能面課長と地下倉庫
「お、お待たせしました……っ」
課長のデスクへ小走りで駆け寄ると、彼がパソコンの画面から顔を上げて私を見た。
その無表情に、思わず緊張して背筋が伸びる。
うわ……ほんと能面みたい。だから恐いんだってば。それ。
待たせた事を怒っているのだろうかと一瞬不安になる。けれど用事を済ませてくるとは事前に言っておいたのだし、課長の要件の方が後からなのだから私に非は無い、と思う。
文句を言われる筋合いは無いはずだ。
そう言い訳しながら課長の言葉を待っていると、彼が机から大きな紙束を取り出した。
「では、これを。去年と一昨年のデータに関しては地下倉庫に資料がある。解除キーは俺のを使ってくれ」
「……はい」
むすーーーっとした顔で渡された書類と、ずっしり重い鍵束を手に、私は内心ぎょっとしていた。
思っていたより多い。厚みは五センチ以上はありそうだ。
その上、地下倉庫にまで行って資料を持ってきてそれも纏めないといけない。
かなりめんどくさそうな量に初っ端からうんざりする。
なんでも営業課の方で割と大きな取引が纏まりかけているらしく、連日の会議が続いているそうだ。
会社としては喜ばしい事だけれど、こうなってくると素直に喜べないなと思うのは私だけだろうか。
「二時半からの会議で使うから、それまでに仕上げてくれ」
間髪入れずに非情な追い込みをかけられる。時計に目をやると針は十二時半過ぎを差していた。
つまり約二時間がタイムリミットだ。それで納得した。
なるほど。
確かにこの量じゃ、休憩の後にやり始めたんじゃ間に合わないわ。
しかも、倉庫にまで行かなきゃいけないし。
私が仕事をしているフロアは四階。しかし地下倉庫にまで行くとなると結構急がないとぎりぎりだ。
うちの倉庫は入り組んでいてわかりづらいから余計だろう。
にしても地下倉庫かー……暗くてじめっとしてて、苦手なんだけどなぁ。
暗い地下倉庫の光景を思い出し憂鬱な気分になる。
あそこは地下だから窓がない。
それなのに蛍光灯は経費削減のため通常の半分しかセットされていないのだ。
過去の業績データなどのファイルが高い棚にぎっしり詰め込まれ、まるで図書館みたいにずらりと並んでいるのに、上から三段目くらいまでしかはっきり見る事ができない。一番下の段になるとスマホのライトを点けないと無理だ。
現在データ化が進められている真っ最中なものの、本社が割と古くからある会社なため年配の重役達の腰が重く、様式の変更に時間がかかってしまったらしい。
なので正直うちの会社はかなり時代遅れだと思う。だからこそ最近業績が悪化していたのだろう。
確かデータ化が中々はかどらない理由も、役職のある人しか鍵を持っていないからだっけ。
大抵は部署の責任者が持っているから、それを貸りて倉庫を使うのだ。
たまにそれを利用して、お偉いさんが美人な女性社員を口説くのに私的利用しているという噂もある。
「……できるか?」
銀色フレームの眼鏡から目線を向けて、課長が聞いてきた。
時間に間に合うかどうかってことね。まぁ、これならなんとかなるだろう。
……でもその視線なんとかして下さい。恐いって。
そんな目で見られて、出来ないなんて答えられるわけがない。
いやできるからできるって言うんだけど。
「大丈夫です。では、今から倉庫に行ってきます」
「ああ」
本庄課長のごく短い返事を聞いてから、小さく会釈して地下倉庫へ向かう。気は進まないけど仕方ない。これも仕事だ。腹を括らねば。
いい歳して恥ずかしいけど、閉所恐怖症と暗所恐怖症というダブル恐怖症を持っている私は、ここの地下倉庫にはなるべく近寄らないようにしていた。
そうなったのは、子供の頃の出来事がきっかけで……と、それはさておき。
恐いといっても仕事上どうしても行かなければいけない時はあったので、その時はなるべく他の女子社員をさりげなく誘い、一緒に行ったりしていた。
恐怖症で行けないんです、なんて子供みたいなこと、恥ずかしくて言えないし。
「あーあ、でも今はみんな休憩中だしな……」
廊下を歩きながら、ぽつりと呟く。
さすがに誰かについてきてもらうわけにもいかない。唯一知ってる律子だって休憩中だし。こんなことで迷惑はかけられない。
はあ……仕方ないか。
エレベーターに乗って地下へ行く。
ごうん……という音と、身体の重心が下がっていく感覚に憂鬱さが増していく。
あー嫌だ。
ほんとやだ。
チン、と音がして扉が開いたものの、目の前には上の階よりはるかに薄暗い廊下が伸びていた。
外は真昼間ですこぶる良い天気だというのに、ここはまるで夜になる寸前みたい。
うちの会社のビルは、下の階全てが地下倉庫になっており、小さく分けられた部屋毎に種類別で資料が保管されている。
各部屋は小さめに作ってあるが、その分数が多く廊下は迷路みたいになっていた。
これが恐いのよね……。
「うう……やっぱり恐いし……」
情けない独り言を漏らしつつ、お目当ての資料がある部屋へと向かう。
部屋には番号が割り当てられていて、私の行くべき部屋はAの十三番。Aの列だから比較的前の方の部屋で少しだけほっとする。
これで奥の部屋だったらどうしようかと思ってたわ。
えーっと、Aの十三番は……と。
自分の体をぎゅっと抱えながら辺りを見回す。奥の方は薄暗さが増しているので見ないように気をつける。
あー……ほんと、何か出そう。
いや、居てもおかしくないよう……。
変なほうに考えが向く寸前で、お目当ての部屋が見つかった。
「あっ! あった! Aの十三番っ!」
ついつい大きな声になってしまった。
だって仕方ないわよ。恐いんだから。せめて声でも出して明るくしないと震えそうなんだもの。
課長から貸りた鍵を使いドアを開けて中に入る。にしてもやっぱり暗い。電気を点けても全然暗い。
経費削減だかなんだか知らないが、これだけは勘弁してもらいたい。
こんな所、とっとと出るに限る。
暗くて不便ではあるものの、きちんと整頓されているおかげで資料はすぐに見つけることが出来た。なるべく長居はしたくないから良かった。
私は探し出した資料を手に、ドアへと踵を返した。そしてノブに手を伸ばそうとしたその時―――思いがけない事が起こった。
「きゃあっ!!」
ふわりと、目の前で開いた扉と共に室内の空気が一瞬揺らぐ。驚きで上げた私の悲鳴が、大きく部屋に木霊した。
な、何っ!?
開いた目に飛び込んできたのは、すらりとした長身。スーツを着ているのを見て、人だと安心すると同時に相手の顔を見上げた。
「すまない。驚かせて」
聞き覚えのある、低く落ち着いた、それでいてはっきりした声。
顔を上げると、そこには本庄課長がいつもの能面顔で立っていた。