駄目な人を好きになりまして
とある国のとある貴族の邸宅の中庭、木漏れ日が踊るテーブルに着いた、流れるような金の髪を持った見目麗しい彼女は紅茶を静かに飲みながら側にいた私に声をかけられました。いつもの話題でございます。
「じいや、彼の最近の様子はどうかしら。」
「…ディートゥス様の事でしたら、商業活動に精を出されているようです。
密偵からは現在はエストミナ領へ赴き、貴族中心に林檎酒を売り込んでいると聞いております。大変良好に取引をされているようですよ。」
やんわりと聞かれた質問は、今朝入って来たばかりの情報でした。エストミナから三日も寝ずに駆けてきた密偵には悪いことをしましたが、私は何事もないかのように答えました。
この話題は今も優雅に茶を楽しむサラキア様の意中の相手の話題は週に四回か五回は挙がるものです。いつだってサラキア様はディートゥス様のことを気にかけておいでです。…悪い意味で。
回答を聞いてティーカップから口を離し、眉間に皺を寄せられました。
「…うまくいっていらっしゃるの?」
「はい。大変ディートゥス様直営の酒蔵は変わらず社交界から下町まで大変好評です。
今回は量産品ではなく、限定的に作ったものを売り込んだようです。大変好評のようですよ。」
「…チッ。」
「お嬢様、態度が悪いですよ。」
ディートゥス様とサラキア様はお互いに六つの頃からの御関係でありました。
当時のサラキア様は何でも上手くできて少々高慢ではありましたが、ディートゥス様は今と変わらず大変穏やかな方でした。今のディートゥス様と違うところといえば、昔は気弱で、遊びに勉強、乗馬に剣術、果てはエスコートに至るまで…何をしても不器用でうまくできない子供でありました。
変わり始めたのは七つの頃、サラキア様がディートゥス様に言い放った「何でもうまくできる人のほうが良い!」という言葉の後でしょうか。
聞く限り寝る間も惜しんで勉強し、昼も休む間もなく乗馬や剣術の練習をして、夕食の間すら本を読んでいたと聞いております。
そして十年以上経過した今も継続され、今や酒の流行を生み出すと一目置かれる貴族にして若く優秀な商売人としてご活躍されております。彼の家が治める領の名産である果実類に目を付けられ、それを使っての酒造りに着手し見事当てられました。
普通ならば何事もうまくできなかった者が好いた女性のために必死に努力し力を付け、周囲からも認められた―――というサクセスストーリーに見えるのですが、当の本人、サラキア様には違いました。
「クソッ…工作はどうなってるの?」
「今回も回避または失敗しております。
もうやめませんか、お嬢様。」
「しないわ!私があのとき何でもうまくできる人がいいなんて言わなければ今頃はディーも何しても下手糞で不憫で可愛かったのに…!」
心底悔しそうに机を叩き、淑女らしかぬ苛立ちを隠せぬまま息を荒げたサラキア様を何とか宥めます。ふうふうと息を荒げ冒険者もかくやというほどの恐ろしい目つきには淑女という言葉を勉強させ直す必要があるのではないか、とつい思ってしまいます。
「お嬢様、そのような性癖はこの場でもお隠しください、本当にはしたない。
むしろ良かったではないですか、かつての願いが叶ったのですから。」
「あ、あの時は浅はかだったのです、まさか何をしてもうまくできないディーを見て陰で興奮するようになってしまったなんて…!当時はそんな性癖はありませんでした!」
「ですから性癖の開示は本当にやめてください。外で、いやこの際ディートゥス様の前でそれを出さないでくださいよ。はっきりと申すのであれば…世俗風に、きっしょ、の一言に尽きます。」
「出さないわよ…。というか、貴方は本当に歯に布着せぬ言い方ね…幣家の執事として自粛されては?」
「そのままお返しいたします。」
悲しいかなサラキア様の性癖は捻じ曲がっておいでです。
当時勉強も馬術も護身術も音楽も、なんでもうまく熟せていたサラキア様は調子に乗っておいでで、自分よりスマートに上手くできる殿方を好んでおいででした。だからこそ「うまくできるひと」発言が出たのでしょうが…今のように捻じ曲がったのはひとえにディートゥス様が彼女の事を褒めちぎり、素直に教えを乞い、そして熱心に努力されたからでしょう。
サラキア様はディートゥス様の必死の努力とその結果うまくいかない不憫な姿に性的興奮を覚えてしまうようになった、哀れな生き物なのです。駄目男好き、というやつでしょうか。私の調べによればそういう性癖もあるようでしたが、しかし裏で工作してなお落とそうとする姿は良識ある人間としてどうなのかと思います。いえ、無いからしているのでしょうが。
「はあ……既に工作を続けるよう指示はしてありますが、既に商談はまとまっておいでです。今回ディートゥス様を失敗させるのは最早困難ですから、もうやる価値がありません。」
「始まる前に⁉手際⁉」
「よかったではないですか、かつて貴女の仰った「何でもうまくできる人」ですよ、貴方の意中の御方は。」
「う~~~!なんでそんなにうまくいくのよ!うまくいかなくて落ち込むディーを見たいのに!」
「うわ…癇癪起こさないでください、面倒くさい。」
「それでも私の執事なの⁉」
「いいえ、厳密には私に給金を払っている御父上に雇われた執事ですが。」
「チッ!」
「舌打ちしても何も変わりませんよ。
しかしもうあきらめて結婚してしまえばいいじゃないですか。幼い頃の性癖が叶いますよ。」
「今の性癖が叶わなきゃ意味ないわよ!
