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雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~  作者: 國樹田 樹


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32/52

狭くて暗い記憶

※不快表現があります。ご注意下さい。


 小学生の頃、私の両親は共働きだった。


 私は一人っ子で、そのためよく家で留守番をしていた。だけど時々、近所に住んでいたお兄さんが遊び相手になってくれたりと面倒を見てくれていた。


 お兄さんは私より四歳年上で、当時十一歳だった私にとって十五歳のお兄さんはとても大人に見えたものだった。


 よく遊んでくれるそのお兄さんのことが、私は大好きだった。


 けれど———ある日、そうではなくなった。


「これ被って」


「スーパーのビニール袋? どうして?」


 小学校から家に帰ってすぐ、お兄さんが家に来た。


 季節は四月も終わりの頃だった。

 私は小学五年生になったばかりで、まだ四年生の気分を引きずっていた。


 当時の私は古い平屋造りの家に住んでいた。家は裕福とは言えず、トタン張りで土壁の平屋は強い台風がくると全体が五月蠅くがたがた鳴るくらいにボロかった。


 トイレだって水洗じゃなくて、いわゆる『ぽっとん』タイプだったし、お風呂だってついてなかった。だから近所の銭湯に子供料金で一回三十円払って通っていた。


 家の前には田んぼが広がっていて、その横には町名にもなっている細い川が流れていた。夏はよく田んぼでおたまじゃくしやカブトガニを取った。川ではフナやボラなんかを釣ったりした。


 おもちゃなんて買ってもらえる環境ではなかったから、自然そのものと私は遊んでいた。


 そのくらい貧乏だったから、父親は当時ではお給料の良い長距離トラックの運転手をしていて、一週間に一度帰ってくるかどうかだったし、母は近くの農家の手伝いに朝から夕方まで行って帰らなかった。


 一人留守番をしていた私は、玄関の引き戸を叩くお兄さんの影を見つけるととても喜んだ。


 だけどこの日だけは、お兄さんの様子がいつもとは違っていたのだ。


 特に目が違っていた。


 後から考えれば、少し前からおかしかったのかもしれない。でも、この時の私にはわからなかった。

 【そういう知識】がほとんど無かったのだ。


「いいからちょっと被ってみて。今日は違う遊びをしよう」


「でも、まだお菓子食べてたとこだよ?」


「あとでいいから」


 私は母親が用意してくれていたおやつを食べていたところだった。小麦粉を水で溶いて、砂糖を混ぜて薄く焼いた、ほんのり甘いクレープもどきだ。内側には黒砂糖がまぶしてあった。料理上手な母は私を喜ばせようと手作りで安価なおやつを用意してくれていた。それを食べて、私は母が戻るまでの空腹を紛らわすのだ。


 だけどお兄さんは手に白いスーパーのビニール袋を持ったまま、笑顔で私にそれを被るように言ってきた。


 畳敷きの部屋につけっぱなしのテレビの音が響いていて、夕方のニュースで明日は雨だという予報が流れていた。


「で、でも……」


「大丈夫だから」


 私は戸惑いながらお兄さんを見た。


 お兄さんは笑顔だった。けれどその目はどこか暗くじとりとしている気がした。


 お兄さんは綺麗な顔立ちをしていて、髪が長ければ女の子と見間違うくらい可愛いかった。だから私も遊びやすかったのだ。


 でもこの日はなぜか、お兄さんがいつもとは全然違って見えた。


「いいから、はい」


「っわ」


 戸惑う私に構わず、お兄さんはビニール袋を私の頭に被せた。思わず目を瞑る。耳元でがさがさ鳴る袋の音が五月蠅かった。視界が袋に覆われて、磨りガラスの窓から差し込む夕日の赤い色が白い袋の色と混ざって、肌色っぽく見えた。


