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能面課長とめんどくさい仕事


 『花のような笑顔』と言うけれど

 本当にその人の微笑は

 小さな桜が一輪だけ咲いたような

 そんなささやかで

 どうしようもなく惹き付けられるものだった



 ———桜の季節、なんてものが喜べたのは何歳いくつまでの時だったろうか。


 この歳になると、新入社員の歓迎会やら研修会やらで頭を悩ませることしきりだ。


 白沢茜しろさわあかね二十七歳。


 短大を卒業し、二十歳で今の会社に入社して、もう七年になる。世間で言えば立派なお局だろう。


 一緒に入社した同僚達は順番に寿退職していった。


 だけど私にはそんな予定もなければ相手もいない。彼氏なんてもう何年いないだろうか。


 ……あまり考えたくない位だ。一応、それなりの努力というものはしているつもりなのだけど。


 まあ運命の出会いなんてものがそこらへんに転がってたら、誰も苦労はしないって話だ。


 ふう、とため息ひとつ。

 ジリリリリリリッと、お昼休憩のベルが鳴った。


 パソコンを打っていた手を止め、作業途中のファイルを保存してから画面を閉じ、財布を手に席を立つ。


 お昼の休憩は食堂が定番である。友人と待ち合わせも出来て一石二鳥だ。その点は、この会社に入って良かったと思う。


「白沢さん」


 くるり、と方向転換した瞬間、低い声に自分の名を呼ばれて停止した。嫌な予感、むしろこれは確信か。


 振り向いた先にあったのは見慣れた無表情だ。最早聞きなれた低い静かな声音と相変わらずの能面にうんざりする。


「……なんでしょうか。本庄課長」


 私は続々とオフィスを出て行く同僚達を横目に見ながら、とりあえずの返事をした。どうせまた、言われることは決まってる。


 用件がわかりきっているから、やや不機嫌そうな返事になった。


 少しは態度でわかると思うんだけど。これが空気読めないってやつかしら。嫌がってるんだってば。


 あからさまにはしていないものの、こちらの気分は伝わるくらいの強さで返事をしたのに、気づいていないらしい能面課長は口上を続けた。


「お昼の休憩、少しずらしてもらえないか。頼みたい事がある」


 ほらきた。まただ。もういい加減にしてほしい。


 ふうっと、またため息が出た。最近はため息ばかりだ。


 ああもう。どうしてくれるの。ため息一つにつき、幸せが一つ逃げるんだからね。アラサーには大ごとよ。


 しかも、これでまた私のご飯が遠のいた……。


 目の前でため息を吐きそのうえ眉をひそめてじとりと見返しても、相手は全く動じない。変わらぬ能面が高い位置からじっと私を見下ろすだけだ。       

     

 すらりとした彼の体格が、まるで灰色のビルに見える。


 本当は気付いてるんじゃないかしら……まったくもうっ。


 ここ最近ずっと。何度も。


 人が休憩に行こうとする度にこうやって阻止してくるのだ。この人は。


 本庄尚人ほんじょうなおと三十二歳。


 私が配属されている物流企画部・企画課の、課長。まあいえば上司ということになる。


 彼は今月、三月一日付で本社から突然異動してきた。


 有名国立大卒で、元は上場企業の製品企画部に勤めていたものの、最近になってうちが引き抜いたらしい。いわゆるキャリアだ。


 私みたいな平社員の異動ならまだしも、彼のように課長クラスの人間が異動してくるなんて事は滅多にない。


 けれど、彼は最近業績低迷気味のうちの支社を叩き上げるために派遣された特別要員であるらしい。つまりは仕事のできる人ってことだ。見た目もそれっぽい。


 全体を後ろに撫でつけた黒髪はきっちりしていて、細めのシルバーフレームの眼鏡から覗く瞳は切れ長でやや鋭い。顔立ちは綺麗なのに少し冷たい印象を受けるのはそのせいだろう。


 身長は百八十をゆうに超えていて、体格もがっしりめだ。けれど纏う雰囲気が全体的にスマートなせいか、厳つさよりもインテリっぽい硬質な怖さを感じる。


 というか、まあ実際怖い人でもある。


 だって彼ってば全然表情がないんだもの。あるのはいっつも同じ無表情。まさに能面って感じ。


 なので女性社員達からたった二週間で「能面課長」なんてあだ名をつけられてしまった。そのくらい彼は笑わない。 


 けれど噂に上るくらいだから分類としてはカッコイイのだ。

 表情は乏しいが。


 なんというか、仕事以外であまり人と関わらないらしい。

 同性でも異性でもそれは同じなようで。


 それでも女性社員達から熱い視線を送られるのは、この整った容姿と仕事の手腕故だろう。見目の良いできる男というのは、内面がどうであれ注目はされるものだから。


 けど、このお綺麗な顔でやたらと愛想を振りまかれたら、今以上に女子社員が騒いで煩そうだしこの人はこの方がいいのかもね。


「わかりました。少し用事があるので、済ませてから課長のところに伺います。それほど時間はかかりませんので」


 そんなことを考えながら、畏まった返事を返した。口調に不機嫌さを滲ませて応対したのに、本庄課長は表情を全く変えないままわかったと返事だけして踵を返す。それを見てから、私もオフィスから足早に退散した。


「っはぁ~~~……」


 廊下を暫く進んだところで、深いため息を吐き出した。エレベーターへと通じる廊下にはもう人の気配はない。みんな休憩に向かったのだろう。


 横にある窓から外を見下ろすと、階下で咲く大きな桜の樹が見えた。今は三月半ば、ちょうど桜が綺麗に咲き始める季節だ。


 うちの会社が建っている土地はかなり古く、同僚の話では社屋が出来る前から一本の桜の樹が植わっていたらしい。


 当時の社長が切るのは可哀想だからと残して建築したのだとか。

 私の部署がある四階からも桜はよく見えていて、青く清々しい空との対比がとても綺麗だ。


 こんな日は、外で食事したらきっと気持ちが良いだろう。


 だというのに私は今日もまた友達とご飯が食べられず、お昼二時頃に誰もいなくなった食堂で本庄課長と顔を合わせる羽目になるのだ。


 あの会話のない、ただしーんとした空間で黙々と食事する居心地の悪さといったら……。


 休憩するから休憩時間というのに、あれでは休憩どころか疲れきって仕事に支障をきたしそうだ。


 課長だって、私なんかよりもっと若くて可愛い新人の方がご飯もおいしくなるはずだ。


 私は今日何度目かのため息をつきながら、一緒に食事する予定だった友達の部署へ断りの返事をしに行った。

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