再び、騎士団宿舎
集合場所に向かう途中、後ろから声をかけられた。
「マイカさん」
「あ、ロゼッタさん」
振り返ると、ロゼッタさんが何かを手に持っていた。
「これをお渡しします」
「これは……鍵ですか?」
「倉庫の鍵です。スチュワートさんから預かりました」
「え、ええぇぇっ⁉」
思わず大きな声が出てしまった。
あ、あの倉庫の鍵を……ついに……! マイ倉庫……!
「ただし」
ロゼッタさんの鋭い視線が私を射抜く。
「あなただけ特別扱いはできません。これは、倉庫を管理するという名目だと肝に銘じなさい」
「は、はい……」
「要請があった場合はすぐに明け渡すこと。また、危険物の保管は厳禁。定期的に保管物のリストを作成して報告をすること。わかりましたね?」
「かしこまりました! ありがとうございます!」
私は深々と頭を下げた。
リストとかすごく面倒くさそうだけど、いまはどうでもいいっ!
内心の私は、すでに浮かれまくってタンゴを踊っている。
ついに……ついに私専用の作業スペースが……!
あぁ、騎士団宿舎の掃除なんてどうでもいい、早く倉庫を見に行きたい……!
「では、遅れないように」
「はいっ!」
ロゼッタさんが去った後、私は鍵を握りしめて小さくガッツポーズをした。
「マイカー、何やってんのー?」
「あ、えへへ……今行くー!」
エミリーに呼ばれて、私は急いで集合場所へ向かった。
でも心の中は倉庫のことでいっぱいだった。
* * *
騎士団宿舎に到着すると、妙に静かだった。
「あれ? 誰もいませんね」
「本当だ……」
普段なら騎士さんたちの声が聞こえてくるはずなのに、シーンとしている。
すると、建物の壁に背中をもたれかけて、面倒くさそうな顔をしたトニーが一人で立っているのが見えた。
「あ、トニーだ」
「トニー君、どうしたの?」
私たちが近づくと、トニーがだるそうに顔を上げた。
「どうしたのトニー?」
「どうもこうもねぇよ!」
トニーが壁を蹴りながら言う。
「副団長がマイカたちが清掃している間、何かわからないことがあったら困るからって留守番させられてんだよ」
「へぇー、責任重大じゃん」
「けっ、ただの雑用だろ……」
むくれた表情のトニーを見て、私は少し可笑しくなった。
でも、レオナルドさんらしい気遣いだよね。
その時だった――。
「えー、可愛いー、マイカ紹介してよー」
「うわぁ~このやんちゃ顔、超タイプなんですけど……!」
「ねぇねぇ、お名前なんて言うの?」
いつの間にか、他の侍女たちがわらわらとトニーの周りに集まってきた。
「うわっ⁉ ちょ……」
トニーが完全に包囲されている。
私は恐ろしい光景を目の当たりにした。
侍女は集団になると群体化し、別の生き物になるのだ……。
「あーっ⁉ ちょ、ちょっと……」
トニーの顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。
「きゃー、可愛いー! 真っ赤になっちゃってるー」
「ふふふ、お姉さんたちと窓拭くぅ?」
「一緒にお掃除しましょうか?」
これは……ある意味、ご褒美のようにも思えるが、難しい年頃の男の子には酷かもしれない。
トニーにも男の子としてのプライドがあるだろう。
私は慌てて助け船を出した。
「ちょっと、ロゼッタさんが見回りに来るって言ってたよ」
「えっ⁉」
「マジ……?」
「うそ、やば……」
魔法の言葉の効果は絶大だった。
侍女たちは蜘蛛の子を散らすように、あっという間にそれぞれの持ち場に向かっていく。
「ふぅ……悪りぃ、助かった……」
トニーがほっと息をついていた。
* * *
侍女たちが本格的に掃除を始めると、その手際の良さには目を見張るものがあった。
「おぉー……」
私は思わず感嘆の声を漏らした。
エミリーとヴァイオレットは、息の合った連携で窓拭きを進めている。
一人が内側、一人が外側から同時に拭くことで、効率が格段に上がっていた。
「マイカ、私たちも負けてられないわよ」
「そうね、行きましょう!」