「あははっ、袋の音すごい……あれ? なにしてるの? どこいくの?」


「そのまま歩いて。僕が手を引くから」


「う、うん……」


 お兄さんは私に袋を被せたまま、私の手を引いてどこかに歩いて行く。


 足裏で畳がぎしぎし鳴る音がした。部屋は六畳とそんなに広くないから、数歩いけばすぐ壁になる。案の定、お兄さんはすぐに止まった。襖が開く音が聞こえた。


「頭、下げて。こっち」


「うん……何? なんか暗いよ……」


「大丈夫。押し入れに入ってるだけだよ」


「勝手に入ったらお母さんに怒られる。それに暗いし、怖いよ」


「僕がいるよ」


 立ち止まっていると、お兄さんに上から頭をぐっと押された。強くはないけど、首がちょっと痛かった。


 私は仕方なく頭を下げて、中腰でお兄さんに引かれるままに進んだ。


 袋の中の視界が一気に暗くなって怖くなる。がさがさ鳴るのも耳障りだった。


 匂いはいつもと同じ家の匂いがするのに、なぜかすごく恐ろしく感じた。普段嗅ぎ慣れているはずの土壁の埃っぽい匂いも、今だけはなんだか心を落ち着かせなくさせた。


 なにより、私の手を引いているお兄さんの手が汗でじんわり濡れて、それがぬるっとして少し気持ち悪かった。


「こんなとこで何するの……?」


「静かに。声出しちゃ駄目だよ」


「えっ、なんで襖閉めちゃうの?」


「いいから」


 お兄さんが襖を閉めてしまったせいで視界が真っ暗になった。少し隙間は開けているようだけど袋から見える私の視界はほとんど夜だった。なのに袋の音が耳に響いて五月蠅かった。首元が空いているから呼吸はできるけれど、それでもちょっと息苦しい。私はしゃがんだまま身体を低く縮こまらせた。


「じっとして」


「え、な、なに、やだ……っ」


 お兄さんは急に私のスカートを捲り上げた。まさかそんな事をされると思っていなかった私は足をばたつかせた。だけど、お兄さんに両足を開いて押さえつけられ、その上に乗られてしまい、動かせなくなる。


 膝の骨がみしりと鳴った。


「い、痛いよっ」


「ごめん、でもちょっと触るだけだから。どうなっているか、知りたいだけだから……くそ、やっぱ見づらいな」


「やだ、やだ、やめて!」


 袋の音ががさがさ五月蠅くて、お兄さんの声が籠もって聞こえた。視界は暗く、空間が狭いため腕や背中が壁に当たっている。土壁の匂いと、埃の匂いと、お兄さんの汗とか息とかの臭いが混ざって、どんどん気分が悪くなった。大好きだったお兄さんが違う人に思えて、ただひたすらに怖くて。


 それに、下着の横から手を入れられて、排泄するための場所を指で触られる感触がとにかく気持ち悪かった。吐きそうだった。


 時間的には数分だったのだろう。


 だけど下着の中や胸など身体の色々な場所を触られた私は呆然としていて、お兄さんがいつの間に家から出て行ったのかも知らないまま、母が戻ってくるまで部屋の真ん中で泣いていた。


 そして泣き疲れて眠ってしまい、起きたのは次の日の朝だった。


 ぼんやりしてあれは夢だったのかと思いながら、私は学校に行き、それからなるべくその事を思い出さないようにした。お兄さんもそれから家に来なくなった。ほっとした。


 小学五年生になったばかりの私はほとんど性に対しての知識は無かったものの、ませた友達の話などからこういう事をするのは好きな人とだけだというのは聞いていた。


 なら、お兄さんは自分の事が好きだったのか? と考えるとそれも違う気がした。


 痛いことはされなかったし、ただ色んな所をべたべた触られて嫌で気持ち悪かったけど、何より一番悲しかったのはお兄さんが私が嫌だと言ってもやめてくれなかった事だった。


 ただ悲しかった。裏切られた気がした。憧れていて好きだったお兄さんが消えてしまった気がした。触られた感触もなかなか消えてくれなくて気持ち悪くて、とにかく私は忘れてしまおうとその時の出来事を母には話さずひた隠した。


 けれど私はそれ以降、狭くて暗い場所がどうしようもなく苦手になったのだ。

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