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雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~  作者: 國樹田 樹


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記憶の目

 ———閉所、暗所恐怖症。


 人には誰しも何かしら恐れているものがある。


 私にとって、それは【狭く暗い場所】だった。


 苦手になったのは小学生の時だ。


 ある人とのある事がきっかけで、私はそれまで冒険気分で探索していた祖父母の家の蔵や納戸に一切立ち入ることができなくなった。


 どうしても、あの狭く暗い場所に一歩足を踏み入れるだけで思い出してしまうのだ。


 同じくらい暗くじとりとした、恐ろしいあの人の目を。



「茜? ちょっと茜ったら!」


「……あ、ごめん律子。ぼーっとしてた」


 正面からの声にはっとして我に返った。見れば、律子が赤い唇をつんと尖らせて拗ねた顔をしている。私が会話中にぼんやりしていたからだろう。


「もう、朝から質問攻めで疲れてるのはわかるけど、少しは他のこと考えないとメンタルやられるわよ。っていうかさっさと食べないと食いっぱぐれても知らないから」


「うわほんとだ。もうこんな時間っ」


 社員食堂にある白い長テーブルの上に置いたスマホを見ると、時刻は十三時十五分前を指していた。まだ歯磨きとメイク直しもしないといけないのに、急がないとまずい。


 私は慌てて親子丼を掻き込むと、冷たい麦茶で無理矢理に胃に流し込んだ。


 残すのは社食のおばちゃん達に申し訳ないから、私の場合は基本完食だ。


「そんな食べ方すると身体に悪いわよー?」


「でも残すの悪いし」


「ふふ、茜らしいわね」


 笑う律子を前に食べ終わったトレイを手に立ち上がった。彼女も同じように私に続き、二人で返却口にトレイを並べていく。「ごちそうさまでした」を言うともう馴染みになった社食のおばちゃん達が笑顔で「お粗末さまでした-!」と返してくれる。


 元気な声を聞いてから律子と二人トイレで化粧直しなどを済ませ、廊下を歩いていると見知った顔が前方から歩いてくるのが見えた。


 松田さんだ。


「彼でしょ。玄関ロビーでアンタに告白したっていう迷惑なやつ」


「……営業課の松田さんよ。それに告白じゃなくて連絡先聞かれただけ」


「どっちでも同じじゃない」


「ちょっとっ、律子ってば聞こえたらどうするのよっ」


 私は小声で話しかけてくる律子を肘で小突きながら、会釈だけして通り過ぎようとした。


 松田さんの思い詰めたような表情は見ないようにしたけれど、向こうはそれを許してくれなかった。


「白沢さん」


「……はい」


 すれ違う寸前で呼び止められ、仕方なく立ち止まった。律子も横に居てくれている。


「おれ、諦めませんから」


「え?」


 松田さんは顔を少し俯かせて、じっと窺うようにこちらを見てそう告げた。


 それがまるでこっちを睨んでいるみたいに見えて、私は一瞬彼が言った言葉の意味が理解できなかった。


 松田さんの視線がこちらを責めるようで、思わず後退りしたくなる。

 背筋に、ひやりとした恐怖を感じた。


「……諦めません」


 もう一度同じ言葉を告げると、彼はすっと私から視線を外し、すたすたとその場を去って行く。


「なに、あれ……」


 律子が不快げに眉を顰めて松田さんの背を見つめていた。


 彼女は今の彼の台詞に憤りを感じたらしい。


 ……恐怖を感じた、私とは違って。


 短い会話だったのに、強烈な印象が私の心に焼き付けられていた。


 決して良いものではない。嫌な記憶を思い起こすようなものだ。


 こちらの意思を無視して己の要望を押し付けてくるあの空気には、覚えがあった。


 彼が見せたあの目もだ。

 こちらをじっと窺うような、暗く狭い閉ざされた空間とよく似た瞳。


 昔、幼い頃にも私はあれと同じ目を見た。


 ぞおっと、背筋に冷たい蛇が這っていく。悪寒だ。


「あ、茜っ? 大丈夫?」


「だい、じょうぶ……」


 律子に返事をしながら、私は自分が明らかに作り笑いを浮かべていることに気付いていた。


 彼女に笑顔を向けたまま、機械的に足を動かしフロアへと歩いている。


 律子は私の様子がおかしいことに気付いていたけれど、深く追求しようとはしなかった。ただ、何度も心配してくれた。


 私はそんな彼女の向こうに最近はずっと遠けていた記憶を思い出していた。

 それはとても暗い記憶。


 大人という資格を得て、乗り越えたと思い込んでいた過去の足跡。


 きっと松田さんの先程の目を見さえしなければ、こうも明確に思い出すことはなかったであろう記憶だった———


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