んだ。
「ここはいつも良い香りがするねぇ」
辺りを見回して、九条さんはまた微笑む。
彼が言う通り、庭に咲く花々から上品な甘い香りが漂っていた。
庭師さんが丁寧に手入れしてくれている植物たちは、今日も瑞々しく生き生きとしている。
「どうぞ、召し上がって下さい」
「ありがとう。裕菜ちゃん、紅茶の淹れ方が上手になったね」
「美味しいお茶が飲みたくて、練習したんですよ」
私はテーブルにクッキーを入れた皿とカップを置き、2人分のカップに紅茶を注ぐと九条さんの対面に座った。
何気ない会話を交わしつつ、相手に悟られないように警戒はしている。
ケイを眠らせておいて、彼は何をしに来たのか?
この場所も防犯カメラにバッチリ映るから、何かしてきたら映像を警察に渡そう。
東屋の屋根裏に仕掛けたカメラなら、音声も拾える。
防犯カメラの存在はカモフラージュされているので、ケイと私しか知らない。
「ねえ裕菜ちゃん、私の事務所からアイドルとしてデビューしてみないかい?」
私にとっては、いつも聞く九条さんからのお誘いの言葉。
芸能人を目指したい人が聞いたら、飛び上がって喜ぶような台詞だ。
彼がスカウトした人々が、数多く活躍しているのは知っている。
「君は顔もスタイルも良いし、歌も踊りも上手いからきっと人気が出ると思うんだ」
こんな風に誘われるのは、もう何度目だったかな?
でも、私はアイドル業にはあまり興味が無かった。
アイドルたちはファンに追い掛け回されて、街をゆっくり歩けないのを知っているから。
何よりも「アイドルは恋愛禁止」っていうルールが、私には無理だった。
だって、もうケイの恋人になっているからね。
「アイドルって恋愛ダメなんですよね? 私は恋人がいますし、別れる気は無いから無理ですよ」
「大丈夫、一般人はまだ君の私生活を知らないし、隠しておけばバレないさ」
いつもはさらっと流して終わるのに、今日の九条さんは随分と熱心に勧誘してくる。
恋人の存在を隠すとか、人を騙すようなことをしたくない。
私は声優になりたいのであって、アイドルになりたいわけじゃない。
「スカウトは光栄ですが、私はアイドルじゃなくて、声優がいいんです」
「あぁ、なんて勿体ない……」
私がきっぱりと断ると、九条はガックリと項垂れた。
ここまでのやりとりに、特に異常は無い。
私と九条さんとの会話としては、通常運行だ。
九条さんはその後もしばらくアイドル業について熱く語りながら、紅茶を飲んでいた。
「ごちそうさま。そろそろ帰るよ。アイドルになりたくなったら、いつでも私のところへ来てくれ」
やがて、そう言って立ち上がった時。
見送る私に、彼は仕掛けてきた。
何気なく私の肩を叩くふりをして、首に打ち込もうとする針のような物が見える。
私はその手首を片手で掴んで封じながら、もう片方の掌で顎を叩くように押し上げる掌底打ちで仰け反らせた。
衝撃でよろめき無防備な彼の鳩尾に、グッと踏み込んで体重を乗せた強烈な膝蹴りを食らわせる。
「グホッ!」
武道で水月とも呼ばれる急所への攻撃。
私、一応黒帯だから。
ケイのオススメで小学生の頃から習っている護身術、遂に役に立ったよ。
まともに食らった九条さんは意識を失い、仰向けに倒れて動かなくなった。
九条さん改め、九条容疑者。
私は彼が意識を取り戻す前に警察を呼び、防犯カメラの映像を渡した。
ケイが意識を奪われた際の映像もしっかり保存されていたので、それも一緒に。
医師もケイから除去した針のような異物を提供、サイバー警察の調べで九条が腕時計に仕込んでいた物と同一であると判明。
電脳犯罪容疑で、九条は逮捕された。
◇◆◇◆◇
「私は、ダイヤの原石のような素晴らしい才能をもつ子が、磨かれずに埋もれていくのが許せなかったんだ」
逮捕後、観念した九条は今回の動機について警察に白状した。
彼の本当の狙いはケイではなく、私だったの。
「あの子が欲しかった。手に入れるためには、養父の彼が邪魔だった。だから、始末しようとしたんだ」
九条は【天使と珈琲を】の開発に協力したことから、試作用ゲームを手に入れていた。
ケイに打ち込んだ針は、精神を試作用ゲームの世界に転移させる端末だったらしい。
NPCの中に閉じ込めてしまえば、自力では戻れなくなる。
ケイを長期間の昏睡にして筋力を衰えさせて、衰弱死させるつもりだったという。
九条は独り残される私を引き取り、自分の養女にする計画を立てていた。
「私があなたのところへ行くことは、絶対ありません」
私は面会に行き、九条にハッキリ言ってあげた。
私が生きる理由は、ケイの傍にいること。
もしも、ケイが死んでしまったら、私が選ぶ道はひとつしかない。
「ケイが死んだら、私も生きてはいませんから」
ケイがいない世界なんて、私の居場所じゃない。
ケイの命が失われたら、私も命を絶つつもりでいる。
言い切ると私は九条に背を向けて、面会部屋から立ち去った。