嗚呼愛しいディー、なんで失敗しないの…!失敗してしょぼくれて私が癒すのをやってみたい…!ディーの泣き顔が一番かわいいのに…!」
「サラキア様、本当にやめてください。少なくともディートゥス様と国王陛下と王子たちの前では絶対に言わないでください、不敬罪になります。」
何を隠そう王家の血筋の方々と彼の家の方々は代々顔立ちが良く似ております。時には親ですらよく見ないとわからないそっくりさんもいらっしゃいます。現実としてディートゥス様と皇太子様のお顔と体格は大変そっくりであります。この辺りは政治と歴史に幾つもの秘話があるのですが、今はどうでもいいですから割愛です。
しかしサラキア様は顔立ちなどどうでもいいのか、ディートゥス様以上に興奮できる泣き顔はないと豪語しております。
…もし他の方にサラキア様の醜態がばれたら当家にとって最悪です。既に結婚し当家を出て行った姉君、婚約の決まった妹君はおろか次期当主の兄君、それを補佐しようと頑張る弟君が大変不憫な目―――例えば婚約破棄、例えば離婚、そうはならなくても醜態を撒き散らすやばい一家というレッテルが貼られてしまうという恐ろしい目にあいます。
サラキア様は茶を飲み干してから勢いよく立ち上がり、悪い笑みを浮かべていました。嫌な予感がします。
「じいや、次の手よ。早速出かけるわよ。」
「…どちらへ行かれるつもりですか。」
「ディーのところよ。次はクセロカルナ公爵領だったわね。」
「どうして把握されているのですか。」
「今回はディーから手紙で聞き出したわ!つまり公式供給よ。」
「いつの間に。いえ、そこまで細かい文通をされているのであれば密偵など要らないのでは?」
「ディーが失敗を隠すかもしれないじゃない。させないわ。」
「うわクズ。」
「じいや、いい加減首飛ばすわよ。早く準備なさい。」
「仕方ありません。」
こうなると私が止めてもサラキア様は強行されてしまいますから、私は諦めて旅の準備をするべくサラキア様の下を離れました。
「絶対に失敗させてあげますからね、愛しいディー…!」
この偏執ストーカーを近い将来に治安部(※警察的組織。例え豪商や貴族でも不正があれば容赦なく取り締まる優秀な法的機関。)に突き出さないといけないのか、はたまた私がこの手で裁かなければならないのか。つい溜息が漏れてしまいました。
七日後、クセロカルナ公爵邸の一室ではディートゥス様とクセロカルナ公爵様が御歓談されておりました。話題は今年の新作の酒とそれに合う料理でした。
「食中酒として良いなと。柑橘の爽やかな香りも、口に含んだ時の酸味も。後味も良い。この酒の名前は?」
「ありがとうございます。〈陽だまりの彼女〉と申します。」
「ほう。それはもしや?」
「お恥ずかしながらその通りでして。」
クセロカルナ公爵はディートゥス様の商会の上得意のひとりです。最早味を見るのは一種の話のタネで、最初から結構な数の新作を購入することを決めていらっしゃるようです。今回は四十樽は頼むとのこと。ただの貴族では大盤振る舞いも良いところですから、平時でこれは中々豪気ですね。パーティーにでも使うのでしょうか。
そんな彼らの話題を…私は部屋の外から、サラキア様はメイドに扮装してその様子を見て嫉妬しておられました。
大変今更ではありますが、ディートゥス様の意中の相手とはつまりサラキア様の事です。しかしサラキア様は大変愚かしいことに過去の発言から嫌われているはずだと、ひいてはディートゥス様には別のお相手が居ると思っていらっしゃいます。
果たして嫌っている相手と月に何度も会って、文通して居場所まで書く手間をかけるかという話ですが、サラキア様からすると義理堅いからそうしていると思っているのです。
そうこうしているうちに正式に契約書が結ばれました。公爵様は大変満足そうにしております。
「…うむ、今回も大変有意義な取引だったな。」
