能面課長の腕の中
「それを聞いたら、君の返事は変わるのか」
「え」
一度言葉を切った課長が、じっと無表情のまま私を見つめて言った。
きらりと月の光を反射する硝子の奥にある瞳に、全てを見透かされているような心地になる。
ふいに吹きつけた風の肌寒さに、びくりと身体が震えた。
「そういう、わけ、では……」
怒らせた、のだろうか。
頭に疑問符と焦りが浮かぶ。返事もしないうちに出張期間を訪ねるのはそんなに駄目な事だったろうか。
もしかして、何か誤解を与えてしまった?
時々、本庄課長のように出張で支社にやってくる人と期間限定で恋愛する子がいるが、そんな風に思われてしまったのだろうか。
私はただ、早く返事をした方がいいか、それでももう少し時間があるのか、知りたかっただけなんだけど……。
意図とは違う受け取り方をされてしまったのかと、不安で心が萎んでいく。
聞かなければ良かったと後悔したところで、もう遅い。
本庄課長は無言で私をじっと見つめてから、やがてふっと視線を外して夜景へ目を向けた。
彼の横顔が、なんだか強張っているように見える。
怒らせたのだろうか。
それとも、傷つけた?
どちらなのかわからなくて、いたたまれなくて視線が下がる。
「……六月に一度、本社に帰ることにはなってる」
気まずい沈黙を破る短い返事が返ってきた。慌てて顔を上げると、真剣な表情の本庄課長と目が合った。
まるで私の心を探るような強い視線に、目が離せない。
「そう、なんですか」
「業績は上がってるがまだ経過途中だからな。……それで、期間限定なら君は受け入れてくれるのか」
「え?」
気が付いた時には、本庄課長の端正な顔がすぐ傍にあった。次の瞬間、ぐいと腕を引かれて、頬が彼のスーツの胸に当たる。「あ」と小さく上げた声が、夜の空気に消えた。
背中に長い腕が回り、ふわりと本庄課長の胸に包まれる。
ぶわ、と体温が上昇するのを感じた。
嘘。私、いま、課長に、抱き締められてる――――?
「あ、あのっ、その……!」
「それでも構わないと思うくらいには、俺は君に惚れている」
切なげな声に混乱した頭がぱたりと動きを止めた。私の頭は本庄課長の肩口に埋まっていて、呼吸は出来るものの動けない。
この人は男の人なんだ、自分とは違うんだ、と今更ながら認識した。
それでも構わないって……。
完全に勘違いをしているのもそうだけど、どうしてそれほどまでに求めてくれるの?
動けないまま、私はぎゅうと抱き締めてくる彼の腕に戸惑った。
告白はされたけれど、そんな期間限定でもいいだなんて、悲しすぎる。もとよりそんなつもりはないけれど。
「……違うんです。課長、待ってください」
「俺がここにいる間だけでもいい。傍に居てくれないか」
いや、だからそうじゃなくて。
説明しようと思うのに、私を拘束する腕は全く緩んでくれないし、それどころかより深く抱き込まれてしまう。彼の胸と私の胸がぴったり合わさって、そのうえ耳元に課長の吐息が当たって、恥ずかしいったらなかった。
どうしよう。完全に勘違いしてるわ、この人……!
羞恥で頭が爆発しそうになりながら、課長の腕をぽすぽす叩いた。
嫌なわけじゃ無いから思い切り抵抗するわけにもいかないし、本当に困った。
ああもう。
これじゃあ白状するしかないじゃないっ。
「っ~~~わ、私たぶん、そのっ、課長のことは、割と、好きですっ」
「え?」
うわ。言っちゃった。
口にした瞬間、少しだけ彼の腕が緩んだ。その隙に私は課長の肩口からぷはっと顔を上げる。そして珍しく驚いている課長の顔を見上げつつ、言葉を続けた。
こうなったらもう、やけだ。
「でも付き合うまでの好きかと言われると、まだあまり自信がなくて、ですね、それに……課長が本社に帰ってしまうと、遠距離恋愛になってしまうじゃないですか。だからその、私も年齢的にもう若くないので……いわゆる先を、考えてしまって……」
段々と尻すぼみになっていくのが情けない。女の打算そのものの台詞を聞かせているのだから仕方ないのだけど、彼には正直な気持ちを聞いてもらいたいと思った。
しかし恥ずかしいのと申し訳ないのとで、言い切ってから逃げるように俯いてしまう。
ああ、もう、私ってば。
いくら課長に抱き締められたからって、もう少し言い方ってもんがあるでしょうにっ。
でも話さないのもフェアじゃない気がするしっ。
課長の手はまだ私の背中に回ったままだけど、互いの間には少しだけ隙間が空いている。彼の視線を頭に感じて、じっと見られているのだとわかる。
ああ、早くなんとか言って欲しいっ。
羞恥と焦りと緊張でわけがわからなくなりながら、私は課長の返事を待った。




