能面課長とレストラン「La fleur」
課長が連れてきてくれたのは、こじんまりとしたフレンチのお店だった。
や、やっぱり……。
仕事が終わってどこか行くってなったらまずはこうなるわよね……っ。
課長とご飯……っ。二人きりって……。
耐えられるだろうか。食べてる間終始無言とかだったら、窒息して死んじゃうかもしれない。
そんな不安が頭をよぎった。
課長と紅苑の駐車場で待ち合わせ、車の中で嫌いなものはないかと聞かれ、大丈夫です、と応えたら、彼は一つ頷いてしばらく車を走らせ、ここへ連れてきてくれた。
到着するまでの二十分位、課長はぽつりぽつりと、迷惑じゃなかったか、疲れていないかなどを聞いてくれたけど、私は緊張のあまり端的な返事しかできなかった。
っていうかすごい可愛いんですけどこのお店っ。
車中での事を思い返す私の目の前に、まるで童話の中の建物かと言わんばかりな可愛いお店があった。
まさか、課長からこういうお店が出てくると思わなかった……っ。
ギャップにただ驚く。
赤いレンガ色に三角屋根の小さな建物は、周りに芝生の庭が広がり、傍には藤棚に囲まれた小さな東屋がある。
少し日が暮れてきたせいか、東屋の中には明かりが灯されていた。
お店の玄関へと続く道には、名前は分からないけれど幾つもの木々や花が植えられている。
「いらっしゃいませ」
ふいに聞こえてきた穏やかな声。
振り向くと、アンティーク感漂うドアの前で、白いシェフ姿の男性が佇んでいた。
にっこりと柔和な笑みを湛えたシェフは、本庄課長と私に向かって会釈してくれる。私も慌ててそれに応じた。
「安西さん、お久しぶりです」
本庄課長が、会釈を返しながらシェフ姿の男性に声をかけた。
し、知り合い……?
安西さん、と課長が呼んだ人は五十代半ばくらいだろうか。ロマンスグレーが素敵な、笑顔の優しい紳士だ。
「奥さんは?」
「彼女は今、料理にお出しするハーブを取りにいっています」
私達を店内に案内しつつ、安西さんが応えてくれる。その仕草はとてもやんわりとしていて感じ良く、私はますます嬉しくなった。
「わぁっ……素敵……っ」
細やかな木彫りの装飾が施されたお店のドアが開き、中へ入った途端、私は思わず声を上げていた。
赤いレンガ色で統一された外観とは裏腹に、店内は白とグリーンですっきりと統一されており、とても上品な内装だった。
テーブルも椅子もホワイトで、床に敷かれた絨毯は深いグリーン。
お店自体は広さはあまり無く、丸いテーブルが四席あるのみで、広く大きく取られた窓から庭に植えられた木々が色美しく見えている。
かけられたテーブルクロスは清純なほど真っ白で、その中央には白い薔薇の花が一輪生けられていた。
もし自分が結婚式をするなら、こういう可愛いお店で、近しい人だけを集めてゆったりとした式をしたい、そんな風に思えた。
「ありがとうございます」
安西さんが、私に向かってにっこりと微笑んだ。
照れてしまったあたしは上手く返事を返せず、慌てて首を振った。
安西さんは私達二人が席にかけたのを見届けてから再びお辞儀をし、「それでは、一旦失礼いたします」と言って下がっていった。
「良かった。気に入ってもらえたみたいだな」
私と向かい合わせに座った課長はそう言って、またふわりと笑った。
その表情に鼓動が跳ねるのが悔しくて、私は誤魔化すようにこくこく頷く。
「あ、あの、ここって……」
「ここはLa fleurといって、ご夫婦二人で経営されているお店なんだ」
ああだから……お店自体はそんなに大きくないんだ。小さな森のレストランってイメージがピッタリだもの。
ここのお店の雰囲気は、私の好みにばっちり合っている。こういう素敵な内装なら、お料理も期待できるだろう。
なにより、あの安西シェフの雰囲気が好きだと思った。
「さっき、お名前呼んでらっしゃいましたけど……課長、お知り合いなんですか?」
とりあえず、気になったことを聞いてみた。
課長の雰囲気からして、居酒屋とかのイメージはわかないけれど、まさかこんな可愛いらしいお店を知っているなんて。
「ああ。あの安西さんには大学時代お世話になったんだ。かなり長い付き合いになるかな」
言いながら、課長はネクタイを少し緩めた。
その隙間から見えた喉元に、つい目が惹きつけられる。自分の頬に熱が走ったのがわかって、慌てて目線を逸らした。
知り合いのお店……?
そんなところに、私を連れてきても良いんだろうか。
ふと思った疑問は、横からかかった声でかき消された。
「失礼します」
凛とした女性の声が聞こえて顔を向けると、そこには給仕姿のすらりとした女性が立っていた。
「安西の妻、比沙子でございます。本日は当店にお越しいただきまして、真にありがとうございます」
先ほどの安西シェフと同じくらいの年齢だろうか。五十代くらいに見えるけれど、凛とした美しさと、かっちりとした給仕姿がとてもよく似合う妙齢の女性だ。
長身の美人は私達に会釈をした後、綺麗な唇をニヤリと笑ませながら本庄課長に顔を向けた。
「久しぶりね。尚ちゃんったらなかなか顔見せないんだもの、私心配してたんだから」
な、尚ちゃん???
一瞬誰のことかわからず、私は目をぱちくりさせた。
「その呼び方はやめて下さい」
目の前の課長が、無表情のまま女性を嗜める。
え、まさか……尚ちゃんって……。
「まさかあの尚ちゃんが、女性を連れてくるとはねぇ……この子ったらいっつも仏頂面で無愛想で、ぱっと見すごく恐いでしょう? でも根は良い子だから、安心してね」
言いながら、女性は私に笑いかけた。
……え?
やっぱり尚ちゃんって本庄課長のこと?
あ、尚人だから尚ちゃん?
って一体この人って……?
「比沙子さん……お願いですから勘弁してくれませんか」
「あらあら、照れてるし。それにしても良かったわ。尚ちゃんも良い歳なんだから。いつ連れてきてくれるのかって、こっちはずっと待ってたのよ」
「比沙子さんっ」
ふふふ、と楽しげに笑いながら、比沙子さんは厨房へと入っていった。
課長は表情自体はあまり変わりないけれど、その目の下がほんのり赤くなっている。
あれ、これが照れてるってことなの?
今のって……それに尚ちゃんって……。
社内で能面課長と有名な本庄課長が、まさか「尚ちゃん」なんて呼ばれてるなんて……。
会社の子達が聞いたらどう思うかしら……。
「か、課長……?」
私が恐る恐る声をかけると、課長はわかりやすく肩をびくつかせ、少し赤くなった顔をこちらに向けてくれた。
あ、れ……?
なんか……。
「あ、いや。……気にしないでくれ。人をからかうのが趣味な人だから」
言う課長の表情が、恥ずかしがっているように見えるのは、私の目の錯覚だろうか?
それが、なんだか可愛いと思えるなんて。
先ほどの比沙子さんが運んでくれた料理を口に運びながら、私は課長の他の表情をもっと見てみたいと、そう思った。




