レディ・マイカのできあがり
――ローリンデン王国。
「ねぇ、見てごらん、ミシェルからの招待状だ」
「懐かしいわね……」
慈しむように目を細めるソフィア王女。
「そんな顔されると妬けちゃうなぁ……」
「まあ、アーサーったら」
ソフィアを後ろからそっと抱きしめるアーサー。
そう、彼らは『婚約破棄から始めましょう』のメイン王子とヒロインである。
「ミシェルか……」
「彼だけね、貴方の剣に怖じなかったのは」
「ああ、なぜ彼が剣を置いたのか……今も不思議だよ」
「きっと……その必要がなかったのかも」
「どういう意味だい?」
「個人の能力とはまた別のもの、努力では手に入らないもの……ミシェルは生まれながらにそれを持っていた」
アーサーはソフィアの言葉を待つ。
「本人はそうは思ってなかったみたいだけどね。彼の周りには階級問わず、自然と人が集まっていたっていうのに。貴方だって、頼まれてもないのに世話を焼いてたでしょ?」
「たしかにそうかもな。何か放っておけないっていうか……」
ふぅっと息を吐き、ソファにもたれて天井を見上げるアーサー。
「でしょ? 招待状一枚で私とアーサーを呼び出せるのは、ミシェルだけよ」
ソフィアはそう言って、アーサーの肩に頭を寄せた。
* * *
「申し訳ございません!」
荷物を散乱させながらスライディング土下座をするのは、里帰りから戻った調律師のライネルさんだった。
想像していたよりも大柄な人で、調律師というよりは料理人と言われた方がしっくりくる気がした。
「まさか、除湿にしていたとは……本当に申し訳ございません!」
「もう良い、顔を上げなさい」
スチュワートさんが困り顔で手を差し伸べる。
「なんとお詫び申しあげればよいのやら……」
「それは私よりも楽士殿に言うべきだな」
「はいっ、それはもう……で、こちらのお嬢様は……」
キョトンとした顔で私を見るライネルさん。
「侍女のマイカと申します、以後、お見知りおきくださいませ」
丁寧に頭を下げると、横からスチュワートさんが「この者が除湿に気付いたのだ」と言う。
「なんと! こんな可愛らしいお嬢さんが⁉ いやぁ~本当に命拾いしました! ありがとうございます!」
ライネルさんは私の両手を取って、ぶんぶんと振る。
「あ、あはは……」
「演奏会当日は、彼女も楽屋や保管室に出入りすることもあるかもと思ってな、事前に紹介をしておく。顔を覚えておくように」
「はいっ! もちろんです!」
「では、次に行くぞ――」
「は、はい、ではライネルさん、失礼します」
ライネルさんに挨拶をして、私はスチュワートさんの後を追いかけた。
演奏会も目前に迫り、今日はスチュワートさんに呼び出され、朝から関係者に顔見せに回っている。
なぜかと言えば、当日私は侍女のお役目から外れ、偽りの婚約者としてレオナルドさん一家と食事をしなくてはならないからだ。
その際、私を見て従者達が不審に思わないようにと、スチュワートさんが配慮してくれたのだった。
長い廊下を歩きながら、私はスチュワートさんに尋ねた。
「演奏会って国外の方も大勢いらっしゃるんですよね?」
「ああ、各国の貴賓が集まる。あのローリンデンからも王子と王女がお見えになるそうだ」
「えっ⁉」
ローリンデンから……メイン王子とヒロインだ。
うわぁ、これはちょっと楽しみかも……。
「驚くのも無理はない。あの大国がこのような小国の演奏会になど普通なら来るはずがないのだからな……」
なぜかスチュワートさんは得意げに言った後、とある部屋の扉をノックした。
「――どうぞ」
中から女性の声が聞こえた。
「まあ、可愛らしいお嬢さんだこと」
ホホホと笑みを浮かべる年配の女性が出迎えてくれた。
そして、その隣にはレオナルドさんが立っている。
「レオナルドさん⁉」
「驚かせてすみません」
「はいはい、貴方は後。マイカですね?」
「は、はい……」
「話はスチューから伺っておりますよ」
「スチュー……」
スチュワートさんを見ると、顔を少し赤くして、コホンと咳払いをした。
「マダム・アデール、いい加減スチュワートとお呼びください」
「いいえ、私にとってスチューはいつまでたってもスチューです」
ふんとそっぽを向くアデールさん。
スチュワートさんは苦虫をかみつぶしたような顔で頭を振った。
「では私はこれで。マイカ、マダムの指示に従うように。終わったら持ち場へ戻りなさい」
「は、はい、わかりました」
スチュワートさんは、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「さ、それじゃあ、早速始めましょうか?」
「えっと……何を?」
「あら、聞いてないの?」
おや、とアデールがレオナルドさんを見た。
レオナルドさんは「あ、えぇと……」と口ごもっている。
「まったく、しょうが無い子達だねぇ……マイカ、この私があなたのドレスを見立てます」
