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第0話 Something Gold / Something Holdーー何か輝くもの / 何か抱きしめるもの

 とある山頂付近にある、昔の城跡。


 この頂は、もう人間の地図には載っていない。


 位相が完全に固定され、外界から切り離されたこの空間は、春の陽光すら届かず、ただ淡い黄金の靄が漂うだけだ。崩れた石垣、苔むした土塁、枯れた桜の枝──すべてが静止し、まるで時間が止まった絵巻のように広がっている。


 私は、そこに立っていた。


 宵沢母衣炉[よいざわ ほろろ]。


 少し前までの私のアイデンティティは、ボーイッシュなスタイルに憧れる女子高生だった。短かった髪も、今では肩まで伸びて風に揺れている。水溜りに映り込んだ顔を見ると瞳は変わらず勝ち気だが、その奥に、かつての自分では到底宿せなかった静かな光が沈んでいる。


 心機を守護する者として、私はすでに人間の枠を半分だけ踏み外していた。そう自覚している。


 向かい側に、姉がいる。


宵沢灯莉[よいざわ とうり]。


 かつての優しい姉の面影は、薄れつつある。長い黒髪は黄金の光を帯びて蛇のようにうねり、瞳は二つの──いや、それ以上の神格が溶け合った深淵を覗かせる。白い肌は陶器のように完璧で、微笑みは甘く、しかし底知れぬ輝きを湛えている。


 姉は、神として極大化した存在になっていた。


 私たちは、数十メートル離れて向き合っている。


 風がないのに、姉の髪が舞う。


 私の足元で、枯葉が勝手に渦を巻く。


 灯莉が、ゆっくりと口を開いた。


「……母衣炉」


 声は優しい。いつもの、姉の声だ。


 でも、その一言だけで、周囲の空間が黄金に染まり始める。石垣が光を帯び、土が溶けるように輝き、枯れた桜が一瞬で満開に咲き、そして散る。


数十メートル離れても相対する声がクリアに聴こえるのは、お互い物質的な概念を超えつつあるからなのだろう。


「私たちの世界に来てくれる決心がついたのね」


 私は、答えない。


 ただ、静かに右手を掲げた。


 私の手のひらに、淡い光が灯る。


 それは感情の本質を、慈しみ抱擁する光。

まだ名も形も定まっていないが、姉の黄金の奔流を、確かに受け止めるための光。


 灯莉の微笑みが、深くなる。


「怖がらないのね。母衣炉、あなたはあなたのやり方で私と同じ舞台に上がってきたということなのかしら」


 私は、初めて口を開いた。


「それは違うよ、お姉ちゃん」


 静かに、心穏やかに発声する。


「私は、お姉ちゃんと同じ舞台には上がらない。この欲望の象徴のような黄金から、お姉ちゃんを解き放ち、抱きしめるために来た」


 灯莉の瞳が、黄金の炎を灯す。


「ふふ……強くなったね。でも、それでいい。

 来て。母衣炉。私の中に。永遠に、一緒に」


 姉が、一歩踏み出す。


 その瞬間、この頂全体が震えた。


 黄金の奔流が、地を這い、空を覆い、私に向かって押し寄せる。


 私は、それでも動かない。


 ただ、掲げた手を、少しだけ握りしめた。


 光が、私の周囲に輪を描く。

それは、愛擁の始まりだった。


 Something Gold──何か輝くもの。

眩く美しい黄金だが、それは本質ではない。

欲望の衣を纏った、冷たく永遠の誘惑。


 Something Hold──何か抱きしめるもの。

淡い光は、姉に届くのか。

この輝きに囚われた姉を、救い、抱きしめられるのか。


 二人の距離が、ゆっくりと縮まっていく。母衣炉はなぜか時が逆流していくかのような感覚を覚えた。物語は始まりから終わりまで、最初から決まっていたのだろうか。あの日の雨の音、光の奔流、宵沢母衣炉という一存在から万物全てに至るまで――すべてが母衣炉の中で渦巻き、絡まり、溶け合っていたのに、どこか遠くから自分を見下ろすような、冷たい隔絶感が残った。母衣炉は深呼吸をして姉を見据えた。


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