能面課長とあったかご飯
まままたやってしまった……っ!!
私は壮絶な後悔に襲われながら、自分の顔からさあっと波のように血の気が引いていくのを感じていた。しかし、その次に飛来したのは胸の内から焦げてしまうような強い羞恥だった。
あまりの恥ずかしさに、ぼうと音を立てて顔が燃えているような気さえする。
『課長のエプロン姿が予想外に可愛かった』ためについ口から感想がそのまま飛び出てしまったけれど、言われた当人である課長はお玉を片手に能面……ではなくぽかんとしている。
そりゃそうだ。ついでに言えばそれすら可愛いと思ってしまう私は一体何なのだろう、内心苦笑しつつ考えた。
課長の事を好きだと自覚した途端、彼の一挙手一投足にドキドキして、意外な部分に胸がときめいてしまうのだから恋とは本当に厄介だ。
こういう気持ちになるのが久しぶりなせいか、心のブレーキが利いていない気がする。
もう良い大人だというのに、恥ずかしいったらない。
「すみませんっ! 失礼な事を申しました……!」
「い、いや、その」
私が咄嗟に頭を下げると、課長はお玉を持っていない方の手の甲を口元に当て、気まずげに視線を下げた。けれど、なぜかきょろきょろと目を泳がせると、そろりと私に視線を向ける。なんだろうか。この可愛さは。男性にこんな風な可愛らしさを感じたのが初めてで、自分でもなんだかよくわからない。
「……白沢さんのほうが、可愛い……と、思うんだが」
「っへ?」
今度は、私が素っ頓狂な声を出す番だった。今この人は一体何を言ったのだろうとまじまじ見ると、課長は目元をやや赤く染めて、口元を隠したままもごもご呟く。こんな風にまごついた課長を見るのも初めてだった。
透明な眼鏡硝子の奥に見える瞳が、困惑に染まっていた。
「とりあえず……こっちで食べよう」
「は、はいっ」
言われるままキッチンの方に行くと、黒くつるりとした二人掛けテーブルの上に二人分の料理が乗っていた。右と左に二つずつ。白く平たいプレートと、ちょっと大きめのスープカップ、そしてミニサイズのサラダボウルだ。
メインメニューは炒飯らしい。器から白い湯気がほわほわと立ちのぼっていて、空気中に美味しそうな香りを漂わせている。シンプルな白いプレートにこんもり盛られた具沢山の炒飯に混ざっているのは、みじん切りにされた焼き豚や野菜だった。それからスープカップにたっぷり入っているのは、香りからしてこれは中華スープだ。中の具は卵とたぶんカニカマとネギ。鶏ガラの食欲をそそる匂いに、仕事上りで空腹だった胃が今にも鳴りだしそうだった。ミニサラダにはブロッコリーとトマトがちょこんと並んでいる。
焼き豚炒飯と、かに玉スープ……。
しかも、明らかに冷凍モノをチンとかじゃないやつ。
男の人のお料理って初めてだけど、なんだかちゃんとしてて、すごい。
その場に突っ立ったまま感心していた。けれど、ある事に気付く。
って私、結局何も手伝ってないじゃない……っ! 部下なのにっ。
ほわほわと白い湯気が立つ二人分の料理を前に、暫し呆然としてしまった。
女子力や礼儀などのワードが頭を回る。
「そういえば、嫌いなものはないか聞くのを忘れていた」
立ち尽くす私に気づかず、課長は片方の椅子を手で指し示した。それからくるりと反転すると、シルバーの冷蔵庫からピッチャーを取り出して二つのグラスにお茶を注いでくれる。お茶が流れ込んだグラスの中で、こぽこぽと小さく音が鳴った。
「い、いえっ、大丈夫です。炒飯もカニ玉も大好きですから。特にかに玉スープとか、食堂でもおかわりしちゃうほどですしっ」
私が慌てて答えながら席に着くと、課長はエプロンを外し椅子の背もたれにかけながら、急に何かを思い出したみたいにふっと笑った。
「ああ。知ってる」
……はい? 知ってるとは。
課長が私の向かい側に座りながらほんの少し口元を緩めて言った言葉に、きょとんとする。
彼の切れ長な瞳が優しく細められていて、ゆっくり首を傾げる私にほんの僅か笑みを深めた課長が続けた。
「以前、君が他部署の友人と食堂にいるのを見かけたんだ。その日のメニューにかに玉スープがあって、君はおかわりしながらカニカマについて熱く語っていた」
「っえ」
課長の話に、私の脳内に記憶が蘇えってきた。確かにそういう事があったのだ。
なにしろ私は子供の頃からカニカマが大好きで、食堂のメニューに出た時はかかさずおかわりしていた。本当はカニが大好きなのだけど、一般家庭で高級食材を頻繁に買うなど到底無理だったため、母が代わりにとよく食べさせてくれたのだ。おかげで今は好物になっている。一人暮らしになってからは、卵とカニカマにチーズを入れてオムレツにしたものをよく食べている。
けれど、まさか食堂でのそれを課長に見られていたとは。
嘘……! あれ聞かれてたのっ?
えええええいつの間にっ?
全然知らなかった……!
「え、と、そのっ、あの」
「笑顔で食堂のおばちゃんにおかわりと言う君を見たことがあったから、これにしてみた」
慌てだした私の前で、課長はもう堪えきれないといった感じでくつくつと喉を鳴らして笑って言った。
初めて見る、課長の満面の笑顔だった。
「っ……」
その顔に、私の胸の奥がぎゅうと思い切り強く鷲掴みにされる。頬にぐんぐん熱が集まっていくのを感じた。
あったかいご飯の前で、普段は能面な課長にそんな風に笑顔を向けられて、しかも彼の匂いがする彼の部屋で、ときめくなと言う方が無理だ。
湯気の立つ料理を前に、私は熱くなる胸と頬を感じながら、内心降参のポーズで両手を上げていた。