「こちらとしても大変有難いことです。公爵様の発信のおかげで商売がうまくいっていると言っても過言ではありません。今後ともどうぞよろしくお願いします。」
「良いものに良いと言っているだけだ。今後も頑張りたまえ。」
「はい、ありがとうございます。」
「では、私は次の予定があるのでこれで失礼する。
そこのメイド、彼を送って差し上げなさい。」
「は、はい、承りました。
ディートゥス様、お荷物をお持ちしますわ。」
「ではな。」
「はい。失礼致します。」
ふーむ、こうして見るほどやはり良い男ですね、ディートゥス様は。顔も整っていて表情も柔らかい。努力家で謙虚で愛想がよく、口も達者で人に強く警戒されない。若さゆえの口の軽さ、というか正直さもチャームポイントになっているというところでしょうか。
こんな出来た方はサラキア様意外のお相手を探してほしいところです。何故サラキア様にご執心なのか理解に苦しみますね。
肝心のサラキア様と言えば、ディートゥス様と久しぶりに顔を合わせるせいか緊張と嬉しさで口元が崩れ始めています。普段お会いになるときはツンとしているくせに、こういう場でそれができないのは訓練が足りませんね。
さて、そろそろ逃げて外で待ちますか。下手に見つかると曲者扱いされそうです。
―――
(やっぱりディーは顔が良いわね。今すぐ情けない顔でぐちゃぐちゃになってくれないかしら。)
メイドに扮したサラキアはあふれ出んばかりの邪な醜態を真顔の裏に押しとどめ、玄関口へとディートゥスを案内した。彼の馬車は既に用意されており、このまま見送るだけである。
(何とかしてここで失敗させられないかしら。宿に帰らせてから証文を汚したりとか?でもそんなことは今更させないでしょうし。)
必死に考えを巡らせたが、とうとうディートゥスを失敗させる方法は思い浮かばなかった。今回も駄目だったと思っていると、ディートゥスがサラキアから鞄を取り上げた。
「ここまでで大丈夫ですので。」
「え?あ、はい。お気をつけて…。」
「……何故サラがここにいるかは聞かないでおきますね。」
軽く会釈した際にこそっと小声で呟かれた言葉は、サラキアを驚かせるのには十分だった。
「い、いつから…。」
「先程ですね。歩き方がサラの様でしたので、まさかと思いましたが…お耳を見て確信しました。目や鼻は化粧で誤魔化せても、耳の形までは誤魔化せませんからね。」
「はえ……?」
「そんなに会いたいのならいつでも着ていいと言ったではないですか。」
笑顔のディートゥスに見惚れながらも、見抜かれたことにそこはかとない敗北感を感じながら、しかし逃げ出すことなどできようはずもなくサラキアは意地でメイドとしての役割を果たすべく堂々と立ったふりをしたが、声は上ずった。
「お、お帰りはあちらです。お迎えはもう来ておりますので。」
「そうでしたね。手紙に書いた通り、十日程こちらで滞在します。その間は目貫通りの青の水鏡亭という宿に泊まっていますから、いつでもおいでください。」
「わ、わかりましたわ。」
そう言って去っていくディートゥスを見送りながら、涼しい顔のディーにあっさり負けるのも悪くないかも、という新たな感情が芽生えて慌てて頭を振った。
馬車が去っていく。暫くその後姿を見送りながらぽうっと呆けていたが、あくまで今は潜入しているだけなのだ。こっそりと逃げなければと思いながら、じいやの手を借りてクセロカルナ公爵邸を後にした。
(…青の水鏡亭だったわね。)
―――
顔を真っ赤にして呆けていたお嬢様を公爵邸の者に見られる前に回収しました。酷く狼狽しているというか、混乱していらっしゃる様でした。
「お嬢様?」
「……ばれた。」
「あ、ばれましたか。…流石ディートゥス様ですね。」
