表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/52

能面課長の嫉妬Ⅰ

 気が付けば、覚えのある大きな手に優しく肩を抱かれていた。


 背中に当たるスーツの質感と厚い胸板の感触に、思わず振り向いて見上げると予想通りの人がいて。


 ―――けれど。

 え、課長?


 目にした表情を見て、私の思考が止まる。


 そこには、普段の彼からは想像できない鋭い眼差しで前を見据える本庄課長の顔があった。そのあまりに冷たく厳しい表情に、私の目が驚きで見開く。


 こんな顔をするこの人を初めて目にした。彼の視線は私ではなく、真っ直ぐ松田さんの方に向いている。


 肩を掴んでいる彼の手に、ぐっと力が込められたのを感じた。


「……待たせてすまない。悪いが、先に車で待っていてくれないか」


「え?」


 本庄課長は松田さんから私に視線を移すと、普段の能面顔に表情を戻してそう告げた。そしてスーツのポケットからキーケースを取り出し、私に見せる。つるりとした光沢のある、黒い皮のキーケースだ。


 彼はそれを片手でぱちりと開くと、中からブラックにシルバーのエンブレムが付いたリモコンキーを出した。デートの時に乗せてもらっている車のものだ。


「これを」


「え、あの、その」


「本庄課長……と、白沢さんが? え? ええ?!」


 焦って戸惑う私に構わず、課長はさっと私の手を取るとそのままキーケースを掌に握らせた。彼にしては珍しい強引な仕草だった。松田さんはぽかんと口を開けたまま私と課長を交互に見て何やらもごもご呟いている。


私の手の中に、しっとりした皮の厚い感触が渡された。それを握り締め困惑したまま課長を見上げる。課長の切れ長の瞳が、いつもより深い色になっている気がする。それに今、一瞬だけ触れた課長の指先が、震えていたような気がした。


「課長……?」


「俺もすぐに行く」


 課長は普段より濃く見える瞳を私から松田さんに戻した。周囲の野次馬も課長の迫力に気圧されているのか誰も囃し立てる者はいない。


 それくらい彼の纏う空気が普段とは全く違って見える。なんといえばいいのだろうか。まるで何かを拒絶しているような、拒絶反応……そう、何かに対して拒否反応を起こしているような、そんな雰囲気だった。


 先に車に行っててくれなんて、今日は約束もしていなかったのに。


 それに、こんな人前でそんな事を言ったら、付き合っていることがわかってしまうのに。課長はそれでいいの? 


 課長と付き合うことになったものの、特に交際をオープンにするだとかの話はしていない。私も彼もいい大人だ。社内恋愛が公になると仕事上面倒なことになることがわかっているため、暗黙の了解で口にしないのだと思っていた。


 けれど、今の彼の態度からするに課長の方はオープンになっても良いらしい。


 それは別に……構わないけど。


 面倒は面倒だろうが、こういうのは大抵いつかばれるものだ。まあ相手が課長の場合はもしかしたら隠し通せたかもしれないが、今となっては過ぎた話だろう。


 そんなことより気になるのは、今の課長の様子だった。


 彼は今、松田さんを睨みつけるように凝視していて、少し、どころかかなり物騒な気配を放っている。

 まるでひどく強い憤りを抑えているような。


 なんだかこのまま彼に言われた通り車へ行ってしまってはいけない気がした。


 それに松田さんへの返事もある。彼は明らかに本庄課長に気圧されているけれど、私達のやりとりで流石に気が付いたのか戸惑いと焦りの入り混じる表情をしていた。


「あのっ! お二人は、もしかしてっ」


 意を決したように松田さんが告げる。その時本庄課長の身体が前に出ようとしたので、私は彼の腕をぐっと掴んでわざと引き留めた。


 課長が私に振り向く。眼鏡越しに見た彼の目はとても驚いていた。


 自分でもなぜこうしているのかわからない。

 だけど今、この人を安心させてあげなければいけないと、そう思った。


「松田さんのご想像におまかせします……けど、大人ですし、おわかりですよね?」


 ここまであからさまな「想像にまかせる」も無いなと思いながら告げて、私は今日一番の笑顔を浮かべた。そして、そのままの表情で本庄課長に向き直る。すると銀縁眼鏡の奥にある切れ長の瞳が、より一層大きく見開かれた。先程まであった怒りの気配が消えている。


「……じゃあ、先に行って、待ってますね」


 ぎゅっと、彼の腕を掴む指先に力を込める。それからぱっと離して、私は二人にお辞儀をして踵を返した。心臓は早鐘のように鳴り響いていて、もう心臓が口から飛び出そうだった。周囲のどよめきを聞こえない振りして、ただひたすらに足を動かす。


 わ、私はなんて事をしたの……っ!!!!


 明日会社来たくないんだけどーーーっ!!!!


 脳内では、自分の悲鳴が木霊していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