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雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~  作者: 國樹田 樹


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父と息子

 荒井会長の秘書という方から連絡を受けて、インターホンの電源を入れた途端、鳴り出した呼び出し音に私は思わず身構えた。


 けれどスピーカーから流れてきた落ち着いた声は上品で、無遠慮に他人の人生を暴こうとする記者とは雰囲気が違っていた。


 小さな画面に、渋い枯茶色のスーツを着た男性の姿が映し出されている。


 受けた印象は、ああこの人が課長のお父様なのだなというものだった。それほどよく似ていた。男性の後ろには二人分の人影がある。映っているのは足元だ。一人は同じく男性で、もう一人は女性。女性が履いているリボン付きパンプスには見覚えがあった。


「突然すまない。荒井だ。君の、戸籍上の父親にあたる」


「っ、……そうでしたか。わかりました。今開けます」


「ありがとう」


 課長は荒井会長の声を聞いて一瞬驚いたようだった。けれどすぐに眉根を顰めると、初めての親子の会話を終わらせていた。


 隣に立つ課長の顔を見上げると、彼はもう何も映し出していないインターホンの画面をじっと見つめていた。


 無言の横顔に表情はなく、それが余計に課長の複雑な心情を物語っているように思える。


「大丈夫ですか?」


「……ありがとう。大丈夫だ。ただ、声を知っていただけだ」


「え?」


 玄関のチャイムが鳴り会話が途切れた。声を知っていたというのはどういう意味なのか聞きたかったけれど、課長が玄関に向かったので聞けなかった。


 私も一緒に出迎えに行くため彼に続く。歩きざま、手を伸ばし課長の手を握ると、何も言わずに困ったように微笑まれた。声にしていないのに謝られた気がして、感情を出すのが苦手になってしまった課長がこんな時に笑っていることに、私の胸が締め付けられる。


「どうぞ中へ」


「……失礼する」


 がちゃりと開いた扉の先には三人の人間が立っていた。三人が順番に部屋に上がっていく。


 一人目は先程インターホンの画面で見た枯茶色のスーツを着た老年の紳士だ。六十も半ばを過ぎている筈なのにすらりとした長身には衰えが見えず、白髪交じりの髪は上品に後ろに撫でつけられている。穏やかな目の端には年齢相応の深い皺が刻まれていて、瞳の形や鼻筋の流れ、顔立ち全体が課長の血縁だと物語っていた。


 まるで、年齢を経た未来の彼を見ているようだ。


 カイズ・エリアル社会長の顔を見たのは始めてだったけれど、彼がそうなのだとわかる。


「ど、どうも……」


 二人目は薄青のスーツを着た課長と同年代位の男性だった。彼が荒井清隆社長だ。確か年齢は三十五歳だったはず。


 若くして社長職を継いだことで一時期話題になり、ニュースや新聞で顔を見たので覚えている。彼は中肉中背の普通の男性といった風貌で、何か気になるのか周囲に視線をきょろきょろと巡らせ自信なさげにしていた。あまり人の容姿について言いたくはないけれど、正直なところ荒井会長には似ていないと感じた。清隆社長はお母さん似なのだろうか。


「お邪魔します……っ白沢、さん」


 最後は兼崎さんだった。彼女も普段と同じ仕事着のままで、けれどなぜか怯えたようにバッグを両腕で抱えていた。


 緊張しているのか硬い顔だ。しかし彼女は最後に入って来るなり、私を見て表情を歪ませていた。そしてじろりと睨みつけると、忌々し気な顔をする。


 ———え?


 彼女になぜそんな顔をされるのか理由がわからず反応に困った。


 どうして兼崎さんは、私をまるで恨んでいるような目で見るのだろう。


「ひとまずこちらへ。順を追って説明していただけますか」


「っ、全ては僕が結衣に話したからだ!! すまなかった!!」


 課長が三人をリビングの方へ促す。けれど次の瞬間放たれた台詞に、歩き出そうとした課長と私の動きが止まった。


 まだ廊下だというのに清隆社長がその場でばっと膝を折り、頭を床につけていた。つまり、土下座の姿勢だ。


「話した、とは兼崎さんにですか。で、それを彼女が吹聴したと」


 課長の言葉に、兼崎さんの肩がびくりと震える。


「そうだ……彼女と僕は、その……ここ数カ月間、金銭的な援助関係にあった」


 清隆社長が気まずげな声で答えた。彼は床に頭を擦り付けるようにしている。


 兼崎さんは俯いてしまって、表情が見えない。


「……清隆、ひとまずあちらで話を聞いてもらえ。こんな場所では逆に迷惑だ。それに、お前が頭を下げたところで何の価値もありはせん」


「お、お父さんっ、お願いですから、僕を見放さないでくださいっ! 役目を降ろさないでくださいっ!」


 冷たい声が空気を切り裂き、土下座している清隆社長の全身が強張った。清隆社長は顔を上げ、悲痛な表情で荒井会長に懇願していた。その社長を、荒井会長は冷徹に見下ろしている。課長とよく似た目には嫌悪の色が浮かんでいた。


「黙れ、私を父と呼ぶな。早く立たんか!」


 荒井会長は清隆社長の腕を引っ張り上げて無理矢理立たせると、投げ捨てるように社長の手を離しそれから課長に向けて白髪交じりの頭を下げた。


「私に名を呼ばれるのは嫌だろうが……尚人君、きみには最初から今までのことを……事実をすべて話したい。晶子、きみのお母さんのこともだ。このような者達に囲まれて気分は悪いだろうが、暫し時間を貰いたい」


「……元よりそのつもりです。どうぞ頭を上げてください。謝罪は話の後でいくらでも。受け取る気はありませんが」


「聞いて貰えるだけ有難いよ。君はやはり優しい子だな。……彼女に、よく似ている」


「っ……」


 荒井会長の懐かしむような声に課長の表情が僅かに変化した。


 私は咄嗟に彼の手をぐっと握り締め、どうか心が落ち着くようにと願いを込める。


「……長くなりそうですから、何か淹れましょう。リビングの方でお待ちください」


「こちらです。お三方とも珈琲で大丈夫ですか?」


「君が白沢茜さんだね。専務から話は聞いているよ。ありがとう、大丈夫だよ」


 問いかけると荒井会長は先程とは打って変わって穏やかに微笑み頷いてくれた。


「荒井社長と兼崎さんもよろしいですか?」


 二人が頷くのを確認してから、私は課長の代わりに三人を案内した。そして課長の後を追うようにキッチンへと入る。


 荒井会長と、課長、そして清隆社長。三人は父子であるはずなのに、会長の態度には大きな温度差がある。


 その理由が気になりながらも、私は緊張した面持ちでキッチンに立つ課長の傍に寄り添った。

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