サラキア様の変装技術は幣家自慢の密偵が仕込んだものでしたが、まさかディートゥス様に一目で見抜かれてしまうとは。ディートゥス様がどれだけ優秀かわかるというか、或いはサラキア様だったからすぐにわかったのか。どちらにせよサラキア様が今後変装して彼に近付くことはできないでしょう。
サラキア様が何に照れていらっしゃるかはわかりませんが、話を何とか聞きだしたところでは耳の形でばれたのだとか。そしてディネール様が泊っている宿も聞き出したとのこと。
成程これは……もしかしたらゴールインまで行かなくても、お付き合いの一歩目までならいくやもしれません。
やっとかと思いながらもサラキア様を何とかその気にするよう鼓舞し、そのままディートゥス様の下へと送り届けました。
(当主様、お嬢様は漸くここまで来ました。本当に…長かった。)
翌朝、我々の取っていた宿にお嬢様が戻ってきました。
何と乱れた髪に目の下に隈を作りながらも恍惚とした笑顔で―――色気を感じる要素は無く、暗い目は座っていてむしろ大変不気味だったのですが、気を取り直して昨夜の出来事を問いただしました。
「―――ああ愛しのディー。お変わりなくてよかった。あ、思い出しただけでまた興奮してきました。」
戻ってきたサラキア様の第一声がこれですから、ディートゥス様が何をしたのか直感し脳内に電流が走りました。ディートゥス様はまさか"夜"も御達者になっていたのではないか、いったいいつからそんな“練習”する時間が。
そう思ったのも束の間、サラキア様の性根、性癖がそれは無いと打ち消しました。
では一体何が、と思った時、答え合わせの言葉が堰を切ったように零れました。
「まさかえっちなことに全く耐性が無くて押し倒したら真っ赤になっちゃって初心だわやっぱり計画が最初から崩されたら弱いですわねこれは本当昔のまましかもうまくデキなかったことで泣き出しちゃって綺麗なお顔が見る影もなくぐちゃぐちゃでうふ、ふふ、あんなに情けない声で泣くディーを見られるなんて完璧超人になってしまったディーが、ああ!
これからはディーの泣いて歪んだ顔は私だけのものですわ!」
「わぁ……。」
ハイテンションで昨夜の出来事を溌溂と詳細に話すサラキア様は制止も聞かず、小一時間語ったところで見ていられない表情になったところで昏倒させて黙らせました。
急いでディートゥス様にフォローは入れましたが、やはりと言うか大変気を落とされていました。思い出したのか半泣きになりながらも「俺もこれから頑張りますので、どうぞ見守っていてください」と大変ポジティブなお言葉をいただき、私は大変安堵致しました。とはいえそろそろ限界も近いため、辞表を主君宛てに認めました。これはサラキア様が御結婚なされたときに出そうと思っております。
結論から申し上げますれば、この出来事のすぐ後にサラキア様とディートゥス様はめでたく結ばれました。私も無事に退職できました。
披露宴の前、最後の機会だと思いディートゥス様にサラキア様の何が良かったのかと聞いてみました。彼はサラキア様を慕っておいででしたが、しかし同時にかつて酷い試練を与えることとなったサラキア様の何が良かったのか―――これが長いこと疑問でした。
ディートゥス様は少し面食らったような顔をした後、照れてはにかんだのです。
「あの、七つのときの出来事はご存じですよね。」
「はい。ディートゥス様には大変失礼なことをおっしゃってしまった件ですね。」
「そうです。その時思ったんですよ。
何でもできるサラキア様の綺麗なお顔を涙で歪ませたら気持ちいいだろうなって。」
「…ディートゥス様?」
ディートゥス様の爽やかな笑顔の仮面の裏から黒いものが見えた気がしました。もしやサラキア様と同類ではないだろうかと考えが過り、それを打ち消そうと頭を働かせるうちに、冷たい汗が頬を伝いました。
「結婚した以上、サラの泣いて歪んだ顔は今後俺だけが見れます。楽しみですね。」
「あんたもか、ディートス!」




