二日酔いのエミリー
翌朝、私は朝礼をする広間へ入った。
すると、雰囲気がいつもと違うことに気づいた。
――ん? どうしたんだろう?
やけに皆、きちんとしているというか……。
普段なら、あちこちで雑談が聞こえてくるのに、今日は妙にシンと静まり返っていた。
私はエミリーの隣に行き「おはよう」と、小声で挨拶する。
彼女はぐったりと肩を落としたまま、虚ろな目でこちらを見た。
「ん……おは……」
目が半分しか開いてないエミリーに耳打ちする。
「ねぇ、みんなどうしちゃったのかな?」
「ん……さぁ、どうせ騎士団宿舎の……選抜狙いでしょ」
エミリーは重そうな瞼をこすりながら、ボソボソと答える。
あらためて周りを見ると、確かにみんなの表情に微妙な緊張感が漂っていた。
「あ、そっか……」
そういや、ロゼッタさんがそんなことを言ってたっけ。
少数精鋭での選抜、か……ま、私には関係ないけど。
そう思った瞬間、広間の扉が開き、ロゼッタさんが入ってきた。
いつものように隙のない美しい所作で挨拶を済ませ、連絡事項を淡々と伝える。
「では、みなさん、本日も恥ずかしくない仕事をお願いします」
「「よろしくお願いいたします」」
私たちはそれぞれの持ち場へ移動を始めた。
廊下を歩きながら、エミリーが私の袖を軽く引っ張る。
「てか、なんでマイカそんなに元気なのよ……私、頭割れそうなんだけど?」
「んー、寝るのは遅かったけど、エミリーみたいにお酒もそんなに飲んでないし」
「まるで、私ががぶがぶ飲んでたみたいに言うじゃんか……」
「だって、飲んでたよね?」
「……飲んでた」
「「あははは!」」
「いてて……ちょっと笑うとまだ頭痛いょ……」
エミリーが頭を押さえる。
うわぁ、もの凄く痛そう……。
「大丈夫? 水飲んだ? あ、そうだ! ヨーグルト食べる? 胃にやさしいし、きっと楽になるよ」
「え……そんなのあるの?」
「任せて! ちょっと行ってくる!」
「あ、マイカ……ててて」
私は急ぎ厨房へ向かった。
* * *
厨房の重い扉をそっと押し開けると、中から湯気と共に慌ただしい声が飛び交ってくる。
この時間は修羅場だもんね……。
「おい! このソースの塩加減、もう一度確認しとけ!」
「パンの焼き上がり、あと三分だぞ!」
「果物の盛り付け、やり直し! もっと丁寧に!」
この時間は一日で最も忙しい修羅場の時間帯だ。
王族の方々にお出しする朝食の準備で、厨房はまさに戦場と化している。
私はできるだけ邪魔にならないよう、壁際を通ってマッシュさんのもとへ向かった。
「おい! さっさと皮むけよ! 間に合わねぇぞ!」
「はいっ!」
「このポタージュ作ったの誰だ?」
「あ、僕ですけど……」
若い見習いの料理人が恐る恐る手を上げる。
マッシュさんはスプーンでポタージュをすくい、「飲んでみろ」と手渡した。
料理人が恐る恐る口をつけた瞬間――
「あっ……熱つぅ!!!」
舌を出してハアハアと息を吐く料理人を見て、マッシュさんは呆れたように首を振る。
「だろ? お前こんなもん出してお偉いさんに火傷でもされてみろ、下手すりゃクビどころじゃ済まねぇぞ?」
「す、すみませんでした!」
「温度は味と同じくらい大事だ。ここから運ばれる距離、器の材質、全部頭に入れて作れ」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
おぉ、やっぱ、この時間はちゃんと仕事してる……!
厳しいけど、マッシュさんの言葉には、職人としてのプライドと、弟子に対する愛情があるよね。うんうん。
「ん? なーにやってんだお前は……?」
私に気づいたマッシュさんが鋭い目を向けてきた。
いつもの無精ひげ顔が、この時ばかりは威厳すら感じさせる。
「あ、おはようございます! お忙しいところすみません……あはは」
「今度はなんだ? ったく、散々、蜂蜜酒飲みやがって、遠慮を知らねぇのか?」
「あれー、そんなに飲んだかなぁ……あはは」
うわわ~ちゃんとチェックしてる……。
マッシュさんはやれやれと額に手を当て、深いため息をつく。
「実は、同僚の具合が悪いみたいで、ヨーグルトを少し分けてもらえないかと……胃にやさしいものが欲しくて……」
「ヨーグルト? なんだ、二日酔いか?」
「えっ⁉ あ、ま、まあ、似たようなものかなぁって……」
マッシュさんはしばらく私を見つめた後、小さく苦笑を浮かべる。
「ちょっと待ってろ」
「あ、はい!」
マッシュさんは不機嫌そうにしながら奥へ歩いて行く。
でも、その背中は怒っているようには見えなかった。
厨房の中を慌ただしく行き交う料理人たちを見て、あらためて思う。
我ながら、よくこんな戦場のような場所に混ざって手伝いをしていたものだ。
あの経験のお陰で、食材に対する知識も増えたし、皮むきなどの下ごしらえは自分で言うのもなんだが、かなりの腕前になった。何より、マッシュさんとこうして気軽に話せる関係になれたのが嬉しい。
「ほら、もってけ」
マッシュさんが白い小鉢を持って戻ってきた。
見ると、なめらかなヨーグルトの上に、美しくカットされたオレンジが花のように盛り付けられていた。さらに、ほんの少しだけ蜂蜜がかかっている!
「うわぁ! 美味しそう! というか、すごく綺麗ですね……!」
「おいおい……ちゃんと同僚に食べさせてやれよ? お前が食うんじゃねぇぞ?」と、マッシュさんが心配そうに言う。
「わ、わかってますよ! ありがとうございます、きっと喜びます!」
「あーいいからいいから、さっさと持っていってやれ」
しっしと手を払うマッシュさん。
「はいっ、お忙しいところありがとうございましたっ!」
ありったけの感謝の念を込めてお辞儀をして、私は厨房を後にした。
マッシュさんにも、今度お礼をしなくちゃ……。
またハンドクリームでも作ろうかな?
廊下を歩きながら、ついついヨーグルトに目がいく。
「んー……お駄賃ってことでいいよね?」
オレンジの欠片を一個だけつまみ食いして、私はエミリーのもとへ急いだ。




