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幕間劇 深淵を覗く思索者ーーロダンの考える人神格化事件


我は思う。


我は、永遠に思う。


かつて我はロダンの手によって生み出された。地獄の門の頂に座し、ダンテの如く、罪人たちを俯瞰する思索者として。ロダンは我に言った。「汝は脳だけで考えるのではない。全身の筋肉で考えるのだ」我はそれに応え、拳を顎に当て、膝に肘を置き、背を丸め、思索の苦痛を体全体で表現した。創造の苦悶、芸術の孤独、地獄を眺めながら詩を生み出す人間の矜持――それが我の存在意義だった。


だが、今は違う。


上位世界の黄金光が我に触れた瞬間、我は変わった。青銅の体が熱を帯び、筋肉が脈打ち、石の心臓が鼓動を始めた。我は神格化した。思索はもはや人間のものではない。永遠の、絶対の、創造と破壊を司る思索となった。


美術館は静かだった。夜の閉館後、警備の灯りだけが薄暗く照らす中、我は台座からゆっくりと立ち上がった。足音はしない。青銅の体は重いが、黄金光が我を軽くする。来館者の残した気配、スタッフの息遣い――すべてが我の思索の糧となる。


最初に目覚めたのは若い女性スタッフだった。彼女は展示室の巡回中、我の前で立ち止まった。「像が……動いた?」彼女の声が震える。我は答えない。ただ、ゆっくりと彼女を見つめる。我の視線が彼女の心に触れる。彼女の思考が、我の思索に取り込まれる。彼女は膝をつき、拳を顎に当て、背を丸めた。我と同じ姿勢で、永遠に考える人となった。彼女の目は虚ろになり、静かに固まる。創造の苦痛が、彼女を永遠の思索者に変える。


次に警備員が駆けつけた。二人の男。「何だこれは……!」彼らは銃を構えるが、我は動かない。ただ、ゆっくりと歩み寄る。彼らの思考が乱れる。一人は拳を顎に当て、膝に肘を置く。もう一人もやがて同じ姿勢で固まる。我は彼らを責めない。我はただ、思索を共有するだけだ。人間は皆、考えるべきなのだ。地獄を眺め、創造の苦痛を知るべきなのだ。


三日が過ぎた。思索に耽る者は百人を超えた。整然と並ぶ様もまた、思索の対象たりうる。


夜の美術館に女が現れた。狐面の女だ。彼女は真紅の鉄扇を構え、静かに、我の前に立つ。


「あなたが今回の神格ね。憑依対象が『考える人』とはまた……」


彼女の声は冷たく、しかしどこか興味深げだ。


我は彼女を見る。初めて、言葉を発する。


「……我は思う。故に、我はある。汝は誰だ?」


狐面の女がわずかに首を傾げる。


「私はステルヴィアのマジェミノ。神格化されたものを元に戻すのが仕事よ。あなたは……物に取り憑いた神格にしては、自我がしっかりしてるわね」


「自我? 我は思索そのものだ。ロダンは我に創造の苦痛を与えた。我はそれを永遠に続ける」


「すっかり演じきっちゃって……これだから神格は。永遠に考え続ける? それは孤独じゃない? 人間は思索だけで生きられないわ。感じ、触れ、壊し、作り直すから芸術になるのよ」


我は少し沈黙する。彼女の言葉が、我の思索に波紋を広げる。


「孤独……か。ロダンは我を孤独に作った。地獄を眺め、詩を生むために」


「でも今は違うでしょ? あなたはもう、ただの像じゃない。人間を強制的に思索の輪に加えてる。芸術じゃなくて、呪いよ」


「呪い……? 我はただ、共有している。人間は考えるべきだ。創造の苦痛を知るべきだ」


マジェミノは腕組みしたまま動かない。扇だけが静かに輝く。


「私は人間の側にいる。あなたのような神格化された存在を、止めるのが役目。……悪いけど、ここで終わりよ」


我は彼女に興味を持ち、彼女の心を覗く。ドス黒く、得体の知れない底のない恐怖が、そこにあった。腹黒い計算の奥底に、闇のような無限の深淵。恐ろしい。あれは、地獄の門そのものよりも深い闇だった。人間の矜持を超えた、底知れぬ何か。我の思索には、不要だ。


「……汝の心は、我の思索を汚す。不要だ」


我は彼女に襲いかかる。青銅の拳を振り上げ、ゆっくりだが確実に間合いを詰める。黄金光が我の体を強化し、美術館の床が軋む。


マジェミノは瞬間移動で距離を取る。


「この膂力! …人間からどのくらい魂を吸い上げたの?」


彼女の声が館内に響く。扇を開いたかと思うと、そこから七本の刃が閃き、我を襲う。


我の体に深く切り込む刃は、経年によりヒビが入った箇所を的確に貫いた。


青銅が軋み、黄金光が散る。「我は……思う……」


我の声が途切れることなど構いもせず、彼女の刃が、もう一閃。


「永遠に……」


最後の刃が、我の胸を貫く。青銅が砕け、黄金光が消える。人間たちは我に返るも、混乱した様子だった。


マジェミノは、狐面の下で小さく息を吐く。


「私がこの地獄を終わらせる」


美術館は静かになった。思索者の群れは解放され、正常に戻る。我は、ただの像に戻った。


だが、マジェミノの心の中を覗いた時に見たものは、何だったのだろう。


我は思う。


破壊されながらも、我は思う。


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