「ド、ドレス⁉」
「すみません、どうしても当日は着ていただかないと……」
申し訳なさそうに、頭に手を当てながらレオナルドさんが言う。
ドレスだなんて、私が似合うわけないと思うんだけど……。
驚いていると、アデールさんが私の顔を柔らかい手でぐいっと正面に向ける。
「……うん、少しメイクもしましょう。あなたには控えめの方が映えそうね」
「メイク……⁉」
「安心して、あなたを立派な淑女に変身させてあげる」
「あ……う……」
「――あなたたち!」
アデールさんが手を叩くと、サササっと奥から数人の女性たちが現れる。
「まずは湯浴みね、それからマッサージと髪を整えて」
「「はいっ!」」
女性の一人が私の側に来て、
「さぁ、参りましょうマイカさん」と、美しい顔で微笑む。
うわぁ……綺麗な人。
ていうか、もはや偽の婚約者この人で良くない⁉
手を取られ、私は流されるまま皆に連れていかれてしまう。
ものの数秒で身ぐるみ剥がされ、見たこともないような豪華な湯室で花びらの浮かんだ湯船に浸けられてしまった。
「はあぁぁぁ…………」
バラの香り……疲れた体に染み渡るようなお湯の刺激が、あっという間に私から思考を奪い去る。
首筋や腕、脚を数人がかりでマッサージされ、もはやどうなってもいいとさえ思えた。
身も心もトロトロにされ、湯を上がると、今度は魔導ドライヤーで髪を乾かし、瞬く間にきっちりと髪を纏められる。
「いかがですか? 編み込みを後ろで纏めてみました。最近のトレンドです」
「おぉぉ……!」
すごい! さすがプロ……!
こんな綺麗に……。
「では、メイクをしていきますね、目を閉じてください」
「は、はい……」
顔にパタパタと粉をはたかれ、筆で目元や眉をなぞられる。
ドキドキしながら小一時間待っていると、「できましたよ」と声が掛かった。
鏡を見せてもらうと、知らない自分がいた。
「こ、これがわたし……」
まさか自分がこんな使い古された台詞を言う日が来るなんて……!
アデールさんが入ってきて、鋭い目で私を見る。
そして、頷くと、
「うん、いいですね。さあ、ドレスを合わせましょう」と、私の手を取った。
「はい……」
それから何着も試着を繰り返した後、ようやくアデールさんがOKを出した。
「うん、当日はこれで行きましょう。じゃあ、あちらで首を長くしている殿方にお見せしましょうか」
そう言って、アデールさんがからかうように笑った。
元の部屋に戻ると、背中を向けていたレオナルドさんが振り返った。
「へ、変じゃないでしょうか……?」
恥ずかしい! なにこれ恥ずかしい!
「マイカさん……」
「レオナルドさん、口が開いてますよ」と、アデールさんが言うと、レオナルドさんが慌てて口元を手で押さえる。
「変だなんてとんでもない! 綺麗です……本当に!」
やけに熱の入った演技だなと私は少し照れる。
「ありがとうございます、へへへ……」
「マイカさん……」
目を潤ませながら、レオナルドさんが私の手を取った。
「へ? ちょ、レオナルドさん?」
「……」
いやいや、その目は何⁉
演技過剰ではないだろうか!
焦っていると、部屋の扉が開いた。
「おぉ~! 馬子にも衣装だな、マイカ」
「リチャードさん⁉」
入ってきたのはリチャードさんだった。
なぜかレオナルドさんが、人を○しそうな目で睨んでいる。
「おいおい、レオ。そんなに怒るなよ」
笑いながら両手を向けるリチャードさん。
「団長、何の御用でしょうか?」
「いや、スチュワートからマイカがドレスを着るっていうんで、冷やかそうと思って……」
騎士団長ともあろう御方が、そんな暇をしていていいのだろうか……。
アデールさん達を見ると、皆、私と同じことを考えているようだった。
「はぁ、まったく……デリカシーのない殿方達だこと。見世物じゃありませんよ、出て行きなさい!」
アデールさんの一声で、リチャードさんがビクッと肩を震わせた。
「じゃ、じゃあなマイカ、似合ってるぜ」
リチャードさんはそそくさと部屋を出て行く。
「はあ、すみません、マイカさん。ご不快だったでしょう?」
「――貴方もです、レオナルドさん」
「え?」
アデールさんに凄まれ、レオナルドさんは「で、では、マイカさん、また……」と部屋を出て行った。
「やれやれ、近頃の殿方は……」
そう言って振り返ると、アデールさんはいたずらっぽく私にウインクをして見せる。
「あ、あとで怒られませんかね……?」
「平気よ、メイクをしてドレスを着た女に逆らえる殿方がいるものですか」
そんなものなんだろうか……。
「マイカ、この世は女が回しているのよ、覚えておきなさい」
優雅な笑みを浮かべるアデールさんを見ていると、妙に納得してしまう。
まあ、メイクもドレスもこんな機会がなければ経験できないことだし、せっかくだから楽しまなきゃ損だよね。
「はい、回しますっ!」
私がそう答えると、アデールさん達が楽しそうに笑った。