サラとメアリーは床掃除を担当していたが、その技術が素晴らしい。
まず大きなゴミを取り除いてから、濡れたモップで汚れを浮かせ、乾いた雑巾で仕上げる。
この三段階の清掃で、床が鏡のように輝いていく。
ジェシカは高いところの埃取りを担当していた。
長い柄のついた道具を器用に操り、梁や窓枠の隅々まで丁寧に掃除していく。
「すごいなぁ……みんな、それぞれ得意分野があるんだ」
そして、男所帯のたまり部屋だった宿舎内が、みるみるうちに輝きを取り戻していく。
「うわぁ、ここってこんなに広かったんだ!」
「壁の色、こんなに明るかったっけ?」
「みてみてー床、ピカピカじゃない?」
侍女たちのテンションも上がりっぱなしだった。
「ねぇねぇ、この剣! 本物よね⁉」
「きゃー、鎧もある! かっこいい~!」
「あ、これレオ様の私物かしら?」
特にエミリーとヴァイオレットは、騎士さんたちの私物を見つけるたびに、まるで宝物でも発見したかのように騒いでいた。
そうこうしていると、宿舎の入り口から足音が聞こえてきた。
「マイカさん!」
息を切らせて現れたのは、レオナルドさんだった。
「あ、レオナルドさん……」
やばい、まだ返事してないんだよなぁ……気まずいかも。
でも、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、レオナルドさんは眉尻を下げながら言った。
「この前は突然、変なお願いをしてすみませんでした。ゆっくりで良いので考えてみてください」
「あ、はい。お気遣いありがとうございます」
私は軽く返事を返した。
すると、その瞬間、周囲の侍女仲間たちの発する空気感に異変を感じた。
すごい……みんな手を動かしながら全神経を、私とレオナルドさんとの会話に集中しているのがわかる……!
掃除をしているふりをしながら、完全に聞き耳を立てている。
これは……恐ろしい……。
「さ、さてと、お掃除の続きを……」
私が作業に戻ろうとすると――
「んんっ!」
「ン、ンンっ!」
侍女仲間たちが、言葉にならない声で私の行く手を遮った。
レオナルドさんが不思議そうに見守る中、私はその場から離れることができないでいた。
「あは、あはは……」
ごまかし笑いを浮かべながら、私はとうとう観念した。
もはや、これはどうやっても「早くOKしろ」というサインだろう……。
そんなことを考えていると、侍女仲間から逃れてきたトニーが顔を出した。
「あ~、もうめんどくせー……」
「こらっ、トニー! なんだその態度は?」
レオナルドさんの声が響いた。
「あっ⁉ ふ、副団長! い、いや、これは……」
「まったく、せっかく侍女のみなさんが掃除をしてくださっているのに……」
トニーがしどろもどろになっている。
「そりゃそうなんすけど……ちょっと、マイカー、何とか言ってくれよぉー」
トニーが助けを求めるような目で私を見た。
「トニー!」
レオナルドさんの声がさらに厳しくなる。
「やべっ、御用がないか聞いてきまーす」
あっという間に、トニーは逃げ出してしまった。
レオナルドさんはしょうがないなと頭を掻き、短く息を吐いた。
「すみません、まだまだ子供で……」
「元気でいいじゃないですか。ふふっ」
私が笑うと、レオナルドさんも少し表情を和らげた。
「そうですか? まあ、大人しすぎるのも困りますが、トニーは肝が据わっているというか、誰に対してもああなんですよ」
「まあっ、大物じゃないですか。将来、団長さんになるかもですね?」
「ははは、そうですね。本人にその気があれば、ですが……」
そう言って、レオナルドさんは困ったように笑みを浮かべた。
廊下の先で、侍女仲間と話しているトニーを見つめる目は、とても優しい目だった。
あぁ、レオナルドさんって、本当にいい人なんだなぁ……。
その時、私は心の中で小さく決意した。
偽婚約者の件、引き受けてみようかな……。
思えば、レオナルドさんにはお世話になりっぱなしだし、エミリーたちも喜ぶだろうし……。
そう、きっと大丈夫。
何とかなるよね……